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<Wコラム>康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人」~李秀賢(前編)

Wow!Korea / 2016年8月16日 23時22分

李秀賢さんの肖像写真

2001年1月26日の午後7時15分頃のことだった。場所はJR新大久保駅のプラットホーム。そこで飲酒していた男性(37歳)が、ふらふらして山手線の内回りの線路に落ちた。それを見た2人の男性が、落ちた男性を救おうとして線路に飛び下りた。だが、電車が迫っていた。運転士は非常ブレーキをかけたが、間に合わずに3人が電車にはねられて死亡した。

■犠牲者の1人は留学中の韓国人

線路に落ちた人を助けようとした2人の男性。1人は、横浜市の関根史郎(47歳)さんで、自然の風景や動物を撮り続けてきたカメラマンだった。

「仕事ぶりはまじめで、正義感にあふれていた」

誰もが人柄を褒めたたえた。関根さんの趣味は登山で、新大久保のスポーツ用品店に行った帰りに事故に巻き込まれたようだ。

もう1人は誰だったのか。

すぐにはわからなかったが、やがて留学中の韓国人だとわかった。

それが、26歳の李秀賢(イ・スヒョン)さんである。

李秀賢さんは日暮里にある赤門会日本語学校に通いながら、新大久保のインターネットカフェでアルバイトをしていた。通常の勤務は午前中だけなのだが、当日は店のパソコン数台がうまくネットにつながらず、パソコンに詳しい李秀賢さんが修理を続けていた。その帰宅時に新大久保駅で事故に遭った。

知らせを聞いた李秀賢さんの両親が東京に着いたのは、事故の翌日の1月27日夜だった。2人は帰らぬ人となった息子と対面して泣き崩れた。

■総理大臣と外務大臣が参列

李秀賢さんの通夜は、1月28日の夜、赤門会日本語学校で営まれた。

通夜には、福田康夫官房長官、田中真紀子衆議院議員、JR東日本の社長が焼香に訪れた。

「痛ましい事故をお詫び申し上げます。日韓の親善を築こうとした李さんの死を無駄にしません」

李秀賢さんの両親は、福田官房長官からそう声を掛けられた。

翌28日に行なわれた告別式には、森喜朗総理大臣と河野洋平外務大臣も参列した。

「若い人の見本になるような行動に対して敬意と弔意を表します」

森喜朗総理大臣は李秀賢さんの両親にそう伝えた。

「息子は夢をもって日本に来たのに、その夢を実現できなくて残念でした。でも、日本のみなさんに感動を与えたのだから死は決して無駄ではなかったでしょう。息子を誇りに思うことで心が癒されます」

父親の李盛大(イ・ソンデ)さんはそう語った。

母親の辛閠賛(シン・ユンチャン)さんは憔悴しきっていた。

「悲しみがつのって一睡もできません。こんなに早く死んでしまうのは悲しすぎます」

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