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名良橋晃が「五つ下」の中田英寿を「さん付け」する理由、「年下はみんな怖い」…ヒデのベルマーレ加入直後を語る

読売新聞 / 2025年12月23日 10時0分

ピッチサイド 日本サッカーここだけの話

 日本が初めてワールドカップ(W杯)に出場した1998年フランス大会のメンバーで、Jリーグ・ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)や鹿島アントラーズでプレーした名良橋晃さんが、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演した。高卒でベルマーレに加入してすぐに頭角を現した中田英寿さんとの関係について、番組MCの槙野智章さんと語った。収録は槙野さんがJ2・藤枝MYFCの監督に就任する前の11月に行われた。

本当にうれしかった「中田英寿加入」

 1994年にベルマーレ平塚はJリーグに加盟。初年度に天皇杯で優勝したほか、セカンドステージでも2位に入る活躍を見せた。

 躍進が期待される2年目に高卒で加入してきたのが、中田英寿さんだった。

 「すごく強くて、スピードがあった。(多くのクラブから)来てくれって言われたと思いますけど、まさか来るわけないって思っていたので、来てくれて本当にうれしかったですね」

 当時のベルマーレはベテランの反町康治さんや小島伸幸さんらを兄貴分に、名塚善寛さん、名良橋さんや岩本輝雄さんらが活躍し、チームの雰囲気は良かったという。

 「ベルマーレは上下関係がほぼなかったんですよ。反町さんとか、小島伸幸さんとか、上の方も抑えつけないので」

「年下はみんな怖いんで」

 中田さんがチームで活躍するにつれ、中田さんからの呼ばれ方も徐々に変化していたっという。

 「三段活用。高卒で入ってきて『ナラさん』だったのが、Jリーグで試合に出場するようになって徐々に『ナラ君』。ベルマーレのトップ下でスタメンになったら完全に『ナラ』」

 学年では五つ下の中田さんからそう呼ばれることについて名良橋さんは「全然なんない。もう全然、全くなかったです」と言う。

 「プライベートでも普通にナラ。たまにナラ君」

 中田さんとの関係は昔も今も変わらないようだ。

 「イベントとかで会ったら、(こっちからあいさつに)行かないといけないぐらいな方ですよ、あの方は(笑)」

 一方、槙野さんから「え、名良さんがヒデさんに敬語使ってはいないすよね?」と問われると、「いや、使わないと。年下はみんな怖いんで」。

 名良橋さんは年下も「さん」付けで呼ぶという。

 「(1学年下の)名波浩『さん』筆頭にね。みんな、さん付けなんで」

プロフィル

名良橋晃(ならはし・あきら)  現役時代のポジションはディフェンダー(右サイドバック)。1990年に千葉英和高校を卒業後、日本サッカーリーグ1部のフジタ(ベルマーレ平塚から現在の湘南ベルマーレ)に入団。ベルマーレ平塚が94年にJリーグに加盟し、Jリーグ戦にデビュー。97年に鹿島アントラーズへ移籍。アントラーズ黄金期を支えた。日本代表としては国際Aマッチ38試合に出場。98年フランスワールドカップでは全3試合で先発出場した。引退後は解説者として活躍し、的確な分析と親しみやすいキャラクターで人気を博しているほか、指導者としても活動している。71年生まれ。千葉県出身。

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