【倉本聰:富良野風話】神かくし
財界オンライン / 2022年1月27日 15時0分
物忘れがどんどん激しくなっている、という気がする。かくかくの材料で今回の原稿は書こうと思い、書き出しても、待てよ、この材料、前にも使ったのではなかったか、と不安になる。担当者に問い合わせても、敵の返答もあいまいである。僕より30は若いくせに、敵にも物忘れが始まっているらしい。一寸うれしい。
【倉本聰:富良野風話】クソ考
藤沢周平の小説が好きで、全てとっくに読み尽くしてしまった。そう思っていたのだが、ある日、本屋で初めて見る文庫本にぶち当たる。あれ? と思ってペラペラめくってみるが全く読んだことのない新作である。しかも上下の二巻本。うれしさにドキドキ心が弾む。買って帰って2日かけて読む。新鮮な感動が心に突き上げる。どうして今まで読んでなかったのだろうと、自分の記憶を不思議に思う。非常に得をした気分になってその本を書庫の奥に閉しまいに行く。本棚にさしかけて凍結する。同じ本が既にきちんと並んでいる。しかも御丁寧に上下本が二組み、上上下下と並んでいる。そこへまた上下をさしこむことになる。こういうことがしばしば起こる。最近ではあきらめ、良かったではないかと思うことにしている。忘れたおかげで新鮮な感動を改めて新規に味わえたのだ。良かったではないか。
テレビでも同じ現象が起こる。夫婦で愛好する『開運!なんでも鑑定団』。週に3回放送される。途中で「これ観た! 」と老妻が叫ぶ。黙れ!と反射的に怒鳴り返す。一度観たことがあろうとあるまいと、こっちは忘れて楽しんでいるのだ。そこに水をさすな、黙れ! となるのである。
〝忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を思う心の悲しさよ〟だっけ。菊田一夫の大ヒット作『君の名は』の冒頭の一節だが、こっちにはもはや、その言葉すら正しく思い出せなくなっているのである。
老いるということは忘れるということで、人はだんだん浮世のもろもろを忘却し尽くし、死ぬことになるのだろう。ついでに痛みも苦しみも忘れさせていただけるとありがたいのだが。
最近時々〝神かくし〟に出逢う。
ライターがない、時計がない、眼鏡がない。つい今さっきまで使っていたものが、突如わけもなく消え失せてしまう。それが外出の寸前だったりすると、家中大さわぎで探査することになり、やれトイレはとか、カバンの中はとか、ポケットの奥に入っているンじゃないかとか、一一〇番に通報したくなる寸前位の大規模探査が敢行されるのだが、ふと気がつくと、そのライターが目の前の卓上に何故かポツンと置かれてたりする。
そういう事態がしばしば起きる。
家人は無言で非難の視線を僕に黙って浴びせかけてくるが、僕はこの現象を明らかな〝神かくし〟。古来、日本の家屋に居つく座敷わらしの仕業だと思っている。呆けや物忘れとは絶対にちがう。
【倉本聰:富良野風話】ガラパゴス・シニア
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