長門正貢・前日本郵政社長はウクライナ危機、米金融政策をどう見ているのか?
財界オンライン / 2022年3月16日 18時0分
「これまでの危機は、大多数の人は危機だと感じていなかった」─こう話すのは前日本郵政社長で、現在マッキンゼー・アンド・カンパニーシニア・アドバイザーの長門正貢氏。日本のバブル崩壊やアジア通貨危機、リーマンショックを経験しての実感だ。今、ウクライナ危機、コロナ禍など、世界が危機に直面しているが、「これまでの危機に比べても難しいが、リスクがはっきりしていることは唯一の救い」と指摘。危機感を世界各国が共有していることで、課題を克服することに期待する。
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ウクライナ危機で米国の金融政策はどうなる?
─ ロシアがウクライナに侵攻し、国際秩序が大きく揺さぶられています。その中で、世界の金融政策を大きく左右するFRB(米連邦準備制度理事会)が金融政策を転換し、金利引き上げに動こうとしていますが、今後をどう見通していますか。
長門 ロシアのウクライナ侵攻が勃発する以前、FRBは物価がインフレ的状況を明確に呈してきているという判断で金融緩和をやめることにしたわけです。従来は6月まで時間をかけて、国債等の購入の純増部分をゼロにする方針でしたが、前倒しして3月に完了する上、さらに金利を上げる方針を示しています。
これまでのFRBの議論では年間3回、0.25%ずつ金利を上げるということでしたが、マーケットからは5回、あるいは6回上げるのではないか、当初から0.5%上げるのではないかと見られていました。
─ ロシアのウクライナ侵攻を受けて、情勢は変わる?
長門 確かにこれは侵攻前のシナリオです。ロシアの侵攻を受けて世界の株式市場は大きく値を落とし、原油価格が高騰するなどマーケットは動揺しているわけですが、この状況をFRBも見ています。
今後、景気への悪影響が予想されますから、市場が予測したような年5、6回の利上げや、0.5%の引き上げなどは難しいと判断する局面も出てくるのではないかと思います。FRBも慎重に、オーバーキル(景気の抑え過ぎ)にならないようにするといった警戒モードになっているのではないでしょうか。
ただし、物価が上がってきているという事実はあり、これは看過できないことから、テーパリング(金融緩和の縮小)は確実に行うでしょうし、今後よほどのことがマーケットで起こらない限り、0.25%の利上げも行うだろうと思います。単に利上げをするのではなく、よくマーケットの状況を見極めようとしている状況でしょう。
─ FRBとしてはインフレを抑えようという考えは変わらないということですね。
長門 ええ。インフレ的状況になっているのはコロナの後遺症です。物流網の寸断、半導体不足といったディスラプション(崩壊)が起きているわけですが、ロシアのウクライナ侵攻で、このディスラプションがさらに拡大する懸念があり、インフレ的状況が一層厳しく出てくる可能性すらあります。
状況を見ながら動くというのがFRBのスタンスでしょうが、マーケットは相当荒れて来ていますから、不用意に金利を大きく上げたりすると「泣きっ面に蜂」の状況に陥りかねません。
ロシアの動きに呼応して中国は動いてくるのか?
─ 今回の侵攻が世界の政治、経済に与える影響をどう見通していますか。
長門 これは非常に読みづらいですね。これまでロシア、プーチン大統領は米国やNATO(北大西洋条約機構)と議論をしていましたが、これはある意味で「時間稼ぎ」と「アリバイ作り」で、自国の世論も睨みながら周到にウクライナへの侵攻を検討してきたのだと思います。
今回の軍の規模や配置の場所を見てもそうですし、ウクライナ東部の2地域の「独立」を一方的に承認したことを見ても、最初から侵攻するつもりで準備してきたのでしょう。現在の状況はプーチン大統領のシナリオ通りなのではないでしょうか。
これを受けて米国、NATOがどう動くのかが、今後の焦点になります。ロシアは国際平和、国際ルールを蹂躙していますし、14年の「クリミア併合」以上のことを今回、やろうとしていますから。ウクライナの首都・キエフを制圧し、支配下に置くことを目指していると見ています。
─ 世界の国々や企業への影響をどう見ますか。
長門 ロシアに資産を持つ銀行や企業で痛手を被るところが出てくるでしょうし、サハリンで開発している天然ガスを巡って、様々な問題が起きる可能性もあります。また、確実に原油価格は高騰するでしょうし、それ以上に天然ガス価格が高騰して欧州は厳しい状況に置かれると思います。
これらは世界経済に悪影響を与えますが、さらに大きな長期的戦争に発展しなければ、リスクは明確で読み切れると思います。ただ、米国やNATOがロシアに対抗して軍を出し、交戦した場合には、ウクライナだけの問題では終わらないことになります。
また、この機に乗じて中国が台湾を侵攻するのではないかということも懸念されていますが、現時点でその可能性は低いと見ています。中国は10年単位で物事を考えていますから、今すぐに動くとは考えにくい。ただ、領有権を主張し、人工島を築いた南沙諸島の軍事拠点化を強化したり、尖閣諸島に絡む日本への牽制を強める可能性はあります。
もはや米国だけでは世界の秩序は守りきれないと足元を見て、中国がロシアに呼応して米国の覇権を揺るがすような積極的なチャレンジをしてくると、米国の金融政策だけの話ではなくなります。ですからFRBも次の展開については、米政府とも協力していく必要があります。
─ 今回、改めてロシアの領土拡張の意思が明確に示された形になります。
長門 ロシアもかつてのソビエト連邦と同じく、領土拡張の野心を持っていたということですね。しかも、それを外交で行うのではなく、軍事力を行使するということが今回、改めて明確になりました。
経済的に見れば、ロシアのGDP(国内総生産)はカナダよりも小さいわけですが軍事力、核兵器を持っていることで大国としての立場を維持している。
今回の侵攻が「100年の計」で考えた時に、ロシアにとっていい方法だったのかどうか。米国やNATO、その他周辺国を含め、改めてロシアのやり方は骨身に染みたと思いますし、賢いやり方ではなかったのではないかと思います。
コロナと脱炭素がインフレ懸念の背景に
─ ロシアの侵攻以前から世界の株価は下落基調にありました。この背景は?
長門 これまで金融緩和で余剰資金があり、世界でバブル的様相を呈していましたが、それが一部調整して下落しているということですが、背景にあったのはコロナとカーボンニュートラルというテーマだと思います。
余剰資金という観点で言えば、昨年6月の統計で米国には17.1兆ドル、1ドル=100円で換算すると約1700兆円の預金残高があります。米国のエコノミストの試算では、このうちの2.5兆ドル、約250兆円が過剰預金となっています。昨年6月の統計ですから、今はさらに増えていると思います。
これはなぜかというと、コロナ禍を受けて米国でも給付金を出していますが、もらってもみんな使い道がない上に、将来が不安だということで貯めてしまっているのです。
─ 非常に消費意欲が強いといわれる米国人が貯金をしてしまっていると。
長門 ええ。これだけの過剰貯金があれば、しばらく働かなくても生きていけます。飲食店やホテルで働いているとクビになってしまいますから、貯金があるうちにもっといい仕事を探そうとしているわけです。
今、米国の港湾で人手不足が言われていますし、船がなかなか入ってこないので物流も滞っています。半導体不足も続いています。これらはコロナの悪影響です。FRBもこの事態はわかっています。ただ、当初2、3カ月もすれば解消すると思っていたものが、もっと長くかかりそうな情勢になっています。
─ カーボンニュートラルも要因の1つだという意味は?
長門 今、カーボンニュートラルの流れを受けて、石炭火力発電のプロジェクトには資金が付きにくくなっています。ただ、太陽光発電や風力発電だけでは電力はまかなえません。
例えば昨年、常に強い風が吹くスペインでパタッと風が止まり、風力発電ができなくなりました。今後、世界中で同様の事態が起きる可能性が高い。中国などは改めて急遽、石炭火力にシフトしていますし、日本はLNGの輸入を増やすなど、エネルギーを巡って世界が混乱し、価格が高騰したわけです。
エネルギー改革には時間がかかりますし、再生可能エネルギーは天候に左右されますから、安定的な電源の確保が重要になります。しかし日本では原子力の再稼働や新設の議論がしにくくなっています。
このコロナの副作用とカーボンニュートラルがインフレ的状況の要因になっており、世界経済が大変脆弱な状態になっているところに、今回のウクライナ危機が起きた。今後、さらに大変な状況になる懸念もあります。
各国の当局も迷うくらい前提条件が動いていて、しかも全てが深刻な懸念をはらんでいる。読み間違えたり、逆の手を打ってしまうと大変なことになる、難しい状況にあります。
日本のバブル崩壊、アジア通貨危機、ITバブル崩壊、そしてリーマンショック以上に難しい時期だと思います。
「バブル経済」とは誰も気づかず…
─ 判断が難しいと思いますが、どのようなスタンスで臨むべきだと思いますか。
長門 状況を必死に読んで、様々な意見を聞きながら、弾力的に動くことが大事だと思います。まさに「朝令暮改」で、一度言ったけれども、状況が変わったのでパッと変えるような「君子豹変す」の覚悟で取り組む必要があります。
申し上げてきたようにウクライナ危機、コロナの悪影響、カーボンニュートラルは、それぞれ難しい問題ですが、今回、1つだけプラスの要素があるとすれば、リスクの所在がはっきりしていることです。
─ 長門さんは日本のバブル崩壊やアジア通貨危機、リーマンショックなど様々な危機を経験していますが、これらの危機では、どこにリスクがあるのかを、危機前時点では明確に把握できていなかったと。
長門 そうです。例えばバブル崩壊の時には、日本ではそれ以前に危機について誰も指摘する人はいませんでした。
例えば、日本興業銀行(現みずほ銀行)時代、同行は1986年に米国債専門の証券会社であるA.G.ランストンを買収しました。その会社のチーフエコノミスト、デービッド・ジョーンズを日本のメディアに使ってもらおうと紹介したところ、彼自身の能力の高さもあって日本でも活躍してくれました。
88年、89年頃でしたが当時、デービッドをメディアだけでなく、大蔵省(現財務省)、日本銀行などにも紹介して回っていたのですが、当時の当局担当者は皆、日本経済には何の懸念も抱いていないと言っていました。
当時は「皇居の土地を売ったらカリフォルニア州が買える」、「日本を売ったら米国が3個買える」と言われていました。今振り返ると明らかにおかしなことが言われていたのに、そのことを誰も変だと思っていなかった。しかしその時、デービッドは「こういう現象をバブルと言うんです」といったんです。
─ 米国には、すでに「バブル経済」ということへの危機意識があったと。
長門 そうです。米国は1930年代の世界恐慌を経験していますから。しかし、当時の日本では「バブル」と言われても、ほとんどの人はそう思っていませんでしたし、横で聞いていた私も考えてもいませんでした。
後に経験したアジア通貨危機の時も、興銀主催のセミナーで私達が「金利などがとても変で、何かが起こる懸念がある」と発言したら、タイ中央銀行からお叱りを受けたりしました。リーマンショックの時も、ほとんどの人は当時、大事件が発生するとは思っていなかったわけです。どの危機も、一部の識者が懸念を持っていただけで、それが多くの人に共有されてはいませんでした。
しかし今回は、確かに問題は深刻ですが、そのリスクの所在は見えている。事件が起きたら大変ですが、みんなが危機意識を共有していますから、対応策については早く動くことができるのではないかと思っています。
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