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【キッコーマン名誉会長 ・茂木友三郎のリーダー論】リスクを取らなければ、新しい価値は生まれない

財界オンライン / 2022年8月22日 17時5分

キッコーマン・茂木友三郎 名誉会長

国のあり方、そして個人の生き方を求める上で、その基本軸となるものは何か? 『令和臨調』の共同代表を務めるキッコーマン名誉会長・茂木友三郎氏は「今まで放置された問題を解決するべく努力しなければいけない」と『令和臨調』の役割を語る。課題解決へ向かう際のリーダーの使命と責任とは何か? 民主主義とは何か、新しい資本主義とは何かというテーマを含め、議論を進めて、年内には第1回の提言を行う予定。また、コロナ禍、ウクライナ危機により世界規模で混迷・混乱が続く中、経済人の使命について、「リスクを取り、需要創造へ向かって、事業の付加価値を上げることが大切」と説く。1990年代初め、バブル経済が崩壊して、”失われた30年”が続く日本の再生をどう図るか。「ポスト・バブル世代の今の40代、50代が社長になってくればムードが変わる」と茂木氏は壮年層に期待する。日本再生のための潜在力掘り起こしとは―
本誌主幹
文=村田 博文

【画像】「醤油」といえばやっぱりこの形!

安倍元首相・襲撃事件を受けて…

「信じられない」、「悲しいし、悔しい」─。民主主義の根幹である選挙期間中に起きた『安倍晋三・元首相襲撃事件』。世界で最も治安のいい国と言われてきた日本で、白昼堂々と、しかも参議院選挙の遊説中に起きたテロに、日本国内はもとより世界中が衝撃を受けた。

 なぜ、このような襲撃事件が日本で起きたのか?
 誰もが虚を衝かれたというか、予想もしなかったことが目の前で起きてしまった。
「信じられない」という言葉を誰もが口にする。しかし、不条理な事が現実に起きている。
 人と人とのつながりの中で、つまり共生・共有の輪を広げることで人は生き、社会を築いてきた。それなのに、なぜ、暴力でそのつながりや輪を断とうとする動きが続くのか?
「もともと、日本は人を信用する国と言われてきた。治安も良くて住みやすい国と思われてきたのに、逆にそれが警護や防衛という面で負の側面となり、こういう惨事が起きてしまうとは…」と茂木友三郎氏は語る。

 治安の良さは日本の長所である。しかし、その長所はいつでも短所にもなり得る。テロや暴動がしょっちゅう起きる国では、要人警護やセキュリティ確保に全力を挙げる。日本はそこが薄手になり、隙が生まれたのではないか。

「今回の事件を教訓に、日本の良さを維持しながら、治安についての考え方や打つ手などを改していく必要がありますね」と茂木氏は感想を述べる。

 国のあり方について、様々な模索がこれまでも行われてきた。民間人として、つまり国民
の立場から、そうした動きを実践してきたのが臨調。
 内外で地殻変動が起きている。コロナ禍やウクライナ危機の中で、米中対立、中露の接近、新興国の台頭が起き、QUAD(日米印豪)といった新しい国際秩序を模索する動き。また、経済面ではGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック=現META、アマゾン)の急成長とは対照的な日本企業の低迷という課題が浮かび上がる。

 こうしたときに、産・官・学の力を結集して、日本再生を図ろうという『令和臨調』の結成。
 これまで、民間臨調は『民間政治臨調』(1992)、『21世紀臨調』(2003)が興されてきた歴史がある。前者は、亀井正夫氏(住友電工元会長)が代表を務め、小選挙区制導入に尽力。後者は、茂木氏らが参加し、民主主義の根幹である選挙にマニフェスト(政権公約)を掲げる運動を推進した。

 国の大本をつくる政治に国民がもっと参加して、日本を生き生きさせようという改革運動である。今回の令和臨調はなぜ、この時期に結成されたのか?

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ポピュリズム台頭の中で

「内外で、今まで解決されず、放置されたままの問題が山積している状況で、日本はどうするかという課題」と茂木氏は切り出し、次のように語る。

「先のフランスの大統領選挙でマクロンさん(大統領)は思ったよりも票が取れなかった。その後の国会議員の選挙では過半数を割ったわけです。それでポピュリスト的な動きがかなりヨーロッパでも見られる。ドイツだとかオランダなんかでも、そういうことが見られるわけですね。それから米国もトランプさんの復活の動きがある。あれもやはりポピュリスト的な流れというふうに言えると思います」

 なぜ、そういった事が起きるのか?
「今まで解決されないで放置されてきた問題が多くて、それらを一挙に解決してくれそうな強いリーダーを人々が求めるようになると、ポピュリズムに結びつく。米国や欧州でそういう傾向が見られるということです」

 ポピュリズム。大衆迎合主義と訳されるが、問題の本質的解決からは程遠く、一断面を自らの都合のいいように切り取って、意見を押し通し、結果的に対立構造などを長引かせることになる。
「日本は今のところ、そういう動きは見られませんが、しかし、日本も放っておくと、そういうことになりかねないということですね。何とかそうならないうちに、今まで放置された問題を解決するべく努力しなければいけないということ。これが令和臨調の発足の背景にあるんです」と茂木氏は語る。

 この『令和臨調』の共同代表には、茂木氏のほか小林喜光(前三菱ケミカルホールディングス会長、前経済同友会代表幹事)、佐々木毅(元東京大学総長)、増田寛也(日本郵政取締役兼代表執行役員)の3氏も就任、4人の共同代表制を敷く。

 この4人は、前出の安倍元首相が銃撃された事件が起きた7月8日、令和国民会議(令和臨調)として共同代表談話を発表。
「我々は、暴力による自由な言論の封殺を許さない。我々は、言論に基く政治を守り、育てていくことの必要性を、党派や立場を超え、すべての人が確認し共有することを強く訴える」
 こう4人は訴え、「日本社会においても民主主義の危機が今そこにあるという現実を直視し、日本の民主主義の基盤強化に取り組み、社会不安や分断の払拭に向けて尽力することを改めて決意する」との意思を表明。

 令和臨調が正式に発足したのは6月19日。党派を問わず、国のあり方を、そして民主主義の根幹をどう持続させていくかを共に考えようという趣旨の下、岸田文雄首相(自由民主党)をはじめ、公明党の山口那津男代表、野党・立憲民主党の泉健太代表、日本維新の会の馬場伸幸共同代表、それから日本共産党の志位和夫委員長、国民民主党の玉木雄一郎代表ら与野党幹部も出席し、それぞれ国のあり方について思いを述べた。

「要するに、政治家も志のある人、改革を進めようというわれわれと同じ志をもった人たちに入ってもらおうと。正義感の強い人たちの集まりをつくってもらって、そこで我々が一緒に議論をして、納得してもらえれば、そのまま実行に移していくと。法案をつくってもらったりというような事にもなっていく。そういう行動をぜひ取っていきたい」という茂木氏の思いである。

約50年前、リスクを取って米国に生産拠点を建設

 茂木氏は1935年(昭和10年)2月生まれ、キッコーマン社長、会長を務め、現在取締役名誉会長、取締役会議長を務める。茂木氏はキッコーマンをグローバルカンパニーに育て上げた経営者として知られる。
 同社は醤油の産地である千葉県・野田の醸造会社が集まって、1917年(大正6年)野
田醤油(現キッコーマン)を設立したのが始まり。創業105年の歴史の中で、醤油の最大手というだけでなく、醤油関連の調味料、和風総菜の素、デルモンテトマト製品、本みりん、そしてマンズワインや豆乳飲料など幅広い食品領域を開拓。

 茂木氏は約50年前の1973年(昭和48年)、米国ウィスコンシン州での醬油工場立ち上げを任され、地元住民との立地交渉から原料調達などに奔走。
 日本の食文化で育った醤油を海外に売ろうと、同社が米国に販売会社をつくったのは1957年(昭和32年)。
 醤油はステーキに合うということを米国の消費者に浸透させようという戦略。そして、米国中西部の最北、ウィスコンシン州やその周辺は醸造に必要な小麦や大豆の一大産地。地区住民との話し合いに、当時38歳の茂木氏は奔走した。何度も何度も折衝を重ね、ついに話し合いを成立させた。

 茂木氏は、1958年(昭和33年)慶大を卒業して同社に入社。3年後の1961年、米コロンビア大学に留学、ビジネススクールでMBA(経営学修士)を取得。在学中には、ニューヨークの百貨店などで醤油の販売を手伝い、「ステーキに醬油を」とお客に勧めていた。
 それだけに、1957年の米国での販売開始から16年後の1973年、今度は自らが現地生産化を果たす役回りを引き受けた時、それこそ必死であった。
 1997年にはオランダにも工場を建設し、ここから欧州全体に醤油を供給。ASEAN(東南アジア諸国連合)地区では、要所のシンガポールに生産・販売拠点を構える。
「今は当社の利益の70%以上を海外であげています」と茂木氏。
 その経営の基本には、〝日本の食文化を世界に〟、〝世界の食文化を日本に〟という経営理念がある。

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もし、50年前の決断がなかったならば…

 もし、50年前の現地生産化がなく、国内だけでの事業にとどまっていたならば、どうだったのか?
「(その当時の事業内容を受け継いだだけならば)今のうちの利益の10%強、15 %位の水準だと思います」
 では50年前、どうやって、米国ウィスコンシン工場建設を実現させていったのか?

「あの時は、親父(茂木啓三郎氏)が社長で、わたしが担当者で提案したんです」
 担当者として、米国での現地生産化に自信はあったのか?
「わたしは担当者でいろいろと計算していました。当時の資本金を上回る金額をかけての投資ですから、相当に計算し尽くしていました。利益を出せると思っていました」

 しかし、直後に予期せざる石油ショックが発生。原料は上がり、パッケージ(包装材)も高騰し、事態は急変。
「商品を値上げしても、コスト高に追いつかない。赤字にもなり、針のムシロでしたね」
 社内でも米国工場建設そのものに批判の声をあげる者もいた。茂木氏自身も体調を崩して入院した。
 そういう時も、茂木氏は「状況が落ち着けば利益は出ます」と関係者を説得して回った。
 リスクを取ることの大切さ。もっとも、新たな領域に踏み出すときは、徹底した調査、市場分析を尽くした上での投資ということだが、予期しない要因が発生する可能性もあり、リスクは常にあるということ。それを踏まえた上での針路の選択であり、決断だということである。

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デカップリングの時代をどう生き抜くか?

 コロナ禍に加えて、ロシアによるウクライナ侵攻が起きて半年が経つ。
 国という存在が陰に陽に絡む時代である。これまでのように、一直線に海外進出で事業を拡大発展させ、成長を手にするという状況ではなくなっている。例えば、お隣・中国とはどう向き合っていくかという課題。

「これが難しい問題で、デカップリングということですね。ソビエト連邦がつぶれて(1991)、グローバリゼーションが始まって、これからも世界は1つだとみんな思った。ところが、またいろいろな事が起こり、デカップリング(切り離し)が始まりつつあるわけですね」

 デカップリング─。自由・民主主義か専制主義かという価値観の違い。それに経済安全保障の観点から、戦略物資や先端技術分野を中心に、切り離しが進む。米中対立、またウクライナ危機を巡って、ロシア非難を強める米・欧・日の陣営とロシア非難を避ける中国、さらにはインドといった国々との間で対応が分かれる。こうした状況を指す言葉がデカップリングだ。

 かつての冷戦時代は自由主義(資本主義)陣営対社会主義陣営という明確な区分があったが、「そうした鉄のカーテンの時代と違って、今のデカップリングはそう単純ではない」と茂木氏。
「ウクライナ問題では、欧州はウクライナをバックアップする。だから間接的に欧州とロシアは戦争をしているんですね。にもかかわらず、ロシアからエネルギーを含め、いろいろなものを買っている。相手が中国だと、もっと世界の経済と結び付いている。日本や米国もそうだし、英国もドイツも同じ。非常に難しい問題で、そう簡単にデカップリングと言っても、きれいさっぱりと切り離しが出来るかどうかということ。非常に複雑で、非常に読みにくくて、政治家も経営者もやりにくくなる。そういう状況ですね」

 ウクライナ危機で、日・米・欧などに中国の台湾侵攻はあり得るという見方が強い。政治と経済が密接に絡まる時代だ。

資本主義は改革の歴史

 資本主義自体も時代に対応して、変革を余儀なくされている。
「僕は資本主義、自由経済主義というのは、他の経済システムと比べて、ベストだとは思わないけれども、ベターだと思うんです。これは、民主主義が他の政治システムと比べて、ベストとは言えないけど、ベターだと言えるのと同じこと。それはやはり、今後も続いていくだろうと思うんですね」

 茂木氏はこう語り、「ただ、それが後代にも続いていくとするならば、やはりその時々に必要な改革が求められる」という考えを示す。
 茂木氏が米国に留学した1960年頃、米国の企業社会では単に利益を追求するだけでは駄目だという考えが強まりつつあった。それは、単に株主のために利益を追求するのではなく、社会のために尽くさなければいけない─という考えであった。

「具体的には、他のステークホルダー、利害関係者にも配慮しなさいと。お客様だとか、取引先だとか、従業員、一般社会、そういう人たちのことを十分に配慮して経営しないといけないと。こういう考え方が1960年頃に強くなったんです」

 当時、ソ連の経済は強かった。ソ連の経済成長率が米国のそれより高い年が何年か続い
た。また、宇宙開発競争で、ソ連は1957年10月、史上初の人工衛星『スプートニク』の打ち上げに成功。
「そうした事もあって、米国は非常に危機感を持っていたわけです。このままでは、もしかすると社会主義経済のほうがいいということになる。資本主義経済の良さを示すためにはどうしたらいいのかというと、株主のためだけに利益を追求したら駄目だと。他のステークホルダーに対しても十分な配慮をしないと、資本主義のいいところが出てこないという考えが強くなった」

 今で言えば、企業の存在意義や使命とは何かという問題意識である。
 米国はその後、ベトナム戦争(1960年代半ばから1975年まで続いた)などで疲弊し、1971年に米ドルの切り下げ、金本位制からの離脱、輸入課徴金といった政策を断行(ニクソン・ショック)。試行錯誤が続いた。

 1980年に登場したレーガン大統領は経済政策『レーガノミクス』を打ち出す。規制を緩和して自由な競争を作ることで経済成長を促そうという政策。
 ただ、レーガン大統領の時代(1981―1989)にはレーガノミクスの効果は出なかった。

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資本主義をいかに進化させるか

「ええ、クリントン大統領(1993―2001)の時になって、米経済は良くなった。それで、ベンチャービジネスが生まれたし、そのベンチャーの中からも巨大企業が生まれてきて、GAFAなども登場した」

 その米国経済も万々歳ではない。貧富の差、格差が生まれ、それにどう対応するかという問題意識が出てきた。
 経済人の集まりである『ビジネス・ラウンド・テーブル』が株主優先のための利益追求だけではなく、顧客、従業員、取引先、そして地域社会など全てのステークホルダー(利害関係者)のための経営を追求していこう─という宣言を行った(2019年)。

 このように資本主義は常に改革・改善の道を辿ってきている。
 今、日本でも岸田文雄首相が『新しい資本主義』を標榜。人口減、少子化・高齢化の中で、どう経済を成長させ、国民の所得を向上させていくか、まさに正念場だ。

「日本人はもっと自信を持っていい」

 日本のGDP(国内総生産)が世界に占める比率はピークの1994年には17.9%あった。それが今は5.1%(今年5月時点)に低下。

〝失われた30年〟と縮む話ばかりが出されるが、日本の良さも一方である。もともと日本の経済思想の根幹には、「世のため、人のため」という公(社会)に貢献する思想がある。
 例えば、近江商人の「売り手よし、買い手よし、世間よし」の『三方よし』の考え方もそうだ。これなどは国連が推奨するSDGs(持続性のある開発目標群)や、ESG(環境、社会、ガバナンス)にも通ずる思想と言っていい。茂木氏も、「日本人はもっと自信を持っていいと思います」と語る。

 では、どう動くべきか?
「日本人はバブル経済が終わったあと(1990年代初め)、リスクを取らなくなったんです。もちろん全く取らなくなったわけではなくて、前と比べると、リスクの取り方が少ない。リスクを取らなければ、価値は生まれない。そういう意味で、何とかもう1回、日本人に元気を出してもらわなければいけない」

 茂木氏はこう語り、「今の社長クラスの人たちはバブル時に課長位のポジションで、バブル崩壊も経験して、当時倒産した会社の悲惨さも知っている。だから、あまりリスクを取らなくなっている。これは一般論ですがね」という分析を見せる。

「今の50代、40代の人たちは、バブルの時はまだ若いし、そういう世代がトップになると、少しムードが変わってくると思います」と茂木氏は若い世代に期待を寄せる。
 かと言って、怖いもの知らずでもいけない。リスク管理をきちんとしながら、チャレンジしていくことが大事である。
「米国はやはり敗者復活の世界なんです。日本人は失敗したら、もう押さえ込んでしまう。
そこが問題なんです」
 失敗からの復活を含めて、活力のある日本再構築へ、今がまさに正念場である。

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