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【慶應義塾長 ・伊藤公平】の企業間、大学間提携の プラットフォームとして

財界オンライン / 2022年7月1日 11時19分

伊藤 公平 慶応義塾長

いろいろな危機が起こり、なかなか”解”が得られない今、大学の存在意義と使命は何か─。「大学間、あるいは多くの企業との共同研究、いわゆるオープンイノベーションで問題解決を図るプラットフォームになること」と慶應義塾長・伊藤公平氏。いまコロナ危機に加えて、ロシアのウクライナ侵攻があり、先行き不透明な中で、問題解決へ動くリーダーの存在と共に、企業間、あるいは大学間の連携も求められる。創立者・福澤諭吉は「全社会の先導者たれ」と啓発し、人づくりに打ち込んだ。今年は、慶應義塾の前身『蘭学塾』がスタート(1858年、安政5年)して165年目に当たる。この歴史を振り返って、伊藤氏は「開塾の原点に戻ることが大事」と語る。開塾時もまさに時代の一大転換期。新しい”解”をどう模索し、どう掴み取っていくか。
本誌主幹
文=村田 博文

<画像>今の時代に何を思うか?慶應義塾の創立者・福沢諭吉

危機が頻発する中 大学に求められる使命

「予兆は、この数年間におそらくあったのだと思います」
 コロナ禍、ウクライナ問題と、人類にとって重苦しい危機がのしかかるが、慶應義塾長・伊藤公平氏はこんな感想を述べる。予兆とは何か─。

 例えば、人類のたどってきた過去を長期的視点でヒモ解き、未来を考察し、現代の人類が抱える課題(『21 Lessons(トゥエンティワン・レッスンズ)』)を著した歴史学者・哲学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏がいる。
そのハラリ氏を引き合いに、伊藤氏が語る。
「ハラリさんは、『サピエンス全史』で人類の過去を、『ホモ・デウス』で人類の未来を描き、いま現在について書いているのが、『21 Lessons』、21のレッスンズ(課題)ですね。彼はそれを2019年に書いています」

 危機のきっかけとなるものとは何か?「今の人類にとっていちばん危険なことは核戦争であり、地球環境破壊であり、テクノロジーの暴走といいますか、いわゆる、インフォメーションテクノロジーによるディストラクション、破壊だと。この3つがもっとも大きな危機のきっかけだと指摘しています」

 伊藤氏は、今回、ロシアがウクライナ侵攻を起こす危険性も同書から読み取れたとして、次のように語る。
「わたしが思っていることは、世の中の歴史学者の知見や考えていることを見逃してはいけないということです。つまり、学問や知というものには、それだけの重みがあるということなんですね」

 コロナ禍にしても、日本で最初に新型コロナウイルス感染者が確認されたのが2020年1月。以来2年数カ月が経つ。
 不明なことが多い感染症だけに、いろいろな声や反応が現われ、不安も広がった。中には、逆に、「大したことはない」とか、「ちょっと頑張れば、大丈夫だ」といった無責任な意見まで聞かれた。

 そのような状況で、しっかり物事の本質を見きわめて発言や提言をする人たちもいた。
「ええ、歴史学者の磯田道史さん(国際日本文化研究センター教授)や藤原辰史さん(京都大学教授)といった人たちは歴史をひも解きながら、どんなに公衆衛生や医学が進歩していても、これは長続きする、波状攻撃でやってくる可能性があると言ってこられた。2020年3月、4月時点での発言ですからね」

 国(政府)や政治家だけでなく、国民1人ひとりが課題解決へ向けて力を合わせていくということで、民間の知恵、とりわけ知見を集積し、研究の拠点でもある大学の役割は重いという伊藤氏の認識である。
 そして、大学の今日的使命について、伊藤氏が語る。
「今後、国はどう対応すべきか。また、どのように平和を維持し、国を守っていくか。そのようなことも含め、どう民主主義を守り、その中で、どうやって経済成長につなげていくのか。そういうことに対する提言を大学はしていかなければいけない」

 何より知に基づく判断が大事。そういう基本認識の下、関係者が協力して物事を進めていくことが、「大学のみならず、学問の果たす」役割であり使命であるという考え方を伊藤氏は示す。

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正解を得にくい時代の大学の役割と使命とは

 コロナ禍のように、100年に1度起きるといわれるパンデミック(世界的大流行)、今回のロシアによるウクライナ侵攻、さらには異常気象による自然災害の多発と、先行き不透明感が増す。
 正解がなかなか得られない時代。もっと言えば、解のない時代にあって人々の模索が続く。こんな不確かな時代に、リーダーの役割と使命をどう捉えていくか─。

 創立者・福澤諭吉は慶應義塾の使命を、『全社会の先導者にならんことを欲するものなり』と啓発した。
『全社会の先導者たれ』─。1人ひとりが身をもって努力し、目的遂行に向けて実践して
いくことが大事だと、福澤はそう呼びかけた。

 ひるがえって、今日の状況はどうか?

 明治初期は日本にとって、西洋という手本があり、洋学を学ぶという目標を持ち得た時代。
「今はこれというお手本がないんです。だから世界と一緒に組んで、自分たちも一緒に手本をつくっていく。この教科書はいいというものがない時代です」と伊藤氏は今の大学が新しい使命と役割を追求していかねばならないという認識を示す。

 伊藤氏は塾長としての思いを次のように述べる。

「特に学生たちはこれから働いて、これからの世の中を生きていく人たちです。その子供の世代も大切なんですが、とりあえず今の学生たちが家庭を持ったときに幸せでいてほしいと」

 次の世代のために、今を生きる我々は何を成すべきか─という問題意識である。

『慶應義塾の目的』

 今年(2022)は慶應義塾の前身がスタート(1858)して165年目になる。この歴史を振り返って、塾長として思うこととは何か?
「開塾の原点に戻るということです」と伊藤氏は答える。
 前述のように、福澤諭吉は、「全社会の先導者たらんことを欲するものなり」と『慶應義塾の目的』を語ったが、このことについて、伊藤氏は次のように補足説明する。

「これは、全社会の先導者を目指していますかという問いを発しているのだと思います」
 先導者たることの今日的意義とは何か?
「(リーダーとして)何か新しいことに挑戦して、新しいことを目指しているか。今、われわれがやろうとしていること、それは誰かがこれをやらないといけない。これをやりたいと言ったときに、それを先導しますかという質問ができるわけです。そこにすべてが集約されている」

 福澤が『慶應義塾の目的』として語ったのは次の言葉である。

「慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、躬行(きゅうこう」実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」
 
 福澤がそう呼びかけた思いとは何だったのか?
「とにかく先導しなければいけないのだけど、先導するために何をすればいいか。この間をどう埋めるかということですが、埋め方は独立自尊で人それぞれによって違うと思うんです」

 伊藤氏は〝独立自尊〟という言葉を使って、話を進める。

「福澤先生も、〝気品の源泉〟とか、〝知徳の模範〟いろいろ書かれているんですけど、ここの部分は福澤先生独特のすごいツカミがあるわけです。慶應義塾は単に〝一所の学塾〟、つまりただの学校じゃないんだと。それを読んだ瞬間に僕などは、ではどういう学校なんだというふうに逆に問いかけるわけですね」

 生き方や専門分野は、人それぞれに違う。社会を先導するための生き方はそれこそ独立自尊で、人それぞれによって違うということである。
「ええ、皆それぞれ取り組みましょうと。中には、どこにも進めなくなる場面も出るかもしれないが、何より皆がそうやって一生懸命に進むことが大事。そうすると全体として正しい方向に進んでいくと」

 要するに、『個と全体』の調和である。一人ひとりが独自の個性を持ちながら、全体の発展につなげていく。
 専制的なリーダーになるというのではもちろんないし、第一、それは「学校の方針と違います」という氏の認識。

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企業や大学間をつなぐプラットフォームに!

 では、具体的に大学の使命と役割をどう果たしていくのか。また、産業界との関係については、どう考えるのか。
「これまで、よい意味でのお付き合いで、産業界と慶應のさまざまな共同研究とか、共同の事業があったんですけど、今は大きな企業のトップとの個人的なつながりにより、特定の所へ寄付するとかは難しいです。(企業側にも)さまざまな説明責任があって、株主に対する説明責任がある。これは当然のことで、そうなってくると、大学というのは(共同研究などの)プラットフォームになるという形がいいと考えています」

 伊藤氏はいろいろな企業との共同研究などで、各企業や研究機関をつなぎ、結び合うプラットフォームを目指したいという考えを示す。

 伊藤氏は1964年(昭和40年)生まれで、慶大理工学部出身。米カリフォルニア大バークレー校で博士号を取得、量子コンピュータが専門である。理工学部矢上キャンパス(横浜市港北区日吉)には、量子コンピューティングセンターがあり、産業界から8社が参加している。

「8社が研究費を出してくれるんですが、エースの研究者も出してくれる。そういう人たちはフルタイムで、週5日一緒に集まって、量子コンピュータの研究をしているんです」
 金融機関のホールディングス3社が参加するプロジェクトもある。三菱UFJフィナンシャル・グループ、みずほフィナンシャルグループ、それに三井住友トラスト・ホールディングスが参加している。

 銀行は普段、互いに激しい競争を演じている。社会全体にWEB化が進み、預金、融資、資産運用とインターネットが活用される時代。新しい金融ニーズにどう応えていくかということなどを、これら3つの金融ホールディングスは慶應矢上キャンパスに集まってもらい、「一緒に論文を書いてもらっています」と伊藤氏。

 慶大が量子コンピュータを使いこなすプラットフォームをつくり、それを産業界は個別対応ではなく、各社が共に活用するという形での産学連携。より良い社会を構築していくためのプラットフォームづくりだ。

なぜ、日本にGAFAが生まれないのか?

 それにしても、なぜ日本でGAFAMは生まれないのか?
 グーグル(親会社はアルファベット)、アップル、フェイスブック(現META)、アマゾン、それにマイクロソフトと、ネット系の新興企業が瞬く間に急成長し、世界市場をリード、牽引している。
 世界の株式時価総額ランキングで上位を占めるのは米GAFAMを中心に米国勢。ウクライナ問題で世界経済はマイナス影響を受けているが、こうした状況の中、米アップルの株式時価総額は2・2兆ドル強(日本の円換算で280兆円台)。同じ米マイクロソフトは1・8兆ドル強(同240兆円台)。日本のトップのトヨタ自動車(約33兆円)とはケタ違いの数字だ。

 グーグルの登場は1998年。もともとインターネット技術は米国で軍事用に開発されたものだが、それが民間に開放されたのが1995年(インターネット元年)。それから3年後にグーグルが誕生した。

 その頃、日本で話題になっていたのが新しいテレビ塔の建設。当時、日本国内は金融危機で大手銀行が経営破綻し、〝東京スカイツリー〟の建設が明るい話題として取り上げられていた。

 しかしながら、一方は次の時代を引っ張るインターネット関連の新事業創出。片や、旧来のテレビ文化の延長で〝電波塔建設〟が産業界の話題になっていた日本。
 新しい領域を開拓する上での日米両国の国情の差異をどう捉えるべきか。日本にはそういう才能はいないのか?

「才能はなくはないと思うんです。日本人は本当に優秀です。語弊のある言い方かもしれませんが、日本の企業でリーダーが、半分ぐらいはリスクを取るようなことがなかなかできなかったからだと思います」

 かつて、日本も世界をリードした分野がある。
「例えば半導体です。1950年ぐらいからトランジスタが発明されて、そこから集積回路が発明され、真空管を置き換えるなどして、どんどん発展していった。日本はそれをしっかりグリップして、1980年代は世界を完全に牛耳った。あれは日本の典型的な成功だと思います。これは、後から物事に参加して、しっかりその地位をキープするというやり方ですね」

 伊藤氏は、1980年代の日本の成功を評価しつつも、「それはとてもいいやり方だと思うんですが、今はそうされないような防御を世界の各企業がやっていますよね」と状況変化を次のように続ける。

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『カメの生き方』に固執していては…

「例えば特許です。特許制度が相当変わってきたし、今は米中両国もそうですが、どうやってお互いが自分たちの発明を取られないかというので必死です。こうした状況変化の中で、日本の、ウサギとカメのカメ戦法が厳しいときがあるんです」
 ウサギとカメの話では、日本ではカメが主役。急いで走っていくウサギはどちらかという
と、『急いては事を仕損じる』の諺どおり、失敗するという受け取り方が多い。

 しかし、米国ではウサギとカメの受け止め方が違う。


「日本の物語が同じように米国のディズニーで、短いフィルムで作られた。最後にカメが勝つんですが、米国の子供たちはどう受け止めるか。絶対勝つはずのウサギが怠けた。ウサギは怠けちゃいけないんだという教訓。米国における主役はあくまでもウサギなんです」

 米国はそういう教育をするし、そういう発想をする国。
 着実に一つひとつやっていくと、将来勝てるということで、カメの生き方を取ってきた日本。それはそれでいい面もあるが、この変化の激しい時に、カメの生き方に固執していては、世界の厳しい競争に打ち負けるという伊藤氏の認識。

「日本人はウサギの能力があるんだけれども、走ってはいけない、走ってもどうせカメになるという感じで、無理矢理カメにされているのではないですかね」

 出る杭を打つというか、ウサギに見立てて、その足を引っ張るということが日本の底流にあるのではないかという反省にもつながる。

〝常識〟とされてきたことを一度解きほぐし、客観的に論理的に見つめ直すことが大事という伊藤氏の訴えである。
 伊藤氏は前述のように、米カリフォルニア大バークレー校で修士号、博士号(材料科学)を取得。このバークレー校時代に、このウサギとカメの話について、よく考えさせられたという。

『未来への義務』

「オープンイノベーションのプラットフォームになる」─。
 社会全体が大きな変革を迎えている今、大学の使命をこう語る伊藤氏は、「企業に対してオープンになるということは、大学間においてもオープンになるということ」という考えを示す。

 競争と共存。グローバルに環境変化が起きている中を大学はどう生き抜くかという命題。
 日本の大学の、世界で占める位置はどれぐらいかという指標はいくつもあるが、学費という点では、「世界の大学が1人当たり約600万円という学費を取っている中で、慶應は文系で100万円ですから」と伊藤氏。

 ハーバード大学などの米国の一流大学が年間の学費約600万円を取っているとして、では日本も教育内容で遅れを取らないために、「300万円の学費にしたい」と言っても、実現する状況ではない。
 国立大学の学費は年53万円。国立を含めて、今の100万円が200万円になれば、教育と研究も相当充実する─という意見もあるが、一気にそうはいかないのも日本の現実。

「スタッフの働き方はすごいです。人数も限られている中で」と伊藤氏は次のように続ける。
「教育は、自分の好きなことができるのだったら、いい仕事だと思うのはもちろんあります。
そういう意味では、自分の好きな研究もできるということで、そこら辺は米国のように給料をいくらにするとか、ということでもない」

 伊藤氏は国内事情に一定の理解を示しながらも、世界中で研究者や教員の取り合いになると、事情は一変すると語る。

「そうなると、自由競争になりますから、例えばこの大学は年収8000万円を用意してくれたけど、慶應はどうかと言われたら、それは無理ですと」
 伊藤氏はこう彼我の違いを語り、「日本は全員中級社会でいいと思うんですよ。日本はレベルが高い中級社会でいいじゃないですか。それはある意味、理想ではないですか。金持ちに分断されることもない」という考えを示す。

 伊藤氏が続ける。
「皆でお互いに助け合って、よい意味での中級社会でレベル高くやっていく。こういうことを言うと怒られるかもしれませんが、決して一番になる必要はないと思っています。日本という大きさの中で、しっかり日本を守っていく。それは安全保障的に守り、経済も守り、幸せも守る。そうやって、世界の中で、よい意味で中身があり、尊敬される国になるためには、皆が、レベルがある高さまで行く。でも給料は比較的横並びで、そういう中で勤勉に過ごしていくということがいいと思います」

 伊藤氏は、〝レベルの高い中級社会〟という表現を使いながらも、従来のようなカメでいいのかというと、そうではなく、
「もう一つ踏み出していく」ことが大事と訴える。
『未来への義務』─。伊藤氏が理系の仕事に携わっている時に書いた信条。未来に対して、次世代に対して、我々が今何をなすかという思いを込めたもの。

 変えるべきものと変えなくていいものとの違いを見定めるべきという伊藤氏の考えだ。

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