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<Wコラム>日本のコリアをゆく(静岡・清見寺編2)

Wow!Korea / 2016年7月11日 17時28分

それらを鑑賞したあと、私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)は眺めのいい部屋に行って海の方向を見た。

かつては清見潟と呼ばれていて、西行法師も「清見がた沖の岩こす白波に光をかはす秋の夜のつき」と詠んだとい海岸線も、今はバイバスの高架道路や工場などによってまったく見えなかった。

朝鮮通信使がどれほど風景に感嘆して「東海の名勝」と褒め讃えたのか。今では想像すらできなかった。

■駿府城に住んだ家康

清見寺を辞し、静岡駅から徒歩10分ほどの駿府公園に行った。

徳川家康の居城として有名なだけに天守閣が再現されていると思ったのだが、城跡が平坦な公園になっているだけだった。

それでも、本丸跡に家康の銅像が建っていた。その像は鷹狩りの出で立ちだった。

1603年に征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた家康は、わずか2年で将軍職を息子の秀忠に譲った。こんなに早く隠居したのは、将軍職が徳川家の世襲であることを示すためであった。

これによって諸大名たちも政権が豊臣家に戻ることがなくなったことを明確に悟ったのである。

隠居した家康は駿府城に住んだ。「江戸のほうが便利なのに、なぜ小さな町に移るのですか」と問われた家康はこう答えた。

「一に、駿河には富士山という名山がある。二に、鷹狩りにいい場所だ。三に、名産として美味しい茄子がある」

初夢に縁起がいいものとして「富士、鷹、茄子」がよく挙げられるが、それは家康の言葉から始まったという。

その家康の像が立っている場所は駿府城の本丸跡だった。ということは、まさにそこで家康は朝鮮通信使を謁見したのかもしれない。饗応の宴には、家康が絶賛した茄子の料理が出たかもしれない。

急に、茄子が食べたくなった。

(終わり)

文=康熙奉(カンヒボン)

(ロコレ提供)

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