三村明夫・日本商工会議所会頭の訴え「円安は今の日本にとって好ましくない。経営者は金融正常化に向かう中で混乱に向き合う覚悟を」
財界オンライン / 2022年10月27日 18時0分
「日本の停滞を乗り越えるためには、政府と民間が協力しなければならない」と訴える。日本では長きにわたるデフレの中で、企業も家計も現預金を増やしながら投資・消費を抑制し、結果として賃金は上がらず、生産性は上がらず物価も横ばいを続けてきた。だが今、ウクライナ問題などでエネルギー・資源価格が高騰、世界的なインフレが襲う。この状況下で企業が打つべき手は何か─。
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中小企業は物価高騰分を価格に転嫁できていない
─ この3年弱はコロナ禍、さらに足元ではウクライナ問題と世界経済を巡る不安定感は高まっています。現状をどう見ていますか。
三村 コロナ禍が始まった頃は、飲食・宿泊業など、人流で成り立っている産業が大きな影響を受けましたが、足元でその影響が徐々にではありますが、緩和しています。
日商の調査では、コロナ感染拡大前に比べて、売上高が30%以上減少した中小企業の割合は、一時約3割にまでのぼりましたが、足元では2割程度に減少しています。
しかし、懸念されるのは世界的な物価の高騰です。日本の消費者物価指数は3%程度の上昇と比較的低く抑えられていますが、今年8月の日本の国内企業物価指数は既に前年同月比9・0%上昇しています。米国の消費者物価指数は8月に前年同月比8・3%、英国が同9・9%上昇しているのに比べたら驚くほど低いわけです。別の見方をすれば日本の消費者物価は、今後、大きく上昇する可能性も考えられるということです。
─ 日本の消費者物価指数の上昇率が低く抑えられている背景は何でしょうか。
三村 諸外国は、同じように原材料高騰、物価高騰に見舞われても消費者物価に反映されますが、日本では反映されていない。
中には電気料金のように大幅な変動を抑制する制度もありますが、一番の問題は、企業のコスト上昇分を消費者に転嫁できていないことです。そのことに中小企業は今、一番困っています。
BtoB、すなわち中小企業からすると大企業との価格交渉力には差があり、十分価格に転嫁できないのです。加えて、BtoC、すなわち消費者には顧客離れを懸念して価格転嫁が進まないのです。物価の高騰を価格に転嫁できないことで収益が悪化することを避けるためには企業間での取引価格を適正化しなければなりませんが、その動きはまだ本格化していません。
─ 欧米などは、日本以上に急激な物価高騰に苦しんでいますね。
三村 このところ世界経済の先行き不透明感は高まっています。米国の経済成長率は22年4―6月期で2期連続マイナスになっていますし、中国は同じ期に前年同期比0・4%増と失速しています。一方で物価高騰は貧しい人々の生活を直撃しますので、大きな問題です。
したがって、インフレの抑制が最優先事項になり、米国も欧州も景気悪化を覚悟してでも利上げする姿勢を示しています。
OECDは、9月の経済見通しで、2022年の世界経済の成長率を3・0%、2023年は2・2%としています。ウクライナ問題で加速した物価高騰が長引き、コロナ後の回復を牽引してきた先進国の成長にも急ブレーキが掛かっている。
円安にもかかわらず輸出が増えない理由
─ 為替が急速に円安方向に推移しています。円安は中小企業にどのような影響を与えるでしょうか。
三村 今、大切なことは「円安が進んだから大変だ」と慌てることではありません。過去30年間を振り返ると、日本は物価も賃金も生産性も横ばいが続くという、いわば「停滞の三重苦」が続いてきました。その結果、企業にも消費者にもデフレマインドが染み込んでしまっています。それが先程のコストが上がっても価格に転嫁できない要因に繋がっています。これは非常に根深い問題であり、これを何とかしなければ、多くの中小企業は生きていけません。
生きていけないという意味は、以前からの構造的な人手不足の中、賃金原資を確保できなければ人手も確保できず、事業活動が続けたくても続けられない、という深刻なものです。足元では人手不足が顕在化していますが、最低賃金は大幅に引き上げられました。さらに物価が上昇すれば生活費も上がり、賃金を上げなければ新たな従業員は雇用できません。
この2、3年は人員や経費をカットして我慢していた企業が、コロナ禍が小康状態になる中で、回復する需要に対応するために人手が必要と思い始めていますが、賃金を上げなければ人が集まらない。様々な要因が錯綜する中、厳しい状況です。
─ 円安に関連して、現在の金融政策についてはどう見ていますか。
三村 物価上昇を金融引き締めで抑え込もうとすると景気に大きな悪影響を与えかねないため、金利を上げる・上げないといった二者択一での議論は適切ではありません。
しかし、金利の上げ下げだけが金融政策ではありません。例えば日本銀行が市場と丁寧に対話することも一つの有力な手段ではないでしょうか。一番大切なことは、円安が今の日本経済にとって好ましいのか、好ましくないのかをよく分析して、分かりやすく国民に示すことです。一部の方々は「急激な」円安は好ましくないと言っていますが、変化のスピードだけを議論するのではなく、世界と日本の経済状況、産業構造などを俯瞰して、日本経済全体にとって好ましいのか、好ましくないのかという視点が必要です。
例えば、今回の円安局面での大きな特徴は、円安にもかかわらず、数量ベースでの輸出はほとんど増えていません。
これはおそらくサプライチェーンの寸断による部品不足の影響もありますが、かつての円高で日本企業が生産拠点を海外に移転したことによる影響が大きいとみています。日本は残念ながら潜在成長率が0%台です。潜在成長率は資本投入、労働投入、全要素生産性の三つによって決まりますが、国内における資本形成が潜在成長率に与えた寄与度は、この20年間ほぼゼロです。
円安効果の国内還元が見られず
─ 国内への投資が進んでこなかったことの影響がこのような形で出ていると。
三村 実際、国内の生産能力は増えていないのではないかとうのが私の実感です。したがって、円安になっても生産、輸出数量が増えるという効果がない。
円安は、海外事業収益が円換算で増える効果や輸出額に対する円安効果というのは確かにあるでしょう。しかし、円安でメリットを享受した企業は国内に利益を還元しているのか。
実際には、賃金や取引価格は引き上げられず、国内での設備投資も少なかったのではないでしょうか。
従来は、そうした円安効果があったのですが、今回はそれを感じられません。仮に一部の業種や企業が円安で得た利益を抱え込んでいるのであれば日本全体で円安の恩恵を受けることができません。
そういった意味においても、円安はそうした今の日本の構造から言えば好ましくない、という共通認識が出来上がりつつあるように思います。
─ 為替の円安は国力の低下を示しているという声も強くなっています。
三村 1人当たりGDP(国内総生産)は国の豊かさを示す指標ですが、シンガポールに抜かれ、韓国、台湾にも抜かれようとしています。これは20年間の停滞によるもので、我々は相対的に貧しくなっている。さらに今、円安で円の購買力が落ちています。
しかし、私はこのような状況をただ嘆くよりも、みんなで危機意識を共有して、この状況をどうやって抜け出すかを考えるべきだと思います。
コロナ禍や米中対立は世界のグローバリズムを変質させ、日本を巡る様々なリスクを明らかにしました。経済安全保障、医療安全保障、食料安全保障、エネルギー安全保障など、いずれも国の根幹に関わるものです。これらの課題をしっかりと共通認識として捉えて、日本が停滞から抜け出す活力に変えていくべきだと思うのです。
─ 反転のバネにすべきだと。
三村 例えば価格転嫁もその一つです。価格高騰を消費者物価に転嫁して、賃金原資を確保し、賃金をアップする。それでようやく、20年の停滞から抜け出す。そうすると国内マーケットも大きくなりますから、設備投資ができる余裕が出てくるだろうと思います。これがいわば「新しい資本主義」ではないでしょうか。
政府と民間が協力して停滞の打破を
─ 岸田政権が、その「新しい資本主義」を打ち出していますが、どう捉えていますか。
三村 私は大いに評価しています。日本経済の停滞について、誰が悪いのかというような安易な議論では本質を見誤ります。例えば家計は貯蓄ばかりで消費しない。これは国内マーケットの拡大を抑えてしまっている。
企業、特に大企業は収益を相当上げていますが、賃金、設備投資を増やしていない。結果として民間部門の現預金が非常に増えている。設備投資をしていないことからこの20年間、日本の潜在成長率は上昇していない。
─ 先日亡くなった安倍晋三元首相の経済政策「アベノミクス」はどう評価しますか。
三村 アベノミクスは評価しています。当時の日本は円高など6重苦が課題でした。それを「大胆な金融緩和」という第一の矢、「機動的な財政政策」という第二の矢、「民間投資を促す成長戦略」という第三の矢で解決しようとした。行き過ぎた円高を是正し、設備投資を増やし、成長率を高めようという狙いは正しいと思います。
ただし、一番肝心な日本の成長力を上げるところまでは、まだ至っていません。
─ 停滞を抜け出すためのカギは何だと考えますか。
三村 やはり政府と民間が協力する必要があります。まず、政府は方向性を出さなければいけません。例えばGX(グリーントランスフォーメーション)、DX(デジタルトランスフォーメーション)など重要な部分には政府が資金を投入し、リスクをシェアすることで、民間が安心して投資できるようになります。
政府は民間と協力して取り組むべきターゲットを決める必要がありますが、同時に、政府が乗り出し過ぎないことも大事です。あくまで政府の関与は必要な分野に限定し、市場経済の下で民間が頑張ることが基本です。
─ 中小企業が置かれた状況は厳しいですが。
三村 日本はこれまでグローバル化の恩恵を受けてきましたが、コロナ禍で人々の行動や価値観が変わり、ウクライナ問題に見られるように地政学リスクも高まっています。さらに、脱炭素といった対応が難しい目標も出てきました。このような状況下で企業は生き残らなければなりません。
自らを新しい時代に合わせて自己変革することなしには、おそらく生き残っていけないだろうと思います。私が皆さんに訴えたいことは「変化への挑戦」です。とりわけ、その能力を備えているのは中小企業です。
中小企業の経営者は現場をよく知っています。そして彼らにとって会社が傾くことは、自分自身の存在意義を問われていることと同じです。ですから真剣に会社を立て直すことを考えるはずです。自分の事業ですから、大きな変化への対応も自分の責任において成し遂げられるのです。
「取引適正化」に向けた様々な取り組み
─ 三村さんは会頭の任期中に大企業と中小企業の取引正常化に打ち込んできましたね。
三村 本来、民間同士の取引は自由に任せるのが資本主義の基本です。ところが現実には、大企業の力が強いため、中小企業は交渉の場を持つことさえも難しい。大企業との取引を失うことが怖くて、中小企業の多くは取引の適正化を言い出せないわけです。
菅前首相時の「成長戦略会議」では、最低賃金が話題になり、皆さんが「ぜひ引き上げるべきだ」と言ったわけですが、私は「賃上げは必要だが、中小企業には余力が乏しい」と言いました。
なぜなら、賃上げには原資である付加価値がなければいけないからです。中小企業の労働分配率は70~80%程度です。つまり、付加価値の80%程度はすでに人件費として支払われている状況です。私も賃金は上げるべきだとは思いましたが、それには先ず、価格転嫁などの取引適正化によって、付加価値を増やさなければいけないわけです。
─ 最低賃金を引き上げるにしても必要な条件があると。
三村 付加価値を増やすにはコストダウンと販売価格のアップという二つのやり方があります。これを同時に、政府と民間が協力して取り組まなければ、最低賃金は上げられません。
また、経営者のモラルに訴えることも重要です。経営者は自社の購買部門はフェアに購買していると思っているか、あるいは思いたがっています。しかし、現実は違います。
ですから経営者は購買部門に対して、「購買部門の役割は単にコストを引き下げるのではなく、サプライチェーン全体でコストも利益も適正にシェアするような取引をすることだ」ときちんと伝える必要があります。このことは、我々が進めてきた「パートナーシップ構築宣言」における重要な考え方です。
ただ、宣言するだけでは物事は前に進みません。取引適正化のためには、経営者のモラルとそれを担保する仕組みが必要です。政府は具体的な不適正取引の事例を集めています。また、「下請けGメン」(取引調査員)を122名から248名に増やして、実態調査に努めています。
─ そこで、ひどいケースがあった場合にはどう対処するんですか。
三村 あまりにひどいケースについては、行政指導などの措置も必要です。例えば公正取引委員会が「優越的地位の濫用」だとして是正を促したり、「下請中小企業振興法」に基づいて経済産業大臣等が指導・助言を行ったりすることです。
今回、政府は取引の実態を調査するために、中小企業15万社に対してアンケート調査を行っています。今後、あまりにもひどい事案は企業名公表などの措置が取られると聞いています。
─ 国も含め、様々な協力態勢を敷いているわけですね。
三村 そうです。内閣府や経済産業省だけでなく、国土交通省、農林水産省、厚生労働省も「パートナーシップ構築宣言」の輪の中に入ってもらっています。
3月と9月を「価格交渉促進月間」と定め、力を入れています。また、関係する政府機関と産業界・労働界との定期的な会議やシンポジウムなども実施され、「パートナーシップ構築宣言」の実効性をさらに高めるための運動が展開されるようです。
金利がつく世界が正常
─ 取引において大企業、中小企業ともに意識を変える大きなきっかけになりますね。
三村 そう思います。今まで、大企業の中には「コストアップは中小企業に負担させればいい」という考えのところもあったかも知れませんが、今後は自分もサプライチェーンの一員として、コストも利益も適正にシェアするためにどうしたらよいかを真剣に考えなければなりません。
このことは、これまでお話してきた物価上昇の話にもつながります。これから、日本は消費者物価も含めて、ある程度物価が上昇すると予想されます。その場合には、金融政策を適宜見直すことも検討されていくのではないでしょうか。
─ やはり、金利がつく状態が正常なのだと。
三村 貸したお金は金利をもらう、借りたお金には金利を払う。これが本来あるべき姿だと思います。金融緩和が続く中で、ややもすれば異常な状態が当たり前になっています。しかし、いつかは正常化の道を辿らなければなりません。
─ その時には、多少の痛みを伴いますね。
三村 正常化に向かうプロセスでは痛みを伴うことも考えられます。しかし、国債の利払いが増えることで、国の財政再建に向けた議論を前に進められるかもしれません。
さらに今、企業も家計も現預金を積み上げていますが、金利が上がれば現金を保有していることの機会コストが大きくなります。そうすれば、これらのお金も、何らかの形で使われるようになるでしょう。
しかしながら、正常化に至るプロセスが長く続けば、企業にも家計にも政府にも大きな負担が課されます。金融緩和が長かったこともあり、思わぬトラブルが起こることもあるでしょう。経営者は覚悟して乗り越えなければなりません。
みむら・あきお
1940年11月群馬県生まれ。63年東京大学経済学部卒業後、富士製鐵(現・日本製鉄)入社。72年ハーバードビジネススクール卒業。93年取締役、97年常務、2000年副社長を経て、03年社長、08年会長、13年11月相談役名誉会長、日本商工会議所会頭に就任。
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