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【医療界にも非営利法人のホールディングカンパニー制が登場】山形県・酒田市病院機構・栗谷義樹理事長に直撃!

財界オンライン / 2022年10月13日 18時0分

栗谷義樹・地方独立行政法人山形県・ 酒田市病院機構理事長

「医療機関同士の信頼が基本。情報を全職員で共有
することで医療の生産性向上も実現できる」

 「地域からお金の流出を最小限に抑える医療・介護の提供体制を作るべきだと思ったのが最初です」と栗谷義樹氏は語る。前回の号で記したように、山形県酒田市にある日本海総合病院は2008年に山形県酒田市の旧市立酒田病院と県立の旧日本海病院が再編統合し、新たに独立行政法人「山形県・酒田市病院機構」として発足した。理事長の栗谷氏がこの地域連携の姿を模索したきっかけは何だったのか。病院が連携することによる医療現場へのメリットとは何なのか。新たな日本の医療の姿を探る。

【なぜ病院連携に成功したのか?】山形県・酒田市病院機構・栗谷義樹理事長に直撃!

病院の経営を巡る議論が出発点

 ─ 栗谷さんが地域医療連携推進法人を立ち上げようと思った経緯は何だったのですか。

 栗谷 日本海ヘルスケアネット(HCN)は全国で5番目だったのですが、設立は地域医療連携推進法人が法制度化された翌年でした。しかもなぜか10年ごとに節目が来ています。

 例えば、私が酒田市立酒田病院の院長就任後10年経って病院の合併が起こりました。さらにこの病院の合併が起こってから10年後に地域医療連携推進法人ができたのです。

 実は地域医療連携推進法人をつくったのは、合併した病院の経営上の都合でした。合併によって基幹病院が1つだけになってしまった。そこで急性期の医療の管理と新しい業務構造を作っていかなければならないという課題に直面したのです。

 しかし、業務構造を作ることに失敗すると、大体病院はとんでもない赤字になります。それで自分なりに考えて出した答えが非営利法人のホールディングカンパニーという仕組みでした。

 そこに看護施設やインフォメーションといった機能を持っている本間病院が傘下に加わると名乗り出て、財務諸表を全部提出してくれたのです。各病院の財務状況が分からなければ何をどうしたらいいか分かりませんでしたからね。もちろん、酒田市立酒田病院の財務諸表も全て提出していました。

 実際に本間病院の財務諸表を見てみると、本間病院が病院事業としては債務超過になっていたのです。ただ、目も当てられないほどの債務超過ではない。他の事業でバランスが取れていました。さらに本間病院には、例えば循環器内科といった急性期を脱した後に転院させる受け皿となる診療科を持っていました。急性期病院は重症度や在宅復帰といった在院日数を管理するためにも、転院先が必要になります。実際我々は今の特定病院群に分類されています。それは本間病院があったからです。

 そういった医療体制を継続させていくためには、本間病院には絶対に生き残ってもらわないといけません。では、本間病院を経営改善するにはどうすれば良いかと。そこから地域医療連携推進法人の枠組みも整っていったのです。

ですから地域医療連結決算も、今どこにお金があるかという話ではなく、地域全体からお金が逃げていかなければ仕組みとしては良いのではないかという発想から出て来たアイデアになります。地域から何とかお金の流出を最小限に抑える医療・介護の提供体制を作るべきだと思ったのが最初です。



病院の建て替えから合併へ
 ─ 自分たちの地域での医療連携を創設するためにと考えたことが国の改革の方向性とも重なったのですね。酒田市立酒田病院も赤字だったのですか。

 栗谷 ええ。私が病院に勤めて5年経ったときに山形県立日本海病院ができました。近隣に規模の大きな県立病院ができたので医師もたくさんいました。県立病院ができれば市立病院はもういらなくなるだろうと言われました。実際に、患者さんも県立病院に通う人が増えました。

 当時、私は外科だったのですが、院長先生も外科で定年まであと5年ほど。院長の定年を機に、また別の病院に移ることになるのかなと漠然とした将来構想を描いていた最中、院長が定年になる前年に、院長を引き受けて欲しいというお達しを市から受けました。その頃、副院長先生が2人いたので驚きました。

 ─ そういう現状に違和感を感じたと。

 栗谷 はい。院長として財務状況を見てみると、全く成り立たない医療を提供している先生がいたり、患者さんの数はどんどん少なくなる。資金繰りがいつまで持つか調べてみたら、向こう2年でダメになると。かなり大きな資金不足に陥っていたのです。「ほぼ終わりだな」と思っていた最中でも何とか資金繰りをうまくつなげられました。

 ─ どうしてそうなったのですか?

 栗谷 先ほどの副院長先生が自分では必ずしも満足していなかったかもしれない医療をすることによって、お金を貯めていてくれたのです。そのお陰で何とか凌ぐことができました。

 このときはお二人にとても感謝しました。苦しい時期をそれで凌ぎ、3年目くらいから黒字転換を果たしたのです。病院も決して新しい建物ではなかったので、償還もそんなに多くありませんでした。それで現金が徐々に溜まっていったのです。

 ─ 足元を固めることができたということですね。

 栗谷 そうです。それで医師も何とか私と波長の合う人が集まってくるようになり、それで盛り返しました。一方で職員は古い病院を建て替えれば、県立病院に競争で勝てると思っていたのです。しかし、当時の酒田市長が絶対に首を縦に振らないと分かっていました。

 そこで立ち上げたのが「病院改築外部委員会」です。総務省自治税制局準公営企業室の室長からアドバイスを受けたのです。

 そして外部委員会を立ち上げ、委員長には私と同じような考え方を持ってくれている同志になっていただきたい。それでネットなどで省庁の委員会の議事録を片っ端から読み、ついに私と同じ意見を持っている方を知った。それが公認会計士だった長隆先生(監査法人長隆事務所代表)です。長さんの事務所にお伺いし、直接お願いしました。

 ─ その長さんとの出会いが病院再編につながったと。

 栗谷 はい。長さんには実際に病院にもお越しいただいたのですが、水道管のパイプがむき出しになっていて、病院にも改築するお金がないと。そして長先生から提案された県立病院との統合でした。そして08年に山形県立日本海病院と酒田市立酒田病院が統合再編し、日本海総合病院が設立されたのです。

 ─ 栗谷さんの危機感は若い頃からあったのですか。

 栗谷 ええ。ただ、いつ潰れるか分からない病院の院長になったときは大きかったです。自分で想像するのと実際に院長になってこれから先どうなってしまうのかと実感するのとでは全然違いますからね。それに、職員の生活もあります。

 今まで公務員だったけれども、統合して独立行政法人になれば身分が変わるわけです。看護師さんも含めて放射線技師や麻酔医などの職員からは厳しい視線を浴びせられましたね。中でも1日新患10人くらいしか来なかった日は、もう終わりだと皆が思ってしまいましたからね。

 ─ 今は何人ですか。

 栗谷 130人程度です。それが当時は僅か10人。「うちの病院はどうなっちゃうんだろう?」と皆が思うのも当然です。ただ私も最初は手の付けようがないと思っていました。どうしたらいいんだと。それでもまずは何かをやらなければならない。そこで私は、ともかく病院の情報を全部職員の中で共有するようにしました。

 そのために病院の中に無線LAN回線を敷いたのです。ただ、回線を敷くお金がなかったので、医師会に補助金をもらうため、自分で企画書を書いて3年間で2000万円の補助金をもらいました。これによって病院内のどこに行けば、そのデータが見られるかが全部分かるようにしたのです。患者動態も毎日分かるようになりました。どこの診療科に行けば数値だけですが、全部分かるようにしたのです。



診療録の公開に賛同した医師
 ─ 結果としてデジタルトランスフォーメーションのはしりになったと言えますね。

 栗谷 そうですね。かなり早い方だったのではないかなと思います。照会機能でもメールに病院内のどこが空いているか分かるような仕組みを組み込み、また、VPNというセキュリティも混ぜ込んで実装していきました。

 今から見ると玩具みたいな機能でしたが、それが当たった。事前にデジタルで手続きを済ませておけば、受付することなく来院いただいた段階で手続きが全て済むようになりました。

 ─ HCNの前身であるヘルスケアネットは11年から始動していますが、これが全国でも先駆けた取り組みになったと。

 栗谷 HCNを始めた頃は地域の医療情報共有システムが、あちこちで出始めた頃でした。ただ当時は総合交付金など国の予算がいろいろついていました。その予算のお陰で全国でも数多くのシステムが立ち上がった。ただ、それが今でも機能しているかというと、ほとんどは機能していないのではないでしょうか。しかし、HCNのシステムはそんなに高いお金を投じることなく構築することができました。

 ─ 何が違ったのですか。

 栗谷 医療機関同士の信頼があったからこそだと思います。これがなければできません。医師の診療録など、ともかく全部を開示しようと決めたからです。普通であれば、診療録を公開することに反対する医師が多いものです。しかし、我々は開示検討委員会というものも一切立ち上げませんでした。医局会議に行って開示を求める理由を説明しただけです。

 最初に話を聞いた医師たちは皆キョトンとしていましたが、使い続けていくうちにメリットの方が大きいことが分かってきたのです。例えば、紹介状のやりとりにしても、わざわざ挨拶文やら余計なことは書かずに済みます。どういう治療をしたかだけを簡潔に示せばいい。その上で、あとは詳細を診てくださいと伝えれば済むのです。

 ─ 全員での情報共有が大事だと。

 栗谷 そうです。他に効果的だったなと思うのは、介護施設や訪問看護ステーションなども公開する対象としたことです。そうすることによって、カンファレンスの時間が半分になりました。今まで病院側の医師が患者さんやその家族に、どういうことを伝えたかは、患者さんやその家族から聞くしかありませんでした。

 しかし、患者さんやその家族から情報を聞き出そうとしても、本人たちが正確に分かっていることなどありません。介護施設や訪問看護ステーションの職員が医師に連絡するしかなかったのです。これは彼らにとってはもの凄いストレスでした。

 ところがHCNではカンファレンスをして医師の報告を皆で聞き、そのカルテなどの情報も共有できるようになりました。介護施設や訪問看護ステーションの職員が医師にわざわざ聞き出す必要がなくなったのです。



医療現場の生産性向上へ

 ─ 看護師や介護士の数も限りがある中で、生産性向上に寄与したということですね。

 栗谷 はい。介護士さんたちももの凄く助かったと思います。労働生産性を上げるためのポイントは情報共有です。お互いに情報共有できるから労働生産性は上がるのです。ですから、皆が少ない時間で最大の効果を上げるためには、医師が持つ情報などを共有することは必要なことなのです。

 まして看護施設で働く若い人たちも結構ITリテラシーが高い。医師のご機嫌をとりながら患者さんのことを聞かなければならないという環境をそのまま放置しておいたら、看護施設で働く若い人など集まってきません。始めるに当たっては、なかなか大変でしたけど、決断して良かったと思います。

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