ジャイアント馬場さんが明石に残した1・17震災慰霊碑、近くには夫人と眠る墓 神戸の被災地で支援活動も
よろず~ニュース / 2025年1月17日 5時46分
阪神・淡路大震災の被災地・明石にジャイアント馬場さんが残した慰霊碑。冬の日にたたずむ=兵庫・明石公園
阪神・淡路大震災の発生から17日で30年の節目を迎えた。失われた命を悼むと共に、今を生きる人たちに記憶をつなぐ慰霊碑が被災地に残され、その一つが神戸市に隣接する明石市にもある。不世出のプロレスラーとして一時代を築いたジャイアント馬場さんの尽力によって建立された碑だ。現地を訪ね、当時を知る関係者にも話を聞いた。
JR明石駅の北にある兵庫県立明石公園の正面入り口から2分ほど。正面にそびえる明石城の手前を左に曲がると芝生広場の木の下に白御影石の碑が立っている。高さは馬場さんの身長と同じ2メートル9センチ。神戸出身の詩人で、2022年に90歳で他界した安水稔和氏による「これは」と題された詩が刻まれている。
「これはいつかあったこと。これはいつかあること。だからよく記憶すること。だから繰り返し記憶すること。このさき わたしたちが生きのびるために。」
傍らにある黒御影石の記録碑には「死者二十六人 負傷者千七百四十五人」などと明石の被害が記され、側面には「建立 明石ロータリークラブ」「寄贈 全日本プロレスリング(株)」とある。
馬場さんはプロ野球・巨人の投手時代にキャンプ地だった明石で地元後援者の娘だった元子さんと出会い、後に結婚。95年の震災後にはお忍びで明石を訪れ、被害のあった元子夫人の実家を片付けながら、被災したファンの元へ出向いて支援物資を届けた。
馬場さんに帯同したレフェリー歴50年の和田京平氏(70)が当時を振り返った。
「神戸の三宮駅から馬場さんと一緒に混んでいる電車に乗って明石まで行きましたよ。元子さんのご実家を片付けてから、神戸で被災した全日本プロレスのファンクラブ会員の人たちに連絡し、教えてもらった住所を元に、僕と仲田龍リングアナ、馬場さんの3人で、車のトランクに水やカセットコンロ、カップ麺などをたくさん積んで運びました。倒れている家の表札を見て『こんばんは』と声を掛けたら、出てきた少年が『泥棒に入られたら困るから、僕が一人で守ってるんです』と言うので、馬場さんが『ご苦労だね。これ使ってね』と水やコンロを手渡していたのを覚えています。避難所では『自分が行くと目立って皆さんに迷惑がかかるから』と、僕らが外に連れ出したファンの人たちに馬場さんが『大変だったね』と言いながら水やコンロを手渡す…ということを繰り返しました」
馬場さんは試合会場で募った義援金を明石ロータリークラブに寄付。98年に「阪神淡路大震災記録碑」が建てられ、除幕式には馬場さんと元子夫人も出席した。
「その時は東京で留守番をしていました」と語るのは、共に被災地で支援活動をした元子夫人の姪・緒方理咲子さん(67)だ。馬場さんとの最初の出会いは中学3年時。旗揚げ間もない全日本プロレスの東京・六本木にある事務所で、元子さんから「あなたの叔父さんになる人よ」と紹介された。
緒方さんは「私の母は4人きょうだいの長女で、元子は末の三女です。母や元子の父である、私の祖父はジャイアンツの後援会長として馬場さんにつながっていくわけですけど、ロータリアンでもあったので、みなさんの力をお借りして慰霊碑ができました。私もその後、現地で碑を拝見しました。明石は叔父と叔母が出会った場所。二人は明石にお墓を購入し、〝終(つい)の棲家〟となりました」と振り返る。
馬場さんは99年に61歳で死去。遺骨は元子夫人が都内の自宅で保管していたが、夫人が2018年に78歳で亡くなった後、そろって明石市の本松寺にある墓に納骨された。明石駅から徒歩約10分の高台にある寺の境内には「馬場家各霊位」と記された墓石があり、右前には黒御影石で作られた馬場さんの原寸大リングシューズのモニュメントが設置されている。
緒方さんは「ファンの方々に見つけていただきやすいように、リングシューズのモニュメントは作られました」と説明。その一方、公共の場にある慰霊碑には馬場さんに関する記述はない。緒方さんは「震災時の支援活動も、慰霊碑もそうですが、叔父はそういうことを声高に言うタイプではなかったです。一緒に明石の家に泊まり込み、ドラム缶のたき火で寒さをしのぎながら片付けたことを思い出します。あっという間の30年でしたね」と感慨に浸った。
「1・17」から2週間後には、馬場さんの命日「1・31」を迎える。
(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)
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