整体師に転身した元ボクシング日本王者が貫く道 亡き戦友に失礼のない生き方を心に誓い
よろず~ニュース / 2024年6月1日 8時50分
金光佑治氏
亡き戦友への思いを心の支えに、挫折や試練を乗り越えてきた。大阪府堺市でリラクゼーションサロン「ほぐし屋KID」を経営する金光佑治氏は、元ボクシングの日本王者。ケガのため引退を余儀なくされ、ボートレーサーに転身するも成績不振で引退。現在は整体師として活動している。
高校1年生の頃、テレビ番組の人気コーナー「ガチンコファイトクラブ」を見て、「面白そう!」と感化されてボクシングを始めた。幼少の頃には空手を習っていた経験もあり、もともと格闘技好き。六島ジムの門を叩いた。「最初はプロボクサーになりたいとか、チャンピオンになりたいとかはなかったんですけど『自分って強っ!』と思いましたし、ジムのトレーナーや会長も『ちょっと本気でやってみーひんか』と目をかけてくださって。そこで、プロで生きていこうと思いましたね」。高校卒業後の2003年4月にプロボクサーとしてデビューした。
「堺のダイナマイトキッド」の異名で知られ、活躍するうちにチャンスが訪れた。09年3月の日本ミニマム級タイトルマッチ。辻昌建さんと壮絶な打ち合いの末、10回KO勝ちで初めてタイトルを獲得した。「最終的には世界チャンピオンになりたかったのですけど、日本一というひとつの目標をかなえたという達成感と高揚感はありました。あと応援しくれる方々の期待に応えられたという気持ちは大きかったです」と振り返った。
しかし、喜びもつかの間、思わぬ悲劇が起こった。リング上で対戦相手の辻さんが急性硬膜下血腫で試合の3日後に死亡。「僕も控室で気を失って、そのまま病院に緊急搬送されて、半日ほど昏睡状態になって、気づいたらベッドの上で。対戦相手も病院で集中治療室にいてる話は聞いていて。ずっと気になっていて、3日後に亡くなられたんですけど、その当日も会長から聞いて…」。ショックは大きすぎた。
「もう訳が分からん気持ちが強かったです。ボクシングが危険な競技やって分かっているんですけど、自分が当事者になると思ってやっているボクサーってホンマに少ないと思うし、僕もそうやったので。実際に当事者になって訳が分からなくなった」。何も考えることはできなかったが、辻さんに対する思いは強く心の中にあった。
辻さんの告別式、葬儀に参列した。「辻さんの分まで生きるって言ったら、辻さんは望んでいないかもしれないけど、何と言ったらいいのか…。もし、僕が辻さんの立場で、現在の僕がしょうもない生き方をしていたら、俺、こんなヤツに負けたんかよって絶対に思うんですよね。だからこそ、対戦相手に失礼のない生き方をするのが、一番の償いじゃないですけど、強い思いというか…ですね。自分がボクシングで戦ってきた中で一番強かった相手ですし、生きていく中での心の支えになっています」。亡き戦友に対して、胸を張れる生き方をしていこうと心に決めた。
ただ、自身もその後に硬膜下血腫が判明。JBC(日本ボクシングコミッション)から引退勧告を受け、タイトルを返上して同年5月に引退した。「世界チャンピオンになりたいという目標が断たれて、もうボクシングができない挫折感はありましたけど、やらなくて済むというホッとした感情はありました。そっちの方が大きかったかな」。体には試合のダメージが残っていて、ケガに対する怖さもあった。
ジムの会長の勧めでボートレーサーに転身。12年11月に住之江ボートでデビューした。ボクシングの元日本王者で注目を集めたが、成績はさっぱり。ネットの掲示板で誹謗中傷されて落ち込むこともあった。結局1勝しか挙げることができず、成績不振で19年11月に引退を余儀なくされた。「ボクサーやっている時ほど真摯に競技に対して取り組めなかった、努力できなかった。そらクビですよね。それぐらいの練習しかしていないという感じでしたね」と振り返った。
引退後の青写真は描いていた。「(引退する)1年前ぐらいから、もうこの成績のままじゃ、クビなるのは分かっていて、結婚して娘も1人いるので、引退してからいざ就職を見つけるとなるともう遅いと思っていたんで、引退後はサロンを開こうと考えていました」。選手生活の合間にリラクゼーションサロンの勉強を始め、大手のサロンで研修や経験を重ねて、20年3月に南海高野線の堺東駅近くに開業した。
コロナ禍で客が全く来ない日々もあったが、ようやく軌道に乗ってきた。「家族のためというのもありますけど、それ以上に対戦相手のことの方が大きかったですね。自分がそのまま腐っていって、うじうじして生きてくのは、一番あかんことやと思っているので、それが一番強かったと思いますね」。これからも前を向いて自分の進むべき道を堂々と歩む。
◆金光佑治(かねみつ・ゆうじ)1984年5月14日生まれ、40歳。大阪府堺市出身。2003年4月六島ジム所属のプロボクサーとしてデビュー。09年3月に日本ミニマム級タイトルマッチで10回KO勝ちを決めタイトル獲得も試合後に硬膜下血腫が判明したため、同年5月にタイトルを返上して引退。ボートレーサーに転向して12年11月に住之江ボートでデビューするも成績不振のため19年11月に引退。20年3月に大阪府堺市にリラクゼーションサロン『ほぐし屋KID』をオープン。
(よろず~ニュース・中江 寿)
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