「人はつながりの中でしか生きられない」危機の中で日本の生き方を【私の雑記帳】
財界オンライン / 2022年7月3日 11時30分
人はつながりの中でしか…
「人はつながりの中で生きる。つながりの中でしか存在し得ない。単独では生きられないというのが人間で、仏教の真理です」
臨済宗円覚寺(鎌倉)の横田南嶺管長は〝人のつながり〟の大切さをこう説かれる。
日本のこころ(心)の礎にある仏教の教えについて、横田管長は、「仏教の基本原則が2つありまして」と次のように語られる。
「この世はうつろいゆく、この世にあるものは一人あらずというんですね。この2つは真理ですからね」
形あるものは必ず変化し、うつろいゆく。そして、単独(一人)では存在し得ないとうこと。
仏教用語でいえば、『諸行無常』、『諸法無我』ということだが、横田管長の言葉が身にしみる昨今の世の動きである。
コロナ禍が3年目に入り、収束へ向かい始めたのかなと思った途端、ロシアによるウクライナ侵攻。
災難に次ぐ災難。こうした世の中をどう生き抜いていくか─という命題である。
円覚寺を訪ねて…
円覚寺は、宋(中国)から日本に来た僧・無学祖元が北鎌倉の地に開山した寺院。時は『元寇の役』で、日本が蒙古軍(元)に攻められている中での開山であった。
時の鎌倉幕府の執権、北条時宗は奮戦し、九州の地で蒙古軍の侵入を防いだ。円覚寺は、この北条時宗を祀っている。北鎌倉の閑静な丘陵地に建つ円覚寺。松や杉などの立派な木立の中に堂や院が幾つも建ち、静寂でおごそかな雰囲気。
山門をくぐっていくと、身も心も洗われる感じがする。
木々の葉が風にそよぐ音、砂利を踏みしめる音。自然の中で自分という存在を静かに考えさせてくれる。自然(環境)と人、人と人の関係を考えさせてくれる空間である。
元寇の役になぞらえて、横田管長がおっしゃる。
「円覚寺は、敵も味方も平等に供養するところです」
敵も味方もない
敵も味方も供養する─。これは本来、日本にある考え方ではないのか?
「怨親平等(おんしんびょうどう)と言うんですが、敵も味方も平等に供養するということですね。これは素晴らしい考えなんですが、あまり知られていないんですね。一生懸命宣伝しなくてはいけないと思っているんですがね」と横田管長は言われる。
時代は下って、江戸期の初め、九州の『島原の乱』を起こした天草四郎だが、これは庶民の苦しみを救うという大義名分のある戦であった。
乱は平定され、天草四郎側も大変な犠牲を伴った。しかし乱の後も、庶民は天草四郎を慕い続けた。今、天草四郎に〝賊〟というイメージはない。
そうした空気を日本は大事にしてきたのではないか。
西郷隆盛と勝海舟
明治維新(1868)のときもそうであった。
薩長両藩を主体に、江戸に攻め上がる官軍とこれを死守しようとする幕府軍が全面衝突する寸前、無益な破壊を防ごうとする二人の人物がいた。
西郷隆盛と勝海舟である。
最後の将軍、徳川慶喜は恭順の意を示していたが、錦の御旗を立てて、京から江戸へ上ってきた官軍(薩長軍)は意気盛んで、江戸城総攻撃に突入しようとしていた時のこと。
いざ開戦となると、江戸市中は火の海となり、一般の人々にまで犠牲が出る。何も手を打てずにいた幕府軍の中で、さほど地位の高くない勝海舟が大役を引き受け、三田の薩摩藩邸まで出向き、西郷と直談判で無血開城、つまり江戸城明け渡しを約束した。
敵を赦すという西郷の度量。そして、我が身を顧みずに大義のために動く勝の誠実な振る舞いが合わさっての無血開城である。
日本の役割と使命
日露戦争(1904―1905)終了時にも、乃木希典将軍は敗軍のステッセル将軍との会見の際、相手に帯刀を認めるなど敬意を示し、丁寧に接したと伝えられている。
円覚寺の前々管長、朝比奈宗源さんは、明治人の生き方について、「鉄砲のタマを撃つ前から、終わり方を考えていた」と評し、先の大戦については、「それに比べて…」と批判的だったという。
その是非はともかく、明治の軍人は参禅し、自らの修養に励んでいた。日露戦争時、ロシアの権力を握っていたボルシェビキの懐深くに入り込み、情報収集を担った明石元二郎も座禅を組んだ。
「明石元二郎も円覚寺の釈宗演(管長)の下で参禅をしているんです。手紙のやり取りも残っています」と横田管長。
そうした先人たちがいたということであり、日本の果たす役割はあるということである。
「日本の仏教の役割もそうです。西洋的な考えは、ものを分けて比べて評価して、強いものが弱いものを征服する。鈴木大拙は言うんですが、西洋人は山を征服すると言うが、日本人にはそういう考えはないし、そうは言いません。山は神様のいる所ですね」
禅とは何か─。「禅は、特別の神や仏を信じろという教えではないです。むしろ、自分自身の中に仏を見出せという教えです。禅はそういう点で、危機に強いと言われているんです」と横田管長は話しておられる。
山田昇さんの人づくり
企業社会も自己変革の歴史。
ヤマダホールディングスの創業者であり会長兼社長の山田昇さん(1943年生まれ)は家電量販店から、〝暮らしまるごと〟を扱う店
舗経営への変革を進めている。
山田さんが個人店主の家電量販店を開いたのは1973年のこと。それから10年後に株式会社制に切り換えた。「株主をつくることで緊張感のある経営ができる。そして、いろいろな事を学ばせてもらう」という考えからであった。
同社はその後、ものすごいスピードで成長していくが、山田さんにはよく質問が飛んだ。「誰かコンサルタントのような人がいるのですか? 」と。もちろん、そういう人はいない。
「わたしには、そういう人はいませんでした。そのときは、自分で学んでいるということですね」と山田さんは静かに答える。
そしてこう続ける。「一貫して言えることは、社員を多くしてだんだん拡大していった。雇用すること、社員の幸せを考えてきました」と。
伸びる人とはどういう人か?「人を評価するときに依怙贔屓はしない」と山田さんは語り、「5つの条件があります。まず企画力がある。そして行動力があって、成果、貢献があって使命感がある人」と挙げる。
自らが学び、修養し、幹部になる人を育てる。何ごとも学ぶという姿勢が大事だということである。
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