あの『素材の会社!』AGC会長【島村琢哉】の『両利きの経営』!社会が求める素材を開発し、提供し続ける!
財界オンライン / 2022年1月25日 7時0分
「自分たちの原点に戻ろう」と社内に呼びかけたのは社長に就任した2015年の創立記念日のとき。祖業のガラスを始め、化学・電子事業にしても、その時代時代の主要産業に必要な素材を提供してきたという同社の歴史。創業者・岩崎俊彌が1907年(明治40年)、近代日本の建設にはビルや建物の整備が不可欠で、そのためにガラスの国産化に着手。以来、世の中が求める素材を開発、提供してきたが、1990年代後半から基礎化学品、特に塩化ビニール部門など汎用品(コモディティ)が構造不況となり、化学事業の赤字に悩まされた。
その業績低迷期にトップとして登場したのが島村琢哉氏で経営の構造改革を決断。伝統製品の塩ビや苛性ソーダの国内事業は縮小して需給バランスを取り、成長が期待される東南アジアの拠点を強化。同時にバイオ医薬関連のCDMO(受託製造)など新規事業を伸ばすことに注力。既存事業の付加価値を高め、最先端部門の発展を図る『両利きの経営』である。
本誌主幹
文=村田 博文
≪島村琢哉会長も受賞者!≫【経営者のノーベル賞】令和3年度「財界賞」はYoutubeライブでオンライン配信
社名を『AGC』に変更した理由
もともと、社長を務めるのは2期6年と心の中で決めていた。この間に「自分としてやれる事を全てやり切ろう」と事業変革に臨んだのが、島村琢哉氏(1956年=昭和31年12月25日生まれ)である。
社長になって6年目の2020年12月期は、パンデミック(世界的大流行)のコロナ禍に遭遇。業績も落ち込んだが、島村氏は心の中で決めていた通り、社長の座を退き、会長に就任した。それから約1年が経つ。
2021年12月期はこれまでの事業構造改革が功を奏して大幅な増収増益が見込まれる。
ちなみに、同期の売上高は1兆6700億円(20年12月期は1兆4123億円)、営業利益は1870億円(同597億円)の見通しである。
祖業のガラス、それに塩化ビニールや苛性ソーダなど汎用性のある化学事業を収益性のある事業に変革し、同じ化学分野でもフッ素樹脂などの得意分野を伸ばすという島村氏の事業構造改革。
事実、電子事業分野では半導体の回路パターン作製に同社の複合材料が活用されるなど、最先端領域で地歩を固める。
『両利きの経営』─。既存事業の付加価値を高め、同時に新規の領域を開拓して、最先端を追うという戦略。この『両利きの経営』に道筋をつけた島村氏。
その島村氏は2021年1月、社長職を平井良典氏(1959年=昭和34年生まれ)にバトンタッチ、自らは代表取締役会長に就任した。
そして、それから2か月後の同年3月、代表権を外し、取締役会長に就任という足取り。『両利きの経営』への道筋をつけるまでには、経営トップとしての覚悟と決断が求められた。既存事業の再編と、新しい分野の開拓・新事業創出を実行しなければならないからだ。
何より大事なのは、社内の意識改革。その意識改革を進めるためにもと、島村氏は社名変更にも踏み切った。
旧社名の『旭硝子』は長年使い慣れたもの。祖業はガラスということもあり、特にOBの間では愛着があり、社名変更には〝抵抗〟もあった。
そうした関係者との対話を重ねつつ、島村氏は『旭硝子』から『AGC硝子』としていた社名を、『AGC』に変更。社長就任から3年後の2018年のことである。
祖業はガラスといっても、同社の化学、セラミック事業も歴史は古い。
「ガラスだけではもう、うちの会社全体を表現できなくなっていました。その位、ある意味で多角化していましたからね。ところが、アナリストからすると、コングロマリットディスカウントになってしまうわけです」
島村氏は社名変更に踏み切った動機をこう切り出し、次のように続ける。
「(グループ内の)化学の会社、化学部門も一生懸命やっているし、ガラスもやはりそれなりにやり方を変えて、機能製品の領域を手がけたりしてきた。それまでの量を追うよりも、高機能化という方向に変えていこうと。それが出来ない事業は縮小していくようなこともあって、ポートフォリオの組み替えをやっていくことが必要なんだなと。その時にいつまでも硝子(ガラス)という名前を使うこともないねということですね。何よりもう一度、社員にはわれわれは素材のメーカーだということを意識してもらおうと」
確かに、祖業のガラスも進化─。同社の強みは、高い省エネ性能を実現するコーティング技術にある。例えば、板ガラスに特殊金属膜をコーティングした『Low―Eガラス』などにその技術が生かされている。
冬季に暖房が欠かせない地域には『断熱タイプ』、夏季に冷房を多用する地域では『遮熱タイプ』の建築用ガラスを用意するといった具合に、柔軟かつ多様な販売戦略を進める。
建築用ガラス市場での世界シェアはトップクラスだ。
ガラスは建設インフラを整備していく上で重要な素材であることに変わりはない。化学やセラミック、電子部品事業と共に、世界が求める素材を提供していくということでは、その存在意義は同じだ。
それが以前の旧社名・旭硝子時代は、ガラスが本業なのに、なぜ、化学品事業を手がけているのか─と一般に受け取られがちだった。
島村氏が社長に就任する以前の90年代後半、化学品事業は毎年数十億円もの赤字を出していたから、なおさらであった。
アナリストなどからは、「化学品事業を切り離すか、止めたらどうか」といった声が寄せられていた。
多くの事業を手がけるコングロマリットは経営資源が分散され、業績が低迷しがちだというコングロマリットディスカウント論である。ともあれ、島村氏の事業改革着手から7年、同社はコロナ禍にあって、21年12月期で増収増益を果たすまでになった。
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いかに、強みを伸ばしていくか
『両利き経営』の成果はどうか?
ガラスは今でも全売り上げの48%と半分近くを占める。
化学品事業の売上比率は32%だが、今では全体の利益の6割を稼ぎ出すまでに成長。ガラス、化学品部門共に自らの変革を実践してきたということだ。
この化学品部門の中で、フッ素を持っているのも同社の強み。フッ素樹脂は連続使用温度
で、摂氏260度まで耐えられるという耐熱性に優れ、ほとんどの薬品に使えるという耐薬品性、それに耐摩擦性、絶縁性など多くの優れた特徴を持つ。
調理での焦げ付きを防ぐために〝テフロン加工〟したフライパンなどの調理用品から、半導体、化学電子機械、そして医療など産業の最先端分野まで使われる素材である。
また、バイオ医薬品のCDMO(医薬品受託製造)もこれから伸びが期待される事業だ。
「日本の薬というのは合成医薬のいわゆる大衆薬が大半なんです。ところが、これから先の薬というのは、テーラーメイドで1人ひとりにフィットするような薬におそらく進化していく。最終的には、再生医療という所までいく。そういう意味からすると、バイオというのは非常に可能性のあるものだと。でも自分たちがやって来た所ではジャンプアップできなかった。それで買収先を探していたんです。それがうまくフィットして、買収(M&A)しました」
グループのバイオ関連事業会社の本社は、米国・ニューヨークに設置。ガバナンスを利かす上で、「この分野のトップを日本人がやると多分失敗します」と島村氏。グループ各社のガバナンス(統治)も進化し続ける。
新社名の『AGC』は、旭硝子の英語名の頭文字から取ったものだが、同時に、アドバンス(Advance、前進・進化した)、ガラス、ケミカル(Chemical、化学)、セラミック(Ceramic)の頭文字を取っているという。同社関係者の思いでもある。
変化の激しい時代こそ、創業の原点を見つめて
島村氏の社長就任時(2015年)は、同社の業績が低迷していた時期。島村氏自身は化学品畑の出身。その化学品事業が年間60億円の赤字を出し続け、同社のお荷物扱いされてきた。
会社全体の流れで見ると、同社は2010年に史上最高の営業利益約2300億円を記録。これは当時液晶テレビの全盛期で、シャープなど液晶テレビメーカーが最高潮の時。それに伴って、AGC(当時は旭硝子)のガラス部門も絶好調で、史上最高益を計上した。
しかし、液晶テレビの人気はアッという間に退潮。韓国、中国などの新興勢力に液晶テレビのセットメーカーは駆逐され、それがAGCにも打撃となってハネ返ってきた。
実に、時代の変化、社会の移り変わりは激しい。
同社の業績も史上最高の営業利益(約2300億円)を出した4年後、営業利益は620億円にまで急落した。島村氏が社長に就任する直前である。
そのドン底から、いかにして這い上がるかという課題を背負っての島村氏の登場であった。
「創業の原点に立ち返ろう」─。島村氏は社長就任後にまず、こう社内に呼びかけた。
同社の創業者は岩崎俊彌(1881―1930)。三菱グループ創業者・岩崎彌太郎の次
弟・彌之助(旧三菱財団2代目)の次男である。長兄・小彌太は3代目・岩崎久彌(初代・
彌太郎の長男)の後を受けて4代目に就任している。
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創業者・岩崎俊彌の思い
岩崎俊彌自身は旧東京高等師範学校の付属小と付属中(後の東京教育大学=現筑波大学付属高校)を経て、英国ロンドン大学に留学、化学を専攻して帰国。
日本の近代化が急がれていた明治後期、ビルやその他の建物など、建設インフラの整備も急務だった。そのビルや建物に不可欠のガラスをどう国産化するかは大きな課題であった。
当時、ガラスはベルギーから全面輸入という状態。岩崎俊彌はガラスの国産化を果たそうと、1907年(明治40年)に旭硝子を設立した。国内の建設産業に国内産の素材を提供するという使命を背負っての同社設立であった。
先駆的事業ということでいえば、当時、最先端技術の『電解法』による事業もそうであった。塩水の電気分解による苛性ソーダと塩素の製造。苛性ソーダは諸工業から生活関連の食品まで幅広い領域で使われ、その用途は広い。
塩素もまた塩ビ樹脂の製造などに使われ、用途が広い。
ガラスにしろ、『電解法』による化学品事業にしろ、先駆者的な存在だ。
諸工業の原料となる苛性ソーダと塩素の製造には以前、水銀法やアスベストを使う隔膜法が使われていたが、同社は公害を出さない『イオン交換膜法』を確立。有害物質を使用しないだけではなく、消費エネルギーを抑える世界最高水準の環境にやさしい『電解法』を開発した。
日本では「不振」でも東南アジアでは「成長」
しかし、事業を取り巻く環境も100年余の歴史の中で大きく変化してきた。
例えば、塩化ビニール事業がそうだ。日本の産業界は1970年代の2度にわたる石油ショックによる電力高騰や円高などで国際競争力を失い、塩ビは構造不況業種になった。
同社も塩素を生産しており、塩素の誘導品として塩ビ関連を手がけてきたが、苦境に立たされることとなった。
塩ビは加工しやすい樹脂ということで、いろいろな産業領域で需要があるのだが、参入企業も多く、石油ショック後は供給過剰による過当競争となった。
政府も構造不況対策の法律をつくったり、業界も共販会社をつくるなどの対策を立てたが、「国内の需要がもう頭打ちになった。一方、能力が多いので過剰生産になり値段は上がらない。原料価格は上がり、収益が悪くなる一方」という状態に突入。
1995年頃から、景気がおかしくなり、98年から3年間くらいは基礎化学品、特に塩ビの不振はひどく、年間数十億円もの営業赤字を出すほどに状況は悪化した。
この頃から、米マッキンゼーなどのコンサルティング会社からは、「化学品は切り離した方がいい」と売却を推奨する声が出始める。
97年、98年といえば、山一證券や日本長期信用銀行などの経営が破綻し、金融危機に見舞われた。この頃から日本のデフレが始まり、厳しい世相が続いた。
その頃、島村氏は40代前半で、基礎化学品の担当部長を務め、現場の苦悩を体験した身。
当時の経営陣の間でも、売却案を口にする人が現われた。
ただ、売却するにしても、利益の出ない事業だから、買い手もつかない。そういう状況で、
同社はどのような手を打っていったのか?
国内は供給過剰で不振でも、目を外に転ずれば、東南アジアは成長している。
同社は1960年代にタイに1980年代にはインドネシアに電解工場を開設していた。
グローバルな視点で見れば、国内で化学の構造改革を実行し、東南アジアで成長戦略を取
るという方策が浮かぶ。
現実に島村氏は2003年から2006年にかけての3年間、現地の『アサヒマス・ケミカル』社長として、インドネシアに赴任し、実効を上げた。
「同じ塩ビでも、日本だと儲からないんですが、インドネシアなど東南アジアでは利益が出
る。ところが、やはり一緒くたに皆見るわけですよ。塩ビは儲からないものだと。しかし目線を変えて見れば、まだまだ可能性があるものがあると。それは、機能で見るような製品もあるし、(塩ビのような)コモディティ、汎用品で歴史の長いものについては、1つは地域の軸で見るということによって展望が開ける」
塩ビにしろ、苛性ソーダにしろ、コモディティ化した商品の典型。それを生かすには、商品を機能軸で見るのではなく、
「マーケットの地域軸」で捉え直そうというポートフォリオ戦略である。
国や地域ごとの事情そして特性を吟味して
もっとも、その国にはその国独自の事情や経営風土、商習慣があり、単純に『日本市場は衰退、新興市場は成長一本やり』という図式では解けない。
その国や地域ごとに試練や課題もある。1997年夏、タイの通貨・バーツが対ドルで下落した。これを震源にアジア各国に自国通貨下落が伝播。インドネシアの通貨・ルピアも暴落し、経済危機に見舞われた。反面、ルピア安で同国の輸出競争力は高まった。
当時、中国は改革開放(1978)から20年が経ち、塩ビや苛性ソーダの需要も伸び盛り。そこで、同社も中国市場に進出。
しかし、時代の変化は激しい。島村氏がインドネシアに駐在して2年目位から、中国の生
産スタイルも急速に変化。
「だんだん中国国内ではアセチレンカーバイド法という中国の生産スタイルが主流になってきて、いろいろな所から中国に売りに行くわけです、日本も。しかし、それをそのままマーケットでやっていたら、また同じことになる。だから、中国から引いて、インドとか西の地域に(販売先を)シフトさせた」
グローバル展開と言っても、一様ではない。その国や地域ごとの対応があるということだ。
話は変わるが、今、塩ビの世界最大のメーカーは信越化学工業の米国子会社・シンテック(年産324万㌧)。信越化学が世界で有数の化学会社に飛躍する原動力になったシンテックは、1974年米テキサス州で操業を開始。次いで、隣のルイジアナ州で次々と工場を拡大。米国南部は原料塩も確保でき、製品は北米、中南米はもとより、グローバル市場に販売する拠点として、立地上も有利というポジション。
これも、石油ショックの時、コモディティ化した塩ビをどこで生産・販売すればいいかを検討し、成長先を米国と見定めた信越化学首脳陣に先見の明があったということであろう。
成熟商品でも、成長の糧になるという1つの教訓である。
信越化学の米国南部戦略といい、AGCの東南アジア戦略といい、地域軸を取ってのポートフォリオ戦略が功を奏した。
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易きになじまず難きにつく
事業のあり方や構造改革には必ず抵抗や異論がつきまとう。
塩ビや苛性ソーダなどの基礎化学品の国内事業の構造改革をする時もそれはあった。
大阪など西日本で苛性ソーダを撤退し、東南アジアにシフトする時も、「全国で苛性ソーダNO1という座は守らないと」と、OBを中心に反対論が出て、販売特約店などからも、不満が噴出した。
しかし、変革を進めない限り、会社全体がもたないし、そうなると、「結果的に周りの人
に迷惑をかけてしまう」として、3年がかりで解決していった。
その時、島村氏は創業精神の本質は何だったのかと考え続けた。それは、「時代時代のリーディングインダストリーに素材を提供していくことで自らの成長を図る」ということ。
しかるに、外部のアナリストたちからは、「なぜガラス企業が化学をやっているのだ」という見方をされてしまう。
自分たちからすれば、ガラスも化学も需要者のニーズに応えてやっているのにという思い。そうした思いと外部からの見方とのズレをどう解消するか。
「それならば、ガラスメーカーということを1回シャッフルして、素材メーカーであることを再確認しようと。世の中が必要な素材を開発して提供していくというのが、もともとオリジンの創業精神の根本なんじゃないかと。わたしはそう思い、それを社内に言い続けたんです」
島村氏は祖業のガラスとは違う化学畑の出身。社内意識統一のため、社名変更にも及んだわけだが、これも「歴史あるガラス畑出身の社長だったら、できなかったと思います。わたしみたいなアウトローな人間だと、素材の会社だよねと。世の中が求めるもの、そういう素材を提供していくのがわれわれの使命なのではないかということを言い続け、3年位かかりました」
という島村氏の述懐。
事業構造改革の〝よすが〟となった創業精神。それを読み返して、最も印象に残ったのは、『易きになじまず難きにつく』という言葉。
この言葉の後に、それをサポートするメッセージが続く。
『人を信ずる心が人を動かす』と『世界に冠たる自社技術の確立を』、そして『開発成功の鍵は使命感にあり』である。
こうした創業精神と、『第2の創業』という気持ちで変革に臨んだ経営者としての覚悟。
事業構造改革に覚悟は不可欠だ。経営の原点を常に確認し続けることが自分たちの使命感を高めるということである。
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