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【『財界』創刊70周年】「道を拓く」経済リーダーと共に

財界オンライン / 2022年8月21日 11時30分

危機は常に

 道を拓く─。本誌『財界』は1953年に創刊され、今年8月、創刊70周年目を迎える。創刊者・三鬼陽之助は「経営は人なり」を信条に掲げた。「人」を中心とした編集・出版活動を展開してきて思うのは、時代時代で『道を拓く』リーダーが必ず存在したということ。

「経営は人なり」を信条に、『財界』創刊70周年を迎えて【私の雑記帳】

 松下電器産業(現パナソニックホールディングス)を創業した松下幸之助氏しかり、現ソニーグループを興した井深大氏・盛田昭夫氏らもパイオニア精神を発揮。太平洋戦争(第二次世界大戦)で敗戦国となった日本の焼け野原から経済人たちは逞しく、そして、しなやかに立ち
上がっていった。

 無資源国・日本にあるのは「人」だけ。文字通り、何もない所から経済人たちは再出発し、人々の生活に役立つ新製品や技術・サービスを開発し、社員たちも懸命に働き、高度成長を実現。

 終戦から23年経った1968年、日本は西ドイツ(現ドイツ)を抜き、世界第2位の経済大国に成長。高度成長期は『株式会社日本』と言われ、国(政府)と企業の連携プレーが奏功した。しかし、転機がくる。

 世界第1位の経済大国・米国が1971年にドルと金の連動をやめて金本位制を廃止。ドルの切り下げに動いた。1980年代は日米貿易摩擦が激しくなり、それまで自由貿易の恩恵を受けてきた日本は米国政府の〝横やり〟に蝕まれた。

 しかし、経済人たちは諦めなかった。むしろ、それらの危機を自分たちの知恵と技術で乗り切る。ソニー・盛田氏は1979年に『ウォークマン』を産み出し、世界中の若者が飛びついた。単なる電気製品の製造から音楽というソフト産業に同社が参入する契機となった。

 以後、同社は映画、ゲームにも進出。生命保険業務にも進出し、金融業まで手掛けるという道を切り拓いた。危機を乗り切る精神は今のソニーグループ会長兼社長CEO・吉田憲一郎氏の〝柔軟発想経営〟につながる。



財政と民間経済

 課題はいつも存在する。1981年に第二次臨調(第二次臨時行政調査会)が発足。日本経済の成長を支えた財政出動により国の借金をどうするかという課題に直面したからだ。当時の会長・土光敏夫氏(元東芝社長・会長)は「戦後、日本の企業は政府にお世話になった。今
は恩返しのとき」として財政再建策づくりに奔走した。

 このときジャーナリスト出身で日本経済新聞社会長(当時)の圓城寺次郎氏も補佐役として臨調に入った。民間の知恵や力を活用しての財政再建への参画。

〝メザシの土光〟と言われた土光氏の信条は「明治人らしく質素倹約」。水ぶくれの日本の財政改革には打ってつけの存在。

 土光氏自身、戦後の東芝危機に当たり、石川島播磨重工業(現IHI)のトップから東芝再建を引き受け、その実績が買われて経団連会長にも就任。東芝は土光氏の前の時代にも危機に陥り、第一生命保険のトップだった石坂泰三氏が再建に乗り出したという経緯。今回、東芝
が〝三度目の危機〟でガバナンス能力を失い、ファンドの思惑の中で漂流しているのは残念と受け止める向きは多い。

 企業経営はそのトップの思想・哲学、リーダーの生きざまに大きく左右されるのは昔も今も同じである。



日本の針路

 日本が近代化を迎えた明治維新(1868年)から154年が経つ。維新から敗戦まで77年。その間、日本は作家・司馬遼太郎氏が描く『坂の上の雲』を味わったが、その後、敗戦国というどん底に突き落とされた。さらに、その終戦から令和4年までで77年が経つ。

 日本経済は昭和が終わる1989年を境に低迷期に入る。1990年代の初め、株価や地価が暴落し始め、いわゆるバブル経済が崩壊。世界では『ベルリンの壁』が崩壊(1989年)、旧ソ連邦の崩壊(1991年)と激動が続き、経済のグローバル化が進んでいった。

 旧ソ連と並ぶ社会主義大国の中国も時の指導者・鄧小平氏が改革開放路線を導入(1978年)。経済大国への道を歩み始める。鄧氏は『南巡講話』で上海や重慶、広州などを一大産業拠点として成長を加速させる。そして中国は2010年には日本を抜いて世界第2位の経済大
国にのし上がった。

 今は米中対立がささやかれ、国の生き方や価値観を巡る争いが登場。自由民主主義を共通の価値観とする米・欧・日と中国、ロシア(旧ソ連)などの陣営とに分かれる。自由主義陣営では経済安全保障という概念が強く打ち出されるようになった。

 ロシアによるウクライナ侵攻が起き、近年は中国がいつ台湾に進攻するのかに関心が集まる。こういう新たな危機時に経済人はどう立ち向かうか?

 経団連会長の十倉雅和氏は「社会性の視座を持って企業経営に当たるべき」と産業界に呼び掛ける。資本主義自体は効率的な資源配分やイノベーションを起こすのに優れた制度という認識を持ちつつも、今は「経済合理性の一辺倒ではやっていけない時代」という認識を示す。

〝新しい資本主義〟をどう築くか。十倉氏は経済学者・宇沢弘文氏の社会的共通資本という概念が大事と訴える。社会的共通資本は土地や森林、河川などの環境や道路などの社会インフラ、教育・医療、金融などの制度資本も含む。社会的共通資本の運営を語る上では、フィデューシャリー( fiduciary、信頼・誠実)の原則が基本になる。



後世につなぐもの

 日本になぜGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック(現メタ)、アマゾン)が生まれないのかという問いかけがある。

 しかし、日本にも新しい企業は続々と誕生。京セラ創業者の稲盛和夫氏、日本電産会長の永守重信氏ら京都に本拠を置く企業家。ファーストリテイリング会長兼社長の柳井正氏、GMOインターネットグループ代表の熊谷正寿氏やサイバーエージェント社長の藤田晋氏は代表格。

 柳井氏の『ユニクロ』が世の中で存在感を増してきたのは1990年代の後半、日本がデフレに入った頃。『情報製造小売業( Digital Retail Company)』で一大成長。柳井氏は「出来ない理由を言うのではなく、こういう事ができると努力することが大事だと思います」と語る。

 危機の中から新しい経営思想やイノベーションが生まれる。日本企業及び経済リーダーの真価が問われるときである。

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