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コロナ後をにらんでの都市づくり【森ビル・辻慎吾】オフィスの使命は変わらない論

財界オンライン / 2022年5月25日 18時40分

森ビル社長 辻 慎吾

コロナ危機で、”変わったもの”があれば、”変わらないもの”もある─。「テクノロジーの進歩は生き方・働き方に変化を与えたが、変わらないものがあります」と森ビル社長・辻慎吾氏。「それは、人と人が出会ってこそ、いろいろと新しいものが生まれるということ」と価値創造の上で、コミュニケーションの重要性は変わらないと強調。コロナ危機の2年余は、リモートワークなどを経験しながら、コミュニケーションの意義を認識できたとし、改めて、「人と人が対面するオフィスの使命と役割について考えさせられた」と総括。六本木ヒルズ、虎ノ門ヒルズに続き、今進行中の虎ノ門・麻布台プロジェクトは2023年に竣工する。”住む”場所と”働く”場所を同じにし、”学ぶ”、”遊ぶ”、”憩う”などの機能を取り込む街づくりを進めてきた森ビル。平時はもちろん、危機時に対応した街づくり。8.1㌶という広大な開発面積の中、緑化面積も2.4㌶と広大。新しい生き方・働き方を追求する中で、”変わらないもの”とは何か――。
本誌主幹
文=村田 博文

<画像>昔と今が織りなす幻想的な【虎ノ門ヒルズ】

『人間の本質』はどんな時も変わらない

 コロナ危機で変わったものと、逆に、変わらないものとは何か?

「変わるのは、世の中はずっと変わってきたんですよ。というのは、テクノロジーが進歩してきていますから。それに合わせて、働き方も住まい方も、ワークスタイルもライフスタイルも変わってきた。例えば、インターネットの普及によって全く変わりましたよね。スマホの普及による変化を見れば、それはよく分かります」
 テクノロジーの進化によって、生き方・働き方は大きく変化したと辻慎吾氏は語りながらも、「ただ、変わらないものがあって、今回のコロナ危機ですごく気が付いたのが、人と人が出会ってこそ、いろいろと新しいものが生まれてくるということです」と強調する。

 WEB(ウェブ)活用によるリモート会議や在宅での仕事が生まれた。
「しかし、これもルーティンワークであればともかく、新しいことを生み出そうという作業には、リモートでは無理だというのがだんだん分かってきた」と辻氏は次のように語る。
「新しいアイデアが生まれるというか、新規事業を立ち上げるときに、リモートだけだと相当難しい。例えば、プレゼンテーションを受けるのも、リモートで受けるのと、対面で受けるのとでは全然違う。相手の表情だとか、話の真剣度だとか、1対1ならまだしも、参加者が6人位になると、リモート会議ではよく分からないです」

 今回のコロナ危機は2年半近くに及び、世界で5億人強の感染者を生み、死者数も620万人強にのぼる。まさにパンデミック(世界的大流行)である。
 米国は一番多い感染者数(8100万人強)を出し、死者数も99万人強と最大だ。日本は感染者数753万人強、死者数2万9000人強と、欧米やインド、ブラジルと比べて少ない。
 国や地域によって、コロナ禍による被害の度合いは違っても、パンデミックを共有したことで、『人間の本質』とは何か、また人が集まる『都市の本質』とは何かを考えさせられた。

 コロナ禍にあって〝働き方〟はどう変化したのか?
「当社は、まん延防止等重点措置が解除(3月21日)されてから、全体の6割位が出社。緊急事態宣言中は大体40%から50%位の出社で、30%というときもありました。社員は来るなと言われているんですけど、会社に来たがる。仕事にならないという部分はやはりあるんです。ルーティンワークをやっていて、例えば経理処理とか、そうした所はできますが、図面を囲んで、設計をどう仕上げていくかというのは、リモートではなかなか難しい」

 辻氏自身のワークスタイルはこの間どうだったのか?
「感染が拡大した時期は、会社のルールに沿ってリモートとリアルを使い分けていましたが、今はリアルの比重が大きくなっています。社内の会議はリモートを活用していますが、今はお客様とリアルに会うことが増えています」
 辻氏はこう説明し、自らの体験を踏まえて、「技術進歩、テクノロジーによって変わる部分と、人間の本質とか、人間を満たすために存在する都市の本質などは変わらない」と語る。

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「オフィス不要論?とんでもない、真逆です」

 オフィス需要の動向は、コロナ危機を契機にどうなったのか?
 辻氏は六本木ヒルズを引き合いに、テナントの動きを語る。「コロナになってから、100%リモートワークしている企業は何社もあるんですよ。例えばIT系とか、当社にはGAFA
が2社(アップルとMETA=旧フェイスブック)入っていますが、そうしたテナントはコロナが始まってから今まで100%、リモートワークで、ほとんどの社員が出社していない。そうした会社が今、オフィスを増やそうとか、オフィスの改修をどうしようかと考えています」

 そのオフィスの在り方は旧来のものとは変わってきた。机やイスを1人の人間に固定させず、みんなで共有し、柔軟に使い、いつでもどこでも、自由に働くという概念のフリーアドレスは相当広まってきたが、新しい働き方を模索する中で、新しいオフィス需要が生まれているということ。
「ええ、フリーアドレスにしてもいいのですが、人が集まって意見を交わせるとか、オフィスに集まる動機づけになるとか、多分そういうオフィスをつくろうとしている」

 辻氏は、新しいオフィス需要について、「みんなが対面してコミュニケーションができるような、仕掛けのあるスペースを結構つくっていますね」と語る。
 コロナ禍の当初、メディアの一部に「オフィス不要論」が出たが、辻氏は「とんでもない。真逆ですよ」と反論する。

「僕らの仕事は、ああいう街づくりにしても、クリエイティブ(創造的)なものです。そのクリエイティブなものを生み出そうとするときに、対面で侃々諤々(かんかんがくがく)議論してこそ、いいものが生まれます」
 創造的な仕事を生み出すのに、議論の場、つまりコミュニケーションの場がより一層重要
になっているという認識。
 ポスト・コロナをにらんで次の成長を取り込もうとする経済人たちの動きである。
 では、『人間の本質』を見据えての新しいオフィス、新しい街づくりとは、どういったものになるのか─。

新しい『生き方・働き方』を提案してきた歴史

 森ビルは現在、2023年竣工を期して、東京・港区で『虎ノ門・麻布台プロジェクト』を推進中。
 同社は、新しい街づくりを目指して、これまで『六本木ヒルズ』(2003年竣工)、『虎ノ門ヒルズ』(2014年竣工)を次々と押し進め、東京の再開発に刺激を与えてきた。
 この大型の都市再開発は元々、『アークヒルズ』(港区赤坂、1986年=昭和61年竣工)の開発に始まる。
 大型の都市開発には年数も相当かかる。
 アークヒルズをはじめ、六本木ヒルズ、虎ノ門ヒルズなども約17年という開発期間を要した。現在進めている『虎ノ門・麻布台プロジェクト』は2019年着工だが、それまでに約30年間の開発期間を費やした。
 地元民との対話を粘り強く進め、幾多の困難な局面を乗り越えてきたプロジェクトだ。

 そうした難交渉をまとめ上げるエネルギーの源には「新しい都市を創る」という森ビル創業家の2代社長・森稔氏(1934―2012)の思いがある。
 森稔氏は父・泰吉郎氏から後を受け継いで、今日の森ビルの基礎を作った実質創業者。東京を国際都市に、という思いで、長期的視点に立ち〝魅力ある東京〟づくりに一生を賭けた。
 現社長・辻慎吾氏は、その森氏の思いを受け継ぎ、発展させようと、虎ノ門ヒルズ、そして今回の『虎ノ門・麻布台プロジェクト』の完成に向け、陣頭指揮を取ってきている。
 
森稔氏がアークヒルズ建設以来、強く訴えてきたのは、住む所と働く所との一体化であった。住む所と働く所は離れている。住居から電車やバスを使って都内の勤務先へ時間をかけて通う─というスタイルを首都圏に住む人たちは続けてきている。
 それを、『職・住近接』で、住む所と働く所を同じ所にする都市づくりを目指してきたのが森ビル。つまり、生き方・働き方を変えようと訴え続けてきたという同社の歴史である。

 国際都市ランキングにおいて東京は、ロンドン、ニューヨークに次いで世界第3位に位置付けられるようになった。

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都心で緑に包まれる生き方・働き方を!

〝魅力ある都市〟とは何か?

 人の生活には、職・住の他に、〝学〟や〝食〟、〝憩〟などいろいろな要素がある。都市づくりも進化し、森ビルが現在進めている『虎ノ門・麻布台プロジェクト』は〝住む・働く・学ぶ・遊ぶ・憩う〟など多様な都市機能が徒歩圏内に集約された『立体緑園都市』を目指す。

『虎ノ門・麻布台』の計画区域は約 8.1㌶で、現在も開発進行中の虎ノ門ヒルズ(7.5㌶)よりも広い(ちなみに六本木ヒルズは約11㌶)。この中に、圧倒的な緑に囲まれた中央広場(約6000平方㍍)を含む緑化面積は約2.4㌶に及ぶ。

『緑に包まれ、人と人をつなぐ広場のような街』づくりということで、辻氏は「モダン・アーバン・ビレッジ(Modern Urban Village)というコンセプトでグリーン・アンド・ウェルネスを大事にしています」と語る。
 都心の既成市街地で、これだけ大規模な緑化空間を創出するには、細分化された土地を取りまとめて、大きな敷地を生み出す必要がある。そうして生み出した大きな敷地に超高層建築を建てることで、足元に大きなオープンスペース(用地)を創出する。これが、同社が得意とする『立体緑園都市』(ヴァーティカル・ガーデンシティ)の基本概念である。

 コロナ前の2019年夏に着工し、今も建設が着々と進む。グリーン(Green、環境)とウェルネス(Wellness、健康・幸福)を追求し、〝グリーン〟でいえば、ここで供給される電気は100%再生可能エネルギーにするといった方法を取っている。〝ウェルネス〟では、慶應義塾大学病院と提携し、『慶應義塾大学病院予防医療センター』が東京都新宿区から、『虎ノ門・麻布台プロジェクト』に拡張移転する。

「予防医療とか、それに関する共同研究講座も一緒にやっていきます。未来の健康を守るみたいな形でウェルネスを追求していきたい」と辻氏は語る。

『ヒルズ』という街には、住む人がいて、また、遊びに来る人がいて、外国人もいる─ということで、医学的にもいろいろ貴重なデータを取ることができる。それらのデータを活用して、「ヘルスケア(予防医療)の拠点にもしていきたい」という辻氏の考えである。

 モダン・アーバン・ビレッジ─。都心にモダンなビレッジ(村)を創るということだが、その基本的な考えとして、「緑の中にビルがあるのと、ビルの間に緑があるというのでは全く発想が違います」と辻氏。

 前述したように、着工は2019年夏のことで、そうした考えをコロナ危機前に打ち立てていたということ。
「木の種類も一本一本決めています。ここには桜を、あるいは楓(かえで)を植えようとか、ミカンなどの果樹を植えようとかね。果樹園でもあります」
 樹木の種類は低木・高木合わせて約180種類にのぼる。地被植物(地表面を覆って地肌を隠すために植栽する植物)を含めると約310種類にも及ぶ。

「それこそ、いろいろな木を選んで持ってきます。実際に、当社の担当が山に木を見に行ったりして、選んでいます」
 桜の木も、早いものは植えた年から花を咲かせる木もあれば、20年経っても咲かないケースもあるそうで、文字通り一木一草に気を遣っての作業だ。

世界の人たちを惹きつける街づくりとは?

 世界の都市間競争に勝つためには何が必要か、という視点で森ビルは街づくりを進めてきた。〝学ぶ〟ということでは、インターナショナルスクールを招致。都心最大級の生徒数(約700人)を誇る『ブリティッシュ・スクール・イン東京』が開校。英国式の教育カリキュラムを提供する同校は創立30年の歴史を有し、50カ国以上の国籍の生徒が集う国際色豊かな学校だ。

 日本最大のインターナショナルスクールといえば、東京・調布にある『アメリカンスクー
ル』(生徒数約1500人)だが、都心から調布まではバスで約1時間はかかる。学ぶ子供たちにとっても、住まいと学校が近い事のメリットは大きい。『虎ノ門・麻布台』はA街区、B1・B2街区、そしてC街区と3つの街区に分かれる。この中でA街区は高さ約330㍍を誇る多用途複合の超高層タワーで、この4月21日に上棟を迎えた。

 総貸室面積は約20万4000平方㍍、基準階面積は約4300平方㍍という大規模超高層タワー。
 この中に、オフィスや、『アマンレジデンス東京』(世界有数のラグジュアリーリゾートを手がけるアマンとのパートナーシップ)、さらに先述した『慶應義塾大学予防医療センター』、『ブリティッシュ・スクール・イン東京』などが入る。
「さまざまな都市機能をちゃんと整備していこうと。情報発信拠点もそうだし、アマンレジデンスなども、そういう層が必要とするような住宅が必要だし、外国人向けのサービスアパートメントやホテルも必要だということですね」

 辻氏は、街には複合機能が求められるし、それらを整備することで内外の人たちが文字通り国籍を超えて交流する場を提供できるという考えを示す。
 都市の魅力の大きな要素の1つである〝食〟でいうと、ミシュランの格付けというものがある。そのミシュランの星を取っている店は港区内だけで78店ある。東京都内には203店あり、港区の78店は、銀座・日本橋を抱える中央区の52店より多い(2022年調査)。
 欧米主要都市で、このミシュランの星を取っているのは、パリ116店、ニューヨーク64店。
 こうした数字を見ても、東京は食文化の情報発信拠点であり、そうした魅力をどう創り出し、どう世界に発信していくかという命題である。

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変わるものと変わらないものを見極めて

 辻氏は1960年(昭和35年)11月生まれの62歳。88年(昭和60年)、横浜国立大学大学院工学研究科修了後、森ビルに入社。2011年(平成23年)6月、東日本大震災が起きて3か月後、同社2代目社長森稔氏の後を受けて社長に就任。51歳の若さであった。

 入社して37年。この間、バブル崩壊、リーマン・ショック、大震災と数々の経済危機に見舞われる中、数々の街づくりを体験してきた。

 環境の変化、時代の変化に対応しながら、街づくりの進化をどう図っていくのか?
「きちんと考え方の軸を持ったうえで進化させていくことが大事」と辻氏は、次のように続ける。
「軸がぶれると駄目になる。進化ばかり追いかけていると、先ほどの変わるものと変わらないもの、ということで言うと、大体みんな変わる方に目が向きがちになる。変わっているときこそ、変わらないものは何だと考えるようにしています」

 変わるものと変わらないものの見極めが大事だということ。

 中長期の視点で事業に当たっていると、いろいろな出来事が起きる。
 辻氏が社長に就任した翌年(2012年)には、森ビルの実質創業者である前社長・森稔氏が亡くなった。辻氏の心理的な負担も大きかったはずである。
「ええ、森がその年に亡くなり、森ビルにとっては激動の数年間ですね」と辻氏は当時を振
り返る。「東日本大震災が起きた直後だし、アベノミクスの前ですから、経営環境としては結構厳しかった。その前に、リーマン・ショック(2008年)がありましたし、不動産環境も随分厳しい時代だった。その厳しい時代をいろいろと経営努力をして、いろいろなものをつくって乗り切ってきた。それを乗り切ることができて、今はどんどん投資をしているという形ですね」

想定外要因が多い中「自分たちの使命は何か」を

 都市開発、街づくりは長い開発期間を要する。アークヒルズや六本木ヒルズはどちらも約17年の年月がかかった。
 土地の所有者や開発権利を持っている人たちを一軒一軒訪ね、その地区の開発目的とビジョン(構想)を説明し、話し合う。そうして納得してもらうには、それ相応の歳月がかかる。『虎ノ門・麻布台』の再開発については、関係者の合意を得て最終決着を見るまでに約30年かかった。
 
30年も話し合いを続けていると、先方の多くも世代替わりして、当初の話し合いとは異なる事情も生まれてくる。デベロッパー界の〝常識〟では、そのプロジェクトを中止するか、当初計画を分割して実行するかのどちらかである。
「ええ、止めるか、分割してやるかですね。再開発できる所とできない所に分かれますから
ね」と辻氏。

 それが30 年間も、お互いに辛抱強く対話を続け、最終合意にこぎつけられた要因は何か?
「それは2つあって、こういう街をつくりたいと。都市には、ことに東京にとって、こういう街づくりが必要なんだという考え。もう1つは、森ビルだけが開発をやっているのではないのだと。虎ノ門・麻布台には300人位の地権者がおられて、彼らの人生とか資産とかについて全部責任を負っているんです。みんなの問題なので、それに思いを致して話し合うと。だから、多分30年間話し合いを続けてこられたのだと思います」

 その地区の人たちとのコミュニケーションの深化によって築かれた信頼関係がプロジェクトの基礎になっている。
 これからも多くの危機が押し寄せることが予想される中、どういう基本姿勢で臨むか?
「自分たちは何の会社なのか、自分たちは何でビジネスをしているんだということを絶えず考えていくことが大事だと」

 辻氏が続ける。
「そこを押さえておいて、そのビジネスが長く続けられるのであれば、危機の中でも、そこのベースはいじらなくていいんだけれども、それが駄目になるとすると、ベースそのものを変えていかなくてはならない。それをずっと見極めています。多分、この先も見極めていかないと」
 世界の都市間競争に勝つとか、勝たなければいけないということを、自分たちは肌身で、「現場で感じている」と辻氏。
 緊張感を伴いながら、やり甲斐のある仕事が続く。

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