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「認知症治療薬」の開発はどこまで進んでいるか?東京大学大学院教授・岩坪威氏に直撃!

財界オンライン / 2022年10月3日 7時0分

岩坪威・東京大学大学院医学系研究科教授

「2022年11月に、アルツハイマー病の新薬の治験結果が出ます」と話す東京大学大学院の岩坪氏。21年に米バイオジェンと日本のエーザイが共同開発した新薬が、米国で「条件付き承認」となり、賛否の論議が巻き起こったのは記憶に新しい。今年11月にはエーザイ、スイスのロシュの新薬の治験結果が出る。アルツハイマー病の改善は世界的課題だけに、関係者は上市に期待を寄せている。
認知症の症状がない人への治験を実施
 ─ 岩坪さんは、日本で社会問題にもなっている認知症の克服に向けて、予防につなげるためのメカニズムの解明や、治療薬開発に役立つ基礎研究などを進めていますね。近年は治療薬の治験が大きな話題になりましたが、現状は?

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 岩坪 この6年ほどアルツハイマー病のメカニズムを研究するために、PET(positron emission tomography=陽電子放出断層撮影)検査で原因物質であるアミロイドβというタンパク質が溜まり始めているが、症状のない段階の「プレクリニカル期」の方に毎月お越しいただいて、抗体医薬を投与する治験を行ってきました。

 結果がわかるのが2023年に入ってからという見通しです。この治験の期間は非常に長いものですが、その理由はアルツハイマー病に向かう脳の変化は、症状が出る15年前ほどから始まるなど、長期間に及ぶからです。

 ですから、まだ症状が出る前の段階の予防が大事だろうと。16年頃の段階では、治験を3年ほど行えば大丈夫だろうと考えていましたが、分析していくとそれでは足りないという結論に至り、4年半の実施としました。

 ─ これだけ長期間の治験というのは、なかなか例のないものだと。

 岩坪 そうです。アルツハイマー病初期における企業が行う商業治験は1年半ほどですが、これも通常よりは長いんです。今回は、その一段階前ですから、わずかな変化を見ていく必要がありました。

 東京大学では65歳から85歳の方、約160人の方を検査して、100人の方にPETスキャンを行いましたが、このうち20人、5人に1人の方がアミロイドの量が増加していました。さらに健康状態など様々な理由から、17人の方に投薬を行うことになり、その中の14人の方に4年半通い続けていただくことができたのです。

 ─ この治験は日本以外でも行われたんですか。

 岩坪 日本、米国、豪州の3カ国で実施しました。イーライリリー社の新薬を使った産官学のプロジェクトですが、日本は準備が遅れ、当初は参加が危ぶまれました。イーライリリーのグローバル開発リーダーのフィリス・フェレル氏が日本への留学経験もあって理解があり、「日本が治験に参加した方がビジネス上も有益だ」とフォローしてくれて、何とか参加に漕ぎ着けることができました。

 これは偶然なのですが、コロナ禍の影響で米国の治験が打撃を受けたこともあって、日本の方が先に進んだ面があります。

 
「条件付き承認」となった新薬の行方
 ─ 21年には米バイオ医薬品会社バイオジェンと、日本の大手製薬メーカーであるエーザイが共同開発したアルツハイマー病治療の新薬「アデュカヌマブ」がFDA(米食品医薬品局)に承認されて話題となりましたね。

 岩坪 ええ。これは「迅速(条件付き)承認」でした。我々が取り組んでいる治験は症状のない方が対象でしたが、アデュカヌマブのような一般的な新薬治験では症状のある方、アルツハイマー病でいえば、軽症認知症期の方とその一歩手前の軽度認知障害(MCI)の方が対象になります。

 この方々に対して月1回、アデュカヌマブを点滴投与したわけです。この治験では千数百人の患者さん2グループをつくり、それぞれの半数の一方はアデュカヌマブ投与、もう一方はプラセボ(偽薬)という形です。治験では、2グループで同じ結果が出れば、他方が他方を再現したと捉えられるからです。

 ─ その治験の結果はどう出たんですか。

 岩坪 アデュカヌマブは脳に溜まるアミロイドβを除去するという抗体医薬です。治験では、2グループともアミロイドβがかなり除去されるという結果が出ました。ただ、症状が改善しなければ薬にはなりません。

 その症状はどうだったかというと、1グループでは認知機能低下を22%改善した一方、もう1グループでは同じ治験を行ったにもかかわらず、差が出なかったのです。

 ─ これをどう解釈すべきだと?

 岩坪 薬の原理であるアミロイド除去は動いているけれども、最後の目的である認知機能低下抑制に本当に効く薬かどうか判断するのに、FDAでも侃々諤々の議論が行われたと聞いています。

 米国では、こうした難しい新薬についての判断をする際には諮問委員会を開きます。20年秋に開かれた委員会では、委員の多くが「この新薬は認めるべきではない」と投票しました。

 これには伏線があります。どの分野でも「トップランナー」は思い通りにいかない事態に直面することがあります。この新薬も、予定通りに治験を行えておらず、最後の数カ月分を省略して早期中止をしているんです。

 ─ その理由は何ですか。

 岩坪 大規模な治験ですから参加者の方々への負担もありますし、メーカーのコストもかかります。ですから独立委員会が定期的に「抜き取り検査」を行ってデータの解釈、予測を行います。その時に最後まで治験を行った時にうまくいかない確率が高く出たら、その時点で中止する「無益性解析」という仕組みがあります。

 アデュカヌマブは18年12月の抜き取り検査の結果、この基準に引っかかってしまいました。そこで進めるか、中止するかには企業の判断もかかわりますが、バイオジェンとエーザイはそこで中止を決断します。

 ただ、ここで中止するという最後の治験データが取得されたのは4カ月後の19年3月でした。そこまでのデータを解析してみたところ、先程お話したように一方は22%改善、もう一方は有意差がないという結果が出たわけです。

 ─ 悩ましい結果となったわけですね。

 岩坪 ええ。そこで最終的にはもう一度だけ試験を追加して、そこで結論を出そうということになりました。そしてFDAは、それまでの治験では患者さんに十分に薬が入っていなかったなどの可能性があり、薬が入れば効果が得られると推定されるという判断をしました。

 ただ、いまの時点で完全承認はできず、「迅速承認」という形で「仮免許」を与える判断をしたのです。冒頭お話したように、市販後に追加試験を課す「条件付き承認」という結論を出しました。21年6月のことです。

 ─ 賛否両論がありましたが、FDA、米国としてはかなり前向きな判断をしたように見えます。

 岩坪 そう思います。私の解釈ですが、アルツハイマー病の改善はかつての月面着陸のようなインパクトがありますし、多くの患者さんが薬を待望されています。ここで厳格な判断をして、さらに月日が経つより、症状改善の兆しがある新薬ということで、条件付きながら承認を与えたのだと思います。

 
日本では新薬をどう判断したのか?
 ─ この判断を受けて、日本はどう対応しましたか。

 岩坪 日本には医薬品の承認審査を行う、厚生労働省所管の独立行政法人であるPMDA(医薬品医療機器総合機構)がありますが、FDAの判断に遅れること半年、PMDAと厚労省は21年12月に審議をし、アミロイドβを除去するなど見るべきところはあるが、再度の検査結果が出るまでは継続審査という結論を出しました。

 ─ 米国に比べると、かなり保守的な判断になりましたね。

 岩坪 やはり審査結果は影響が重大で、どこが責任を負うかという問題もありますから、国は慎重に判断したのだと思います。

 ─ 2割でも効果が出るということであればアルツハイマー病の方には朗報に思えますが。

 岩坪 ただ、抗体医薬は価格が高いという問題もあります。年12回投与しますが、当初のバイオジェンの希望価格は5万6000ドル(22年8月末現在のレートで約780万円)でした。

 日本でこの新薬が適用される方の数は、最大に見積もれば100万人はいる可能性があります。実際に医療提供の対象となる方の数はこれよりはるかに少なく始まるものと思われますが、当初、数兆円かかるという話が霞ヶ関で独り歩きしたこともあったとも耳にしました。

 適応となる方に対して、進行速度を2割落とす効果があるというのは画期的ですが、新薬としては「確かによくなった」という「総合的な臨床的実感」がないと不十分だという面もあります。

 また、米国でも今年の初め、アデュカヌマブを公的保険で扱うかどうかを審議しましたが、その結果、判断にはデータが十分ではなく、再度の試験の結果を待ちたいという判断になりました。ただ、今後の治験のために使われる薬については保険償還するとも判断したのです。

 本来、バイオジェンとしては数百億円レベルでアデュカヌマブを売りたかったのだと思いますが、残念ながら現状は想定の100分の1もないという状況です。社員のレイオフも行われ、経営者も退陣しました。

 
技術の進歩が新薬の効果を高める
 ─ 期待の持てる治験結果が出た一方で、現実には非常に厳しい状況ですね。

 岩坪 ええ。ただ、おそらく10月から11月にかけてだと思いますが、エーザイが開発主体となっている新薬「レカネマブ」の治験結果が出てくる見通しです。このレカネマブも、脳に溜まったアミロイドβを除去する効果が期待されています。

 アデュカヌマブが脳で完全に固まってしまったアミロイドβに作用するのに対し、レカネマブは、それに加えて溜まりたてのアミロイドβも除去するものになっています。

 実は、アミロイドβは固まったものほど毒性が弱く、固まっていく過程で脳に悪影響を及ぼしていくとの考え方があります。その意味で、固まる前段階にも作用するレカネマブの存在は大きいといえます。

 ─ ここまでの治験ではどういう成果が出ていますか。

 岩坪 第3相治験よりも規模は大きくありませんでしたが、先行する第2相試験で、認知機能の低下スピードを3割ほど遅くする結果も出ています。

 他にも、スイスのロシュが、エーザイのレカネマブと同じような効果の発揮が期待される新薬「ガンテネルマブ」の開発を進めており、レカネマブと同じくらいの時期に治験結果が出そうです。11月末に米サンフランシスコで行われるアルツハイマー病の治験学会で、正式に結果が出される見通しです。

 さらに、イーライリリーも「ドナネマブ」という新薬の開発を進めており、これも第2相治験では臨床的指標が3割ほど改善するというデータが得られています。

 これらの新薬は、全てのアルツハイマー病の患者さんではなく一部の方を対象にするものですが、それでも症状の進行を遅らせられるというのは画期的です。大きな意義のある薬ですので、治験の結果がポジティブであれば、私も含め関係者は新薬として上市されることを期待しているんです。

 ─ 徐々にではありますが、アルツハイマー病の予防、治療に向けた手立てが見えつつあるということですね。

 岩坪 ええ。アルツハイマー病の新薬は長年にわたって各社が開発を進めながら、なかなか効果が得られなかったわけですが近年、お話したようなデータが出てきている要因は、やはり技術の進歩です。

 例えば、先程お話したアミロイドβを可視化する「PETスキャン」が普及したことで、治験の精度が向上したことも大きいですし、これまでうまくいかなかった各社の治験結果を冷静に分析して、新薬の対象者を症状が進んだ方から、より早期の方に移してきたことも重要です。

 ─ 関係者の努力が実を結びつつあると。

 岩坪 そうですね。さらに今、アルツハイマー病の予防法の開発を目指し、日本の50~85歳の健康な方を対象にしたオンライン研究プロジェクト「J―TRC」への参加者募集も進めています。ご自身で認知機能の継続的なチェックもできますので、ぜひ〝J―TRC〟で検索いただき、ご参加頂ければ幸いです。

 近年、デジタル技術の進展で遠隔診療も進んでいますが、医療機関への来院に依存しない臨床試験も可能となりつつあります。この手法をDCT(Decentralized Clinical Trials=分散化臨床試験)と言い、今後の応用が期待されます。

 アルツハイマー病の新薬開発は医療分野の中でも最大と言っていい規模ですから、産・官・学でしっかり役割分担をして、全ての人に期待される大きな目標の達成に向けて取り組む必要があると思います。

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