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ドラマ『北の国から』の作家・倉本聰が訴える「『もっと、もっと』から『なくす』『削る』への転換を」

財界オンライン / 2022年6月11日 11時30分

倉本聰氏

くらもと・そう
1935年東京都生まれ。東京大学文学部美学科卒業。59年ニッポン放送入社。63年に退社後、脚本家として独立。77年北海道富良野に移住。84年に役者と脚本家を養成する私塾・富良野塾を設立。2010年の閉塾後、富良野自然塾を開設、同時に創作集団・富良野GROUPを立ち上げる。『北の国から』『前略おふくろ様』『やすらぎの郷』『風のガーデン』など、作品多数。

「今の世の中に求められる言葉だと思う」と語り、作家・倉本聰氏が掲げる言葉が「貧幸」だ。昨今の産業界や社会でSDGsやESGという言葉が飛び交っているが、倉本氏は「まずはエネルギーを使わないように自らの生活を『絞る』ことから始めるべきだ」と訴える。コロナ、ウクライナ両危機下を受け、人は生きることとは何かをもう一度問い直す局面を迎えている。倉本氏が提言する発想の転換とは?

【倉本聰:富良野風話】知床

戦争で亡くなった英霊たちが現代の日本を見る「歸國」

 ―― コロナ禍に加えてロシアのウクライナ侵攻など、自らの生き方を問い直す局面を迎えています。その中で倉本さんは「貧幸」という言葉を発信しています。そもそもこの言葉を産み出したきっかけは何ですか。

 倉本 僕の芝居と関係があります。かつて僕は太平洋戦争中に南の海で戦死し、六十余年ぶりに帰国した英霊たちの視点を通じて、彼らの目に映った現代の日本の姿を描く「歸國」という芝居を書きました。その中で英霊の将校が今の世の中を見て次のように語るのです。「昔、自分たちは『貧幸』だった」と。おそらく「貧幸」という言葉は世の中になかったと思います。

 その後も貧しくても幸せであるという「貧幸」を様々な場面で使ったのですが、これがなかなか良い言葉であるなと。貧しいけれども幸せであるというこの価値観が何となく今の世の中に求められる言葉ではないかという気がするんですね。

 ―― ウクライナ危機でエネルギー問題が重くのしかかり、我々国民も自分たちの生活を考えるきっかけになりますね。

 倉本 今は誰もがSDGsやESGを考えていますが、問題なのは全て科学を進めてCO2(二酸化炭素)を減らそうとしていることです。「自分がやっていることを絞る」という発想がないと思うんです。要は、使っているエネルギーを減らせば良いはずなのに、なぜか科学を活用して新しいエネルギーを産み出そうとしてしまう。世の中に「絞る」という発想もなく、誰もその努力をしていないのです。

 分かりやすい例で言えば、5㍍も歩けばテレビのボタンを押して付けられるのに、その5㍍歩くエネルギーを節約しようとリモコンというものを発明したことです。その「サボリ」というものを「便利」と呼んでいる。しかし、サボリは代替エネルギーを使うことになります。

 ―― もう少し自分たちの生活の中にこういった発想を落としこまなければと痛感させられます。昔はお客さんが家に遊びに来ると、お茶と漬物を出すのが普通でしたが、今はお菓子など様々なものを出しますからね。

 倉本 ええ。われわれは普段の生活における電気の使い方を当たり前とし、それを前提にしてしまっています。そうすると、どうしても無理が出てきます。

 僕は今でも時々、ロウソクの灯だけでお風呂に入ります。微かなロウソクの炎が揺らめいて、お湯の表面に妖しく反射し、えも言えぬ美しい情景へと変わります。老けた己の身体さえも何となくなまめかしい光彩を放つのです。そういった生活をする人はいないでしょう。

 今のような文明に頼った生き方は明治時代の文明開化から始まっていたのかもしれませんが、戦後に入って拍車がかかったのではないでしょうか。ですから、SDGsにしても思い違いをしているような気がするのです。



世界中の人々にも共有される日本の「もったいない」精神

 ―― どうしても経済優先という考えが先行してしまっているのですね。ただ、こういった思想は元来、日本にあったものではないでしょうか。

 倉本 ええ。「もったいない」という考え方はまさにそうだと思います。「Mottainai運動」の提唱者であり、ノーベル平和賞の受賞者でもあるワンガリ・マータイさんがこの日本人の「もったいない」という思想に感銘を受けたわけです。ですから「貧幸」は、ここに結びつくんです。

 ―― ということは、「もったいない」という日本ならではの考え方は世界とも共有できると言えますね。その原点を見つめ直すことが必要ですね。

 倉本 そうだと思います。今こそ貧しくても幸せであるという発想に立ち戻るべきだと僕は思うんです。これは1つの哲学です。「進めよう、進めよう」という欲望は必ず「もっと、もっと」という発想につながります。それに合わせてどうしたらCO2の排出を減らせるかということに一生懸命になってしまう。そうではなくて、まずはこの「もっと、もっと」をなくせばいいのです。単純な話なのですが、これがなかなかできない。

 ―― 「なくす」という行動をとることが今の我々にとっては難しくなってしまったと。

 倉本 ただ僕はこの「なくす」という発想は田舎にこそ残っていると思うんです。

 ―― 例えば、テレビで『ポツンと一軒家』という番組がありますが、意外と都会の人に人気があるようですね。

 倉本 ここに出てくる田舎の人たちの生活には、「なくす」という要素が必ず含まれているからではないかと思います。

 ―― 彼らの生活は我々が失ったものを教えてくれますね。

 倉本 ええ。そもそもこの番組の企画は東京から生まれたわけではありません。関西から出てきました。やはり「なくす」「削る」ということから始めないといけません。際限なく出てくる「もっと、もっと」という欲望に合わせて新たな電源やエネルギー源を作っていくということ自体に無理があります。

 ―― ここに気づかないといけないですね。ただ、これができれば新しい経済を生み出せるようにも思えます。

 倉本 はい。もっと「しっかりした経済」になるような気がするんです。これはしっかりとした基本軸があり、欲望丸出しの経済ではありません。

 ―― 日本にはそういった経済を説いた二宮尊徳や渋沢栄一といった先達がいました。

 倉本 そう思います。そういう先達がいたからこそ、先ほど申し上げた「ポツンと一軒家」のような生活をする人が残っているのではないでしょうか。田舎には今でも「なくす」「削る」という生活が残っているのです。

以下、本誌にて

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