国際通貨研究所理事長・渡辺博史氏が直言「今の円安は、日本の国力低下を反映している。民間企業の真価が問われている」
財界オンライン / 2022年12月15日 18時0分
「日米の金利差がなくなっても、1ドル=115円には戻らないのではないか」─。国際通貨研究所理事長の渡辺博史氏はこう指摘する。一時、急速に進んだ円安は米国の金融政策、ロシアのウクライナ侵攻など複合要因で起きたが、その根本部分には「日本の国力低下がある」というのが渡辺氏の見方。〝国力再生〟にどう取り組むべきか。そして、国力を担う「人」の育成をどう進めていくべきか。
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円安の根っこには産業力の衰えが…
─ 為替の円安傾向が続いています。これは日本の国力低下を示しているという声もありますが、現状をどう見ますか。
渡辺 円は2022年の1月頃から安くなり始めました。その当時は日米の金融政策の方向性や金利差に着目される方が多かったわけですが、それに対して私は「それだけだというのは違うのではないか」と申し上げていました。
日米金利差の話はマーケットがかなり先読みをしていましたが、一時言われた1ドル=150円超というのは行き過ぎだろうと見ていました。その方向に賭けているディーラーがいたことが流れを加速させたのであって、ある程度先が見えてくれば130円台に戻るだろうと。その時は少数派でしたが(笑)。
もう一つ、今後米国の金利が低下、あるいは日本の金利が上昇し、金利差がなくなった時に、再び1ドル=115円、120円になるかというと、戻らないのではないかと見てきました。
─ こうした見方をする理由は何ですか。
渡辺 先程ご指摘のあった、日本の国力の低下は根っこにありますが、もう少し現象的に言うと、為替が円安になりかかった時に、日米の金利差が開いたのに併せて起きたのがロシアのウクライナ侵攻と、それに対する西側諸国による制裁です。
その際、制裁が効くのか?という議論がありましたが、高度な軍事力維持にも必要な、IT関連の技術が止められてしまう、あるいは余剰のエネルギー、食料の安定的買い手を失うことになるため長期的にはジワジワと効いてくるものの、短期的にはあまり効かないのではないかと考えていました。最大の理由は、ロシアにはエネルギー、食料に余剰があり、制裁で封じ込まれて困るという状況には全くないことです。
そうした理解が広がった時に、世界でエネルギーと食料を自給できない国はどこか?という話になり、欧州ではドイツ、アジアでは日本がそれに該当することが改めて認識されたわけです。
─ ドイツと日本に、その2つの課題があることは以前から指摘されてきましたね。
渡辺 ええ。もちろん、今初めて、そういう状況になったわけではありません。日本はかつて食料自給率がもう少し高かった一方で、エネルギーを巡る状況は変わっていません。ドイツも似たようなものです。
にも関わらず、日本の円、ユーロに統合する前のドイツのマルクが強かったのは、エネルギー、食料で足りない部分を、産業力、技術力で補っていたという状況があったわけです。
それが今、日本の貿易収支を見ると、この数年は赤字が続いています。特に2011年の東日本大震災以降、エネルギー面で問題を抱え続けています。
ただ、その間、所得収支はプラスでしたから、全体の経常収支は昨年までは黒字が続いてきました。しかし、今年は月によっては赤字が出る状況で、貿易収支の赤字が所得収支を上回ってきていることをディーラーが見ていて、今の日本が1ドル=115円というのは高く評価し過ぎているということに気づいたわけです。
─ 為替の円安が金利差だけでないことが認識されたと。
渡辺 ええ。ですから115円から150円まで落ちた35円のうち、半分くらいは日米金利差で加速されていますが、根っこの部分には収支の赤字、産業力の衰えが影響しています。
ですから、仮に日米の金利差がゼロに近づいたとしても、115円、120円には戻らないのではないかと見ています。
「3本目の矢」が打たれてこなかった
─ その意味で為替の問題は日本が国力をいかに取り戻すかにかかってくるということですね。かつて安倍政権時代に「アベノミクス」がありましたが、「3本の矢」のうち第3の矢である成長戦略が問われると。
渡辺 そうですね。アベノミクスが残した課題は「3本の矢」に関して2つ間違えた部分があったことです。
まず、毛利元就の故事における3本の矢は、一緒にいることで効果を発揮するものでした。ですから矢は一緒に打つべきだったのに、1本ずつ打ってしまった。かつ、第1の金融の矢が効き過ぎて、第2の財政が少し打たれたものの、第3の成長戦略はほぼ打たれていません。
3本の矢を順に打つということがおかしかったことに加えて、3本目が事実上打たれておらず、的まで届いていないのが現状です。
これは政府だけでなく、民間の方にも問題があったと思います。20世紀、特に最後の20年ほどは白物家電と自動車という2つの産業が日本全体をけん引し、貿易収支の黒字のかなりの部分を占めていました。
しかし、すでに20世紀終わりくらいから白物家電は韓国、中国、台湾に敗れる状況になり、たくさんあった総合家電メーカーも、あるところは倒産し、あるところは海外資本の傘下に入ってしまいました。
自動車は、まだいい状況ですが、2035年にはEU(欧州連合)はハイブリッド自動車(HV)の販売も認めないという方針を示しています。その後、米国でも販売できなくなる可能性がありますから、それに代わるものとして電気自動車(EV)に行くかどうかが問われます。
─ トヨタ自動車などはEV、HVなど全方位で行くと言っていますね。
渡辺 ですが、EVの世界では中国、米国が先を走っています。自動車発祥の地である米国は1980年代、90年代から欧州車にも日本車にも勝てなくなって低迷していましたが、EVでは政治的に難しい相手である中国と手を組む方向に傾いています。そしてそれを環境が後押ししているわけですが、日本はそこに乗り切れていない。
20世紀の2本柱が21世紀の2本柱になれない中で何をやるかが、まだ見えていません。日本の人口を支えるだけの起爆剤になるようなものは出てきておらず、これをどうつくるかには、政府の取り組みもありますが、民間に頑張ってもらわなくてはなりません。
IMFが示す『2つのT』
─ 日本のGDP(国内総生産)に占める製造業の割合が下がっていますが、今後の製造業の位置づけをどう考えますか。
渡辺 製造業は安定的な雇用の機会を与える意味で必要な存在です。日本では第1次産業、第2次産業が減って、第3次産業、サービス業に軸足が移りつつありますが、サービスの世界が「人」相手が多いとすると、今回のコロナ禍のようなことが起きると、人が来ないとサービスができない事態に陥ります。
サービス業は、外の変化に振られやすい面があります。対して製造業は、生産を自国内で行えば、販売に関しては、先程の人の動きに比べれば変動幅が小さい。ただ、一時の円高でアジアに工場を移してきましたから、日本国内で生産する量はかつてより減っています。
その中でロシア、あるいは中国の動きを見ると、全ての国と同じように取引できる状況ではなくなっています。ですから米国などではフレンド・ショアリング(サプライチェーン=供給網を同盟国内に収める)という考え方が強くなっています。
─ まさに経済安全保障の流れが強まっていると。
渡辺 ええ。ただ、これが極端になると、第2次世界大戦前のような「ブロック経済」(本国と植民地、同盟国で形成する閉鎖的経済体制)になってしまいます。ですから、同盟国とは重要な、あるいは高度な部分を一緒にやる、汎用的なものではいろいろな国と付き合うという形で分けていく。
その中で、日本が先頭を走ることができるような分野をつくり、重要なもの、汎用的なものの仕分けをして広がりのあるマーケットをつくっていく力を日本企業に付けていただきたいと思います。
過去2年、コロナの関係で開かれなかった世界銀行・IMF(国際通貨基金)の年次総会が22年10月に久しぶりに開かれました。IMFは基本的に健全財政の立場を取る機関ですが、コロナ禍で人が動けない状況下では政府がやるしかないという姿勢を示しました。
それでも条件を出していて、それが「2つのT」でした。第1に「targeted」、どういう分野や人に実行するかという目標を定めること。第2に「temporary」、短い期間で終結させるということです。IMFの関係者は、これを言って、我々日本人の顔を見てニヤッと笑っていました。日本の苦手分野だということがわかっていたのですね。
─ 改めて官民が一体となって取り組むべき課題ですね。
渡辺 そう思います。本当に困っている人を助けたり、制度をつくって自由に動ける環境をつくるのは政府の仕事ですが、政府が音頭を取って何かをするのは限界があります。そこはやはり民間に頑張ってもらわないといけません。官民が協調しながら、同時に緊張関係を保つという時代だと思います。
国力の基本は「人」
─ 今、日本全体で「リスキリング」(学び直し)が叫ばれていますが、これは国力向上とも絡む話ですね。
渡辺 そうですね。ただ、それ以上に今の大学までの教育も変えていく必要があります。以前、文部科学省とも議論したことがありますが、日本は理系、文系で分けて受験することになっていますがこれがおかしいと考えています。
文系に行きたい人に理由を聞くと、多くの場合「数学が嫌いだから」という答えが多いわけです。ITが氾濫する時代に数学が苦手で生きられるかという問題はありますし、その理由を公的に認めて、数学ができなくても行ける大学があるというのは問題だと思います。
また、大学は学部ごとに受験していますが、これからの時代に求められているのは、全く違う複数のものを一緒にする能力です。しかも今は、親や教師に学部選びを相談することが多いわけですが、30年前の知識の人に聞いても適切な答えが返ってくるわけではないのです。
─ 最後は自分で選ぶしかないと。
渡辺 そうです。ですから、あまり学部を小さく分けず、大学に入学してから興味関心を持った分野を専攻していく形に変えなければいけません。私は米ブラウン大学に留学しましたが、当時から米国では一部の大学でこのような形になっていました。
なぜ、このような教育が必要かと言えば、日本人は決められたことをやって能力を上げ、改善を進めるという形でやってきましたが、これから求められるのは全く違うもの同士をつなげて新しいものを生み出す能力です。今の日本の大学は、この能力を育む形になっていない。
米国のIT起業家などは数学だけでなく、文化人類学や植物学など全く違う分野を学んだ上で、新しい事業を模索しています。もちろん、日本にも能力を持った起業家はいますが、もう少し幅広い学問を学べる場をつくる必要があると思います。
─ リベラルアーツという言葉がありますが、日本で改めて考える必要がありますね。
渡辺 そう思います。また、社会人になってからも仕事が合わない、あるいは専門的にやっていた仕事がなくなるというケースも出てきます。昔のタイピストはなくなりましたし、今の経理の仕事も多くの部分をコンピューターが代替しています。
その意味でリカレント教育が重要になっています。ただ、そのための教育プログラムをつくるのも大変です。コンピューターに関して言えば、そこで教えようと仕組んだものが、翌年にはもう古くなっているというくらい、移り変わりが激しいからです。
最先端の部分は一部の優れた人材が担うとして、リカレントでどこまでの学び直しをするかといった目標をきちんと設定する必要があります。
以前から日本は、発明はしないけれども、技術を産業化するのは得意だと言われてきました。逆に言えば「閃き」の部分がなかった。今のままでは、いつまでも二番手、三番手のままです。この「閃き」をいかに刺激するかが、これからの教育で非常に大事になってくると思います。
─ 個人の個性を生かす教育も必要になりますね。
渡辺 日本は「出る杭を打つ」というような風土がありますが、ある私の先輩は「出過ぎた杭は打たれない」と言っていました(笑)。1つの枠組みにみんなを当てはめていると縮小均衡に陥ってしまいますから、出る杭を認めるような世の中にしていくことが必要だと思います。
わたなべ・ひろし
1949年6月東京都生まれ。72年東京大学法学部卒業後、大蔵省(現・財務省)入省。2003年国際局長、04年財務官。07年国際金融情報センター顧問、08年一橋大学大学院商学研究科教授、同年日本政策金融公庫代表取締役副総裁、12年国際協力銀行代表取締役副総裁、13年同代表取締役総裁、16年国際通貨研究所理事長。
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