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国交正常化から50年、今後のあるべき日中関係とは? 答える人 元通商産業事務次官・小長啓一

財界オンライン / 2022年6月3日 7時0分

一番力の強い時こそ 一番難しい問題に挑戦

 ―― 今年は日本と中国の国交が正常化されてから50周年の節目の年です。国の体制や価値観が違う中で、その壁をどう乗り越えていったのか。小長さんは50年前の日中交渉で総理大臣秘書官として北京に随行したわけですが、当時の状況から聞かせてくれませんか。

 小長 日中国交正常化交渉に関して言えば、要するに、非常に複雑な対立構造を抱えていた中で、田中角栄元首相が思い切って決断したということです。

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 まず交渉が始まる前の客観的な状況からお話しますと、通商産業大臣(現・経済産業大臣)だった田中さんが首相に就任したのが1972年(昭和47年)7月です。その前年の半ばあたりから、日中国交正常化に向けた動きが活発化していて、いろいろな人が中国と日本を行き来していました。

 後から聞いたところによると、当時の佐藤榮作首相のもとにも様々な働きかけがあったようですが、いろいろなリポートや報告を聞いていると、中国側からの国交正常化を図りたいという意欲を非常に感じると。そういうニュアンスがひしひしと伝わってきたわけですね。

 そこで流れとしては、田中さんが首相になったら一気に動くのではないかと関係者は期待していたわけです。

 ―― 田中さんの周囲では国交正常化への期待が高まっていたんですね。

 小長 ええ。国会議員の中にも機は熟したという感じで期待が高まっていたんですが、一方で岸信介さんや福田赳夫さんなどの保守本流の方々は蒋介石さんがまだご存命でしたから、台湾との関係を重視していた。

 敗戦の時に30数万人の日本兵や数万人の在留邦人がいたわけですが、その人たちを1人の事故者もなく日本に送り届けてくれたわけです。これはもう蒋介石さんが采配を振るって、思いやりのある対応をしてくれたというので、そんな大恩人が台湾でご存命である時に、それを捨てて中国と手を結ぶのは時期尚早だというわけです。

 ですから、党内では国交のなかった中国との外交関係をどうするのかは最大の懸案事項と言ってもいい状態でした。

 ―― なるほど。党内の議論が分かれていたと。

 小長 そういう中で、総理大臣になられた直後の田中さんがわたしにポツリと言ったのが、自分は今太閤(たいこう)と呼ばれて、今が一番力の強い時であると。こういう時にこそ、一番難しい問題に挑戦しなければならないという趣旨の話をしていました。

続きは本誌で

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