世界が混沌とする中、経営者に求められる覚悟─ キヤノン・御手洗冨士夫の その国の文化、民族性に合わせた人事・雇用を!
財界オンライン / 2022年10月28日 12時0分
「人とモノが活発に行き来できるグローバリゼーションの再興を」─。キヤノン会長兼社長CEO(最高経営責任者)・御手洗冨士夫氏は「今はグローバリゼーションが壊れかけているが、自由貿易によって価値の交換ができ、世界中が共に豊かになれるようにしていくことが大事」と語る。「戦争とパンデミック(疫病の世界的流行)、それにイノベーション(技術革新)が一遍に来た状態」をどう生き抜くか? 同社は全売上の約76%を海外であげるグローバル企業。その国の文化風土や民族性に合わせて、「それぞれの国にはその国なりの経営のやり方がある」という考えから、「日本は日本流の経営、米国では米国流の経営をやる」と御手洗氏。日本は終身雇用を基本にしながら、年功序列などの弊害を取り除き、「どう組織を活性化させ、国際競争力を持たせるかがカギ」という人事政策。時代が大きく変わろうとする中でのリーダーの覚悟と使命とは─。
<画像>東京都大田区のキヤノン本社付近を空撮
戦争、パンデミック下で進むイノベーション
「世界はいつも変化し続ける」─。
キヤノン会長兼社長の御手洗冨士夫氏はこうした世界観、人生観を示し、「今はイノベーション(技術革新)と戦争、パンデミック(疫病の世界的大流行)が一遍に起きているとき」という認識を示す。
先人たちも、種々の疫病に悩まされながらも、それを乗り切ってきた。
「ええ、14世紀にはペストが流行った。それでヨーロッパの人口が半分になったとか言われていますね。その後、スペイン風邪があった。第1次大戦(1914―1918)の時の流行で大変な数の人たちが亡くなった。そして、今のコロナ危機、これで世界は大きく変わっている」
14世紀のペスト(1347―1352)では、全欧州の人口約8000万人のうち、50%から60%の人々が死んだといわれる。第1次世界大戦時のスペイン風邪では、正確な統計は分からないが、最低7500万人の死者とされるが、2億人に及んだという推定もある。
こうした歴史をヒモ解きながら、御手洗氏は「世の中がどんな状況にあっても、イノベーション、技術革新は進んでいきます」と強調。
そのイノベーションで、人の生活も大きく変化。
「例えば、家電の領域を見ても、昔はお母さんが箒で家の中を掃いていたのが、電機の革命で世の中が変わっていったじゃないですか。技術で世の中が変わっていく。日本も変わり、世界も変わっていく」
戦争、パンデミックに加え、資源・エネルギーの供給不足、そしてインフレの到来、日本では急激な円安・ドル高による混乱も続く。まさに混沌とした状況での経営のカジ取りである。
そうした状況下、同社は今期(2022年12月期)の業績で前期に続き、増収増益を見込む。ちなみに売上高は約4兆800億円(前期比16%増)、営業利益約3760億円(同33%増)という見通し。
コロナ禍はパンデミックとなって3年近くが経つ。当然のことながら、キヤノンも影響を受けた。
コロナ禍1年目の2020年12月期は減収減益となった。具体的には売上高が約3兆1602億円(前期比12%減)、営業利益約1105億円(同36%減)と大幅な減益で打撃を受けた。
コロナ禍でロックダウン(都市封鎖)が行われ、各国・各地の生産工場が停止。このことがモノ不足、インフレを起こす要因となった。
加えて、資源・エネルギーの供給不足も起き、世界的に〝モノ不足インフレ〟が発生。
グローバリゼーションの起点を1991年の旧ソ連邦崩壊とすると、約30年が経つ。この間、米国の〝強大国1国時代〟が続くと思うや、急速に中国が経済的、軍事的に台頭し、〝米中2強時代〟になった。
そして、米・欧・日の自由主義陣営では経済安全保障の重要性がいわれ、片や中国は『一帯一路』構想を打ち上げ、世界への影響力を強めてきた。
御手洗氏は、ここ最近の世界の現況について、「グローバリゼーションもズタズタにされた」と語る。
確かに、経済人も相当な緊張感を強いられる。
このような状況を踏まえて、御手洗氏は、「人とモノが行き来できるグローバリゼーションをつくることが経済人にとって一番望ましい」と強調する。
ただ、グローバリゼーションを巡る世界の動きも微妙だ。
もっと言えば、反発もある。欧州での外国人労働者の流入を防ごうという運動もその1つ。
モノ不足インフレにどう対応するか
「確かにグローバリゼーションが一番初めに崩れかかったのは、労働問題、雇用問題ですね。英国がEU(欧州連合)から離脱したのも、移民が押し寄せ、今まで職に就いていた人たちが仕事を失い、不平等だということで反発が起きた。旧植民地から大変な勢いで移民が押し寄せ、仕事が奪われてしまった。そうしたグローバリゼーションの負の局面が出だした頃に、パンデミックが起こって、人の行き来は制限された」
御手洗氏が続ける。
「国の中でもマスクをさせられて、操業停止になる会社もあるし、中国や東南アジアの弊社の工場も止まったりしました。サプライチェーンは分断されるし、物流機関、交通機関の仕事も滞った。その結果、供給不足になり、随所でモノ不足現象が現れ、モノ不足インフレが起こった。これは今でも続いています」(インタビュー欄参照)
モノ不足で資源・エネルギーや原材料価格が上昇し、コスト・プッシュ・インフレへの懸念も生まれる。
こうしたコストアップを製品価格に転嫁する動きは欧米で進むが、日本ではそう簡単にはいかない。
消費者物価の動きにもそうした各国の国内事情が反映される。米国の消費者物価上昇率8%台、欧州は10%台とまさにインフレ。
これに対して、日本の消費者物価上昇率は2・6%(8月)と低い。企業物価指数は資源高騰と円安で、9・0%上昇しているのだが、それを最終消費者の段階で価格転嫁できていない企業が相当数あるということ。
二極化現象が起きて…
御手洗氏はこのモノ不足インフレによって、「日本でも産業界は2つに分かれる」と語る。
パンデミックは人の外出制限につながり、飲食業界は大打撃を受けた。国と国をまたぐ移動も制限され、航空業界やホテル・旅行業界も深刻な危機に陥った。
一方で、海運会社は旺盛な物流需要を受けている。年間の営業利益が1兆円に達する企業もある。まさに二極化現象である。
このコロナ禍の約3年間にキヤノンはどう対応してきたのか?
「一般従業員のボーナスはそのままにしましたが、配当は半分にして、役員報酬も返上してきた。それぐらい(前半は)本当にきつかった。努力して、原材料の調達なんかも努力して、だんだん増収増益になったわけです」
今回のインフレ、特に日本の場合は、「景気が良くて、過剰流動性が起きてなったインフレではないです。モノ不足によるインフレだから、需給関係がイコールになるまでは続くんです。そう考えると、まだ(この状態は)1年以上続くんじゃないかと思います」と御手洗氏(インタビュー欄参照)。
モノ不足は当分続き、経営コストは上がり続ける。
急激な円安進行で〝縮む日本〟
そして円安の急進行─。円安は原材料の輸入コスト上昇につながるが、一方で、製品の輸出代金は膨れるという〝プラス面〟もある。
しかし、マクロ的に見ると、ドル建てでみた日本は縮小しているということ。日米の金利差でドル高・円安が急速に進行。1ドル=144円の現状(9月中下旬)が続くと、日本のGDP(国内総生産)は3・9兆ドル台と4兆ドル台割れになる。
戦後、日本は高度成長を続け、1968年(昭和43年)に当時の西ドイツ(現ドイツ)を抜いて、米国に次ぐ自由世界2位の経済大国になった。
その後、改革開放路線を採った中国が経済成長の道を走り、2010年に日本を抜いて世界2位の座に就いた。
コロナ禍、ウクライナ危機の中でインフレが進み、米FRB(連邦準備制度理事会)はインフレ抑制のため、金利引き上げに動いた。一方、日本銀行はゼロ金利政策から動けず、日米金利差がドル高・円安を招来。
今年3月頃までは1ドル・110円台の為替相場も今は140円台。今年の日本のGDPは550兆円台で、年初までは5兆ドル弱か、4兆ドルの後半と思っていたところへ、4兆ドルも割り、GDP4位のドイツと並ぶ水準にまで落ち込む。
〝縮む日本〟─。世界(インターナショナル)の目で見ると、日本は縮み込んでいるということ。どう〝縮む日本〟を浮揚させていくか?
『平等』主義の日本『公平』を旨とする米国
御手洗氏(1935年=昭和10年生まれ)は、日本を外から見つめる経験を若い頃している。
1966年(昭和41年)、30歳のとき、米国キヤノン勤務を命ぜられ米国に赴任。1989年(平成元年)に帰国するまで都合23年間の米国駐在を務めた。
30歳から53歳までの米国駐在。当初、キヤノンも米国市場にすんなり溶け込めず、米国キヤノンの立て直しも含めての米国勤務。そして後半は米国キヤノン社長として、米国の経営風土も体得した。
このことは、日本の経営風土との違いをしっかり認識させられると共に、雇用をはじめ、経営のやり方はその国の文化、慣習、民族性などと絡むのだということを会得することにもなった。
「アメリカ社会は、公平を物事の判断の基準に据える。これはイコール(平等)じゃなく、フェア(公平)という概念。フェアというのは競争社会なんですよ。日本は平等を大事にする国。平等というのは非競争社会です」
御手洗氏は、日本と米国の根本的な価値観の違いを、イコールとフェアという言葉を使ってこう説明する。
これは社会の有り様として、どんな違いが出てくるのか?
「だから日本は、みんなが豊かになったけれども、学問なんか遅れているわけです。防衛力もないし、とがったものがなくなった。みんな平等。日本では、これが当たり前なんですね」
御手洗氏は、日本の若者が大学を卒業して、企業社会に入る時の状況にも触れる。
「日本では、どんな学生生活を送っても、勉強した者もしなかった者も、会社に入ると初任給は同じ。これはアメリカでは考えられないことですよ。今まで22年間勉強してきて、一生懸命に努力した人の価値を日本ではくみ取ってもらえない。御破算で願いましては、となる。これは平等社会だからです。これに、誰も文句を言わないのは、平等が染みついているからです」
米国はどうか?
「アメリカでそれをやったら大変ですよ。アメリカは、同じ学校から同じ日に同じ会社に入っても、会社のニーズによって給料は全部違うんです。アメリカは要る人を、要る時に、要るだけ採るんです。無駄がない。日本は一括して、バーッと何百人も採るわけです」
物事には、プラス・マイナスの二面性が付きまとう。平等主義で構成メンバーが安心感をもって働けるとするなら、そのプラス面を活かしつつ、マイナス面を克服することも大事。
「ええ、物事を公平に考えたり、判断することも大事。働きのいい人には、いいなりに課し、悪い人には悪いなりに、ちゃんと働けるように持っていく。何もかも平等ではなくて、伸びる人はどんどん伸ばしてやらないといけない」
〝伸び悩む〟日本の立て直しへ、『平等』主義の課題克服は1つの大切な視点である。
終身雇用を基本にその弊害を是正
御手洗氏は1995年(平成7年)に社長に就任。2006年会長。2006年から2010年まで経団連(日本経済団体連合会)会長を務めた。そして2012年会長兼社長となった後、2016年会長。2020年5月、真栄田雅也社長(当時)の辞任(後に死亡)により会長兼社長という足取り。
同社は創業(1937年)以来、初代社長で叔父の御手洗毅氏が大事にしてきた『自撥(自発)、自治、自覺(自覚)』の〝三自の精神〟を大事にしてきた。
御手洗毅氏は西郷隆盛の『敬天愛人』の思想に惹かれ、人間尊重主義も謳った。
御手洗氏はこうした伝統の経営風土を大事にしながら、「会社は常に社会にとって必要な存在でなければいけない」とイノベーション(技術革新)を推進する経営を実践。
祖業カメラで出発した同社だが、事業構成を社会のニーズに合わせ、新しいものを付加してきた。
戦後間もなくは、カメラの輸出で成長。1960年代の高度成長期に人手不足が社会の課題になると、複写機、ファックスなどの事務機分野を開拓。
基礎にあるのは、光学技術である。その光学技術に磨きをかけ、半導体が産業のコメ(米)といわれる時代になると、ステッパー(半導体製造の露光装置)などの産業機器を開拓した。
光学技術だけに依存していては、次の新しい社会ニーズに応えるにも限界があるとして、御手洗氏は2016年に医療機器メーカーの東芝メディカルシステムズ(現キヤノンメディカルシステムズ)の大型買収を決断するなど、新事業領域への進出にも意欲的。
イノベーションにしろ、新事業開拓にしろ、それらを担うのは「人」。
その「人」の潜在力を掘り起こすにはどうすればいいかは、御手洗氏にとって、社長就任以来の一貫したテーマ。
同社の社是は『健康第一主義、実力主義、新家族主義』だ。
環境変化は激しく、時代の移り変わりも目まぐるしいものがある今日だが、「働き甲斐があって、住みやすい国にしていく」ために「終身雇用システムが一番いい」というのが御手洗氏の考え。
もっとも、戦後日本で長い間定着してきた終身雇用制度には〝ほころび〟も出始めた。
新入社員採用時の〝一括大量採用〟や〝年功序列〟といったやり方には、時代の変化と共に不都合な面も出てきた。
そこで、終身雇用の平等主義的な面から生ずる〝欠陥〟を克服、是正するためにと、同社は2000年から職務給をベースにした役割給制度をまず管理職から実践。そして2005年から、一般職にも適用している。
職務給。職務の難易度や責任の度合いに応じて賃金を支払う制度。成果主義や同一労働同一賃金にも通ずる給与制度だ。
同社は、それまで〝職務遂行能力〟を判断軸にする職能制を採ってきた。知見や経験を重んじるやり方でもあるが、「どうしても緩みが生じる可能性があり、国際競争に勝てない」という判断で職務給をベースにした制度に切り換えたという次第。
前述したように、同社の売上の76%は海外市場であげている。つまりグローバルな市場で競争して、売上に結び付いているわけで、国際競争力という視点が人材育成には不可欠。
そのためには、公平性の観点も不可欠。業務が変われば、処遇もそれに見合ったものにするように工夫。約6800ある仕事の分析を行い、その1つひとつを数値化するなどしてきた。
このように、終身雇用を基本に据えながらも、時代の変化に対応して、雇用制度を変革してきている。
なぜ、今、日本は終身雇用なのか?
この終身雇用について、一部に「よくない」という声があることに、御手洗氏は「この島国で、同一民族で、同一言語で過ごす限り、ああいう形態が一番いいんですよ。平等になりやすい欠陥もあるんですけれどもね」と次のように続ける。
「サイエンス(科学技術)やファイナンス(財務・会計)はインターナショナルの考えでいいんです。だけれども、人事はローカルなんですよ。その国の文化や宗教、その国の民族性に合った経営をするのが一番合理的なんです。日本は島国で人口過剰、これだけの人が住んでいる。平和に住むために、誰もが職に就くためには、終身雇用システムが最もふさわしいんです」
御手洗氏は米国キヤノン社長時代、米国での会社経営について、「徹底的にアメリカ流をやってきた」と次のように語る。
「米国での生活23年間のうち、最後の10年間は社長でしたが、社長就任時の経営陣で、10年後に残ったのはたった1人。あとは全部入れ換えました」
キヤノンの従業員数は世界で18万1800人強。海外の子会社や関連会社はその国の雇用制度で運営し、人員調整を頻繁に行う所もある。
「日本は日本の経営をする。各国別に経営は違っていいと思うんです」と御手洗氏。
グローバル経営は多様性を伴う経営でもある。
変革期は、やり甲斐がある!
『悲観は感情から生まれ、楽観は意志から生まれる』─。哲学者・アランのこの言葉を御手洗氏は好む。
「感情的というのは、どうしても悲観的になっちゃうんですね。だけど、どんな苦境でも楽観主義を貫くには、意志が強くて、不屈の覚悟が求められます。そうでなければ、楽観的にはなれないです」
コロナ禍は人の生き方・働き方に大きな影響を与え、テレワーク、在宅勤務を生んだ。
今後、ネット世界とリアル(現実)な世界との兼ね合いはどう考えていけばいいのか?
「ネットで出来るものについては、ネットでやる。うちの本社機能だと2万5000人位いますが、その内3500人位はテレワークでやっています。テレワークを正式な仕事の形態として決めました」
御手洗氏はこう語り、「一番喜んだのは開発部隊。彼らは、徹夜で研究しているわけです。また、そうしないと気が済まない。会社だと、残業はいけないとか、限度がありますからね。自宅だと自由に、服装もリラックスして、夜中にやろうと、何であろうと勝手ですからね。だから開発の連中は喜んでいる」という認識を示す。
人間中心主義、そして『自発、自治、自覚』の哲学はいつの時代、またどこの国の関連会社でも変わらない。
「はい、海外も哲学は同じです。経営の仕方は国によって違いますが、基本精神ではわれわれはぶれないです」
変革期はおもしろいし、仕事のやり甲斐があるという御手洗氏である。
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