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「2020東京五輪」をどう総括するか?武藤敏郎・元組織委員会事務総長を直撃!

財界オンライン / 2022年10月28日 18時0分

武藤敏郎・東京五輪・パラリンピック組織委員会事務総長

東京オリンピック・パラリンピックのスポンサー選定を巡る贈収賄事件。東京五輪・パラリンピック組織委員会事務総長を務めた武藤敏郎氏はスポンサーシステムには税金を使わずに開催都市の財政を下支える面があった一方で、オリンピックの商業化も招いたと指摘する。そんなスポンサーの仕組みが構築されるまでには関係者の様々な事情が背景にあった。

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ユベロス組織委員長の発言
 ─ 「スポンサーシップ」という考え方は1984年のロサンゼルスオリンピックからでしたが、当時は「商業オリンピック」とも言われていましたね。

 武藤 ええ。そのロス大会で私と同じ立場にあった方が実業家のピーター・ユベロス氏でした。このユベロス氏が「税金を一切使わずにオリンピックを開催してみせるから自分にやらせて欲しい」と言って、大会組織委員長に立候補したのです。

 ロサンゼルス市長も、ユベロス氏が「自分がやれば税金は一切使わなくていい。やってみせる」と言うものですから、面白いことを言う人だということで、やって欲しいと。

 ただ、ユベロス氏も抜け目がなくて、もし黒字が出たら1割はボーナスとして自分に欲しいと言ったのです(笑)。

 ─ アメリカ人の実業家らしいところですね。

 武藤 そうですね。そうしたら、なんと最終的には日本円で400億円程度の黒字になったのです。彼は40億円を報酬として手に入れました。東京ではそんなことはないですけれど。

 ─ これはもちろん、日本とアメリカの違いだと。

 武藤 はい。それで、この40億円を元手にユベロス氏はスポーツビジネスに打って出て野球の球団のオーナーにもなり、スポーツ界では成功した人物として有名になりました。なかなかの知恵者だったのでしょうね。

 それを見て初めてIOC(国際オリンピック委員会)もオリンピックはお金になるんだということに気が付いた。

 そこからスポンサーシップがどんどん広がり、IOC自身もいまや14社のスポンサーと契約しています。

 日本ではトヨタ自動車、パナソニックホールディングス、そしてブリヂストンです。それでIOCも財政的に潤ったわけですね。

 ─ それらの14社とIOCのやり取りとはどんなものになりますのですか。

 武藤 だいたい8年間が原則になるのですが、2回の夏季オリンピックと2回の冬季オリンピックの計4回のオリンピックのロゴを使う権利や自社がオリンピックスポンサーだと名乗ることができる権利です。この権利をIOCは売るわけです。

 ─ 日本の企業の場合は、その3社ですか。

 武藤 そうです。この権利は追加のスポンサー料を払えば延長することもできます。

 ─ 1社どのくらいのスポンサー料になるのですか。

 武藤 それはもうマル秘です。3桁億円とも言われています。ただ、8年ですから4回で割ると4分の1になります。そういったうまいやり方をしているのです。それでIOCは大きく潤ったわけです。そして同じようにそれぞれのオリンピック開催地でスポンサーを募るようになりました。

 ─ 1984年から数えれば、ほぼ40年が経つのですね。

 武藤 そうですね。最近ではロンドンオリンピックもリオデジャネイロオリンピックも全部スポンサーシップでやってきているわけです。「東京2020」は日本の経済がちょうど上向きかけた2013年に決まりました。

 今は景気がちょっと悪くなっているけれども、当時は案外良かったときでした。そこでスポンサー料は最終的に約3700億円集まりました。初めは1000億円台がせいぜいだとみんな言っていたのです。

 ところが、それがどんどん集まってきて、なんと3000億円を超えることになった。この金額は史上最高のスポンサー料になったのです。

開催都市が財政難に陥る
 ─ 世界でも例がない金額になったわけですね。

 武藤 ええ。次のパリやその次のロスでもスポンサー料を集めることになるのでしょう。アメリカは経済力が日本よりも大きいですから、アメリカの場合にはスポンサー料を更新するかもしれませんが、今まででは東京が最高です。この結果、組織委員会は原則として税金を使わなくて済んでいるわけです。

 税金を使えば使ったで、また「なぜそんなことに税金を使うんだ」ということになるので、基本的にはスポンサー料の徴収は良いことなのです。ただ、商業主義というのでしょうか、オリンピックが商業化したという批判があるのも事実です。

 ─ 1980年から2001年にかけてIOC会長を務めたサマランチ氏が進めましたね。

 武藤 実はこの話には非常に深い事情がありました。1976年のカナダ・モントリオールオリンピックで、モントリオール市が当初想定した費用を大幅に上回ってしまった。やり方を失敗したのです。そして、その年に市は組織委員会の財政赤字を埋められなくなってしまいました。そこでどうしたかというと増税です。

 増税額はほんの僅かだったのですが、それで10年以上かけて、その赤字をずっと埋め続けたという財政的な大失敗が起こったのです。そのときに、サマランチ氏は「こんなことが再び起こると、オリンピックはもう続けられない」と危機感を抱いた。

 次の開催場所は1980年のソ連(当時)のモスクワと決まっていました。当時、モスクワはとにかく国をあげてお金を投じていくと。共産圏のことですから、これは何とかなると予想されていました。その次の1984年の開催地の決定が1977年で、ちょうど7年前に決まる。そこで1984年の開催地を決めようとしたら、当初どこも手を挙げなかったのです。

 それでIOCもいろいろと動いたのですが、そこで手を挙げたのがロサンゼルスだったのです。ロサンゼルスにとっては2度目になります。ロサンゼルスも覚悟を決めて手を挙げたということになります。サマランチ氏にとっても、誰も引き受け手がなくなって、オリンピックができなくなるのではないかというときに救われた形になります。

なぜ夏が開催時期なのか?
 ─ そんな中で税金を使わずに開催できると発言したピーター・ユベロス氏の登場だと。

 武藤 ええ。ですから、ピーター・ユベロス氏は時代の寵児のようになったわけです。彼のやったことはテレビ放映権の1社独占ということになります。

 それまでは全テレビ局がいくらでも放映できるようになっていたのですが、彼は1社独占としたのです。1社にだけ放映させるからお金を出しなさいと言ったわけですから、大騒ぎになりました。それでも彼は頑なにテレビ放映権の独占を貫いたのです。

 ─ 財政が大変だと分かっているから、ユベロス氏の決断は大きかったわけですね。

 武藤 そうですね。そういう経緯があって造られたのがオリンピックのスポンサーシステムです。

 これは良い面と悪い面があって、税金を使わなくて済み、オリンピックも継続できるという半面、オリンピックの商業化が起こったと言われています。

 そもそもプロスポーツでは多くの企業がスポンサーになっています。そしてプロスポーツは春と秋、季節の良い時期に大体行われる。真夏に行われるのは野球ぐらいです。他のスポーツはやりません。1964年の最初の東京オリンピックのときは、スポンサーシップではなく税金で運営しましたので、秋の10月10日が開会式でした。

 ただ、秋にスポンサーを募るといってもスポンサーがついてきません。なぜなら、その時期にサッカーやラグビーといった従来からあるプロスポーツの大会があり、スポンサーもそちらにお金を出している。それなのに突然オリンピックがやって来てしまうと、今度はサッカーやラグビーの試合が全然注目されなくなってしまうからです。

 ─ スポンサー企業からは反対意見も出てきますね。

 武藤 はい。「そんなものはやめてくれ」となります。それからプロスポーツ業界も「私たちの収入減を奪うのか」となります。春はテニスの大会がありますから、春や秋の開催に対しては。プロスポーツがみんな反対になってしまったと。

 したがって、夏に開催するというのは、そういう事情があったのです。

理事が10人増えた経緯
 ─ なぜ暑い時期にやるのかと疑問の声がありました、そういう経緯があったのですね。

 武藤 ええ。世の中ではアメリカのテレビ局・NBCのテレビ放映が理由と言われたりもしました。もちろん、その面もあるとは思いますが、実態はいま申し上げたことなのです。

 ですから、NBCだけを説得しても駄目なのです。プロスポーツ業界とスポンサーを全部説得しないといけないのです。これは簡単にできることではありません。

 ─ これをもっと説明する必要がありましたね。

 武藤 そうですね。さて話が脱線しましたが、オリンピックが商業化したことによって、そこにスポーツビジネスに関心のある人たちが集まることになりました。オリンピックを招致すると、ビジネスになるということになれば、今度は招致の段階で、そういう人たちが関与するようになったのです。

 ─ ビジネスチャンスになるということですね。

 武藤 はい。実際にオリンピックを誘致できれば、ビジネスになる。それはそれでいろいろ問題があると思いますが、スポンサーシップを全くやめるべきかというと、それでは税金でやりますかということになりますね。

 ─ 民間のお金を集めても良いけれども、それを公明正大にやればいいわけですよね。

 武藤 そういうことなのです。そのことをIOCももちろん分かっていて、例えばロビイング活動はやってはいけないという決まりにしました。それまではIOCの委員が開催都市を視察して回ったりすると、接待だらけになっていたからです。

 それはもうやらないということで、改善策は講じてきたのです。しかし今回の贈収賄事件が起こってしまった。高橋治之理事について報道されていることが事実だとすれば、東京2020大会の価値を傷つけることになり、オリンピック・パラリンピックを冒涜するものです。

 本当に慚愧に堪えません。ただ、組織委員会の側に不正なことをした職員は今のところいないと理解しています。私は組織委員会の職員は適切に物事を処理したと信じています。

 ─ こういった人をなぜ理事に選んだかという問題があります。

 武藤 理事の人選は東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長が評議員会に推薦します。当時は高橋さんのスポーツビジネスに関する経験・知見から理事にと推薦する声がありました。そして最終的に評議員会で決定されました。

 話は違いますが、当時、女性理事の確保が課題でした。はじめは定款上、理事は25人でした。25人だった頃は安倍晋三首相(故人)が女性理事の割合を3割にしなさいと言っていました。今は4割と言っているんですが。それで25人の3割というと7人です。そこで私は7人の女性理事を選ぼうと強く主張しました。その結果、7人になりました。

 ところが、後に25人ではどうにも候補者を理事に収めきれないということで、10人増やして定款上の理事の員数の上限を35人にしましたので、女性理事の人数割合が少なくなってしまいました。その後、橋本聖子会長になってから理事を45人に増やして、女性理事の数も4割にしたのです。 (以下次号)


むとう・としろう

1943年埼玉県生まれ。66年東京大学法学部卒業後、大蔵省(現財務省)入省。2000年6月大蔵事務次官、2001年1月財務事務次官(大蔵事務次官から改称)、03年1月財務省顧問、同年3月日本銀行副総裁、08年大和総研理事長、18年名誉理事。14年1月東京五輪・パラリンピック組織委員会事務総長。

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