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追悼・出井伸之さん(元ソニー会長)

財界オンライン / 2022年6月22日 15時0分

日本の新しい道を!

 

 最期までチャレンジし続ける人――。

 出井伸之さんの人となりを一言で言うとこういう表現になると思う。

 1937年(昭和12年)11月生まれ、84歳の生涯であった。

 ソニー(現ソニーグループ)の社長・会長を1995年から2005年まで10年つとめて退任後、2006年クオンタムリープを設立。ITやデジタル関連など、新しい事業を起こす若者を支援し続けた。

 出会う人は誰もが、「出井さんは元気ですね」という感想を述べてきていた。

 6月7日に出井さんの訃報が伝わった時、筆者も本当にびっくりさせられた。その2週間前、本人と携帯電話で話をし、久しぶりのことなので「出井さん、コロナ禍やウクライナ問題で世の中が暗い状況になっています。こういう時に若い世代を含め、元気の出る話をしてくれませんか」と頼んだ。すると「はい、是非やらせてください。いろいろと話したいことがあるから」という元気な返事をいただいた。いつも通りの出井さんの声であり、弾む声だった。

 その時、出井さんがポツリと言った。

「実は今、病院にいてね。でも来週には出られるようになる予定ですから、お会いするのを楽しみにしています」という返事で、筆者もその日が来るのを楽しみにしていた。だから、訃報を聞いた時には、ただただ驚いた。

 それにしても、最期まで全力投球の人生であり、ご本人も満足できる人生であったと思う。

 1960年に早稲田大学卒業後、ソニーを選び、偉大なる共同創業者、井深大・盛田昭夫というリーダーの下で働いた。

 欧州での海外事業に従事。オーディオ、コンピュータ、ホームビデオ各事業部長などを歴任し、1995年に社長に就任。

 数々のヒット製品を生み出したソニーだが、ちょうど時代は転換期。もともとソニーはハード主体からウォークマン、映画事業などを手掛け、ソフト・サービス事業を開拓してきた歴史。出井さんの社長時代は、日本はもとより世界全体がまさに転換期。1995年はインターネット元年と言われ、出井さんも”デジタル・ドリーム・キッズ”を標語にソニーのデジタル化を進めるが、社長時代に大きな収益になるものは育たなかった。

 2000年代初めには株価下落のソニーショックも経験。ソニーのトップとしては恵まれなかったが、何か社会に役立ちたいという思いは強かった。

「日本企業に足りないのは冒険と失敗。米国式でも中国式でもない日本の新しい道をつくる時」というのが出井さんの信念であった。 
 
 合掌

追悼 山口多賀司さんを偲ぶ(非破壊検査創業者)

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