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織田信長を暗殺しようとした佐々成政の「エグい手口」 大蛇の“鑑賞”勧め一気に… 識者が語る

よろず~ニュース / 2024年6月9日 11時0分

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画像はイメージです(freehand/stock.adobe.com)

 戦国時代、尾張国の清洲から50町ばかり離れたところにある「あまが池」には大蛇がいると言い伝えられていましたが、それに興味を持ったのが、若い頃の織田信長でした。

 人々を恐怖させる大蛇を見つけてやろうと、信長は自ら池に入りますが、大蛇発見はならず。いないものは仕方がないということで、信長は長逗留せず、素早くこの地を去っています(信長の家臣・太田牛一の著書『信長公記』)。 この信長の対応は、「大正解」となりました。なぜなら、信長暗殺計画が密かに進行していたからです。

 「あまが池」の側には、比良(名古屋市西区)というところがあり、そこの城には佐々内蔵助成政がいたのですが、『信長公記』によると、彼は信長を殺そうとしていたのでした。成政が信長を殺そうとしているとの噂は既に流れており、信長は真偽を糾そうと成政を呼びだそうとしたとのことです。が、成政は重病を理由にして、遂に現れませんでした。

 成政はそれでも信長が比良城にやって来ると思っていたようです。比良城は名城であり、ここを獲るために信長は城に来て、自分(成政)に腹切らせるものと思っていたのでした。 信長が城を訪れるなら、その時が好機。「信長を討ち果たしましょう」と成政に進言したのが、家臣の井口太郎左衛門でした。

 井口は暗殺方法を具体的に語ります。信長が城を訪れた際には「ここに舟がございます。この舟に乗り、水上からあまが池の大蛇の姿をご覧になっては如何」と誘う。信長が舟に乗ったら、井口は小者に脇差を渡す(これは偽装工作でした)。舟を漕ぐ井口。

 信長は小姓衆もしくは年寄衆を引き連れているであろうが、井口は機を見て、信長を引き寄せ、隠し持っていた「小脇差」にて、何度も何度も信長を「つきころす」(突き殺す)。そして信長に組み付いたまま、川に落ちる。これが、成政と井口が相談して決めた信長暗殺方法でした。

 しかし、案に相違して、信長は「あまが池」から比良城に寄らず、清洲に帰ってしまったのです。暗殺は未遂に終わります。『信長公記』は信長を「大将ともなる人は、万事に気を付けられ、油断されていない」とその対応を称賛しています。成政逆心の噂が流れていたのですから、信長は用心して比良には立ち寄らなかったのでしょう。

(歴史学者・濱田 浩一郎)

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