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【倉本聰:富良野風話】科学者の罪

財界オンライン / 2022年5月16日 18時0分

ウクライナの事変に投入される様々な武器。アメリカ及びNATO諸国がウクライナに供与しようとしている様々な兵器。

【倉本聰:富良野風話】鬼

 プーチンの新兵器を列挙しただけでも、戦術ミサイルシステム「イスカンデルM」。空中発射型弾道ミサイル「キンジャール」。極超音速巡航ミサイル「ツィルコン」。海上発射型巡航ミサイル「カリブル」。初めて耳にする新兵器の名前がずらりと並ぶ。世界各国、公になっているもの、まだ我々の知らぬもの、全て含めたら一体どれ程の新しい殺人ツールが、今この地上に生まれているのだろう。

 死の商人という言葉があるが、それ以前にこうした武器を考案し、発明し製作する”死の科学者”という恐ろしい人種が、いかに数多く存在するかを考えると、思わず身の毛がよだってしまう。

 かつてダイナマイトを発明したノーベルは、己の発明したものの恐ろしさ、危うさに気づき、贖罪(しょくざい)の気持ちからノーベル賞というものを設立したと聞くが、今新しい核兵器、生物化学兵器などを産み出すことに、己の智能を捧げている科学者たちは、そこのところを頭の中でどのように折合いをつけているのだろうか。新しく創らねば自国が滅びる。だから、という愛国心で発明するのだろうか。それとも金や地位をちらつかされて、哲学なき道へひた走るのだろうか。

 いずれにしても、そうした新兵器をどんどん新たに産み出していく、哲学なき科学者を僕は軽蔑する。

 かつてオウムサリン事件が発生した時、大学の化学を出た若い塾生に、サリンは作れるかと尋ねたら、ハイ作れます、とあっさり答えられ、思わず大声で作るな!と叫んだ。

 知識は世間を汚染しているのである。それを辛うじて抑えているのは、ヒトの良識と哲学なのである。政治の場ではそれがとうに崩れ、愛国心や面子や自我のために、あるいは情けない金銭欲のために、科学者が悪事に魂を売っている。これはもう明らかに、恥ずべき人格崩壊としか言えない。

 1939年に作られた西部劇の名作、ジョン・フォードの『駅馬車』に、主人公リンゴ・キッドが悪漢と決闘しに行くためにシェリフに許可を求めるシーンがある。シェリフは許可する。「但し」とその時、一言つけ加える。

「但し、ピストルで勝負しろ。ショットガンは駄目だぞ。ショットガンは許されん」

 たしかそんな風なシーンだったと記憶する。1939年の時点の倫理観では、使って良いものといけないものの境界線が、まだピストルとショットガン(散弾銃)の所にあったのだ。

 その境界線が今完全にずれてしまった。第二次世界大戦で核まで進み、更に今それが生物兵器、化学兵器へと非人道的手段へ向かってしまっている。それに歴然と手を貸しているのが哲学なき倫理なき科学者の頭脳である。科学者よ、貴方たちは何のために学問を学ぶのか。

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