【母の教え】コメ兵ホールディングス・石原卓児社長「『常に謙虚に、誠実でいなさい』という母の言葉を常に胸に置いて」
財界オンライン / 2023年1月24日 11時30分
「よくしゃべり、よく笑う。病気一つしない元気な人です」と母の佳代子さんを評するのは、コメ兵ホールディングス社長の石原卓児さん。佳代子さん自身コメ兵の社員として44年間働いた経験から会社への思いが深い。1997年に石原さんの父でコメ兵2代目社長の秀郎さんが57歳で急逝し、〝修行〟に出ていた石原さんが急遽入社。佳代子さんから教えられた「常に謙虚に、誠実でいなさい」という言葉を胸に経営にあたる日々だ。
【写真で見る】石原さんの母・佳代子さんや父・秀郎さんの笑顔
よくしゃべり、笑う「元気な女性」
私の母・佳代子は1945年(昭和20年)3月、現在の愛知県田原市小中山町に生まれました。渥美半島の先端である伊良湖岬から10キロほどに位置する港町です。
母の父、私の祖父は漁師で、祖母は居酒屋に近い小料理屋を営んでいました。地元の漁師さん達、中部電力渥美火力発電所の関係者で賑わっていました。
母は長女です。地元で小学校、中学校まで通いましたが、当時は中学校40~45人のクラスの中で、高校に進学するのは2、3人という時代だったそうです。周囲は皆、家が農家や漁業を営んでおり、多くの人が中学を出たら実家などで働いていたのです。
母はというと、遠い親戚が偶然コメ兵(当時は合資会社米兵)で働いており、「人を募集しているから働いてみたら?」と誘われて、15歳で就職したんです。
当時は従業員の親戚や知り合いに声をかけて入社してもらっている状況で、多くが女性でした。「元気な女性」が活躍していた職場で、母はその1人でした。
よくしゃべり、よく笑い、病気一つしないという非常に活発な女性です。結婚で仕事を辞める人が多い時代にあって、最終的には44年間、コメ兵で働きましたから、私より社歴の長い先輩でもあるんです(笑)。
父の秀郎と結婚したのは、母が21歳の時です。実は、最初に母を気に入ったのは祖父でした。「よく働くし、元気だ」ということで、父に母との結婚を薦めたのです。
祖父は仕事柄、様々な場所に買い取りに行くわけですが、車の免許を持っていませんでした。そこで母が免許を取って、祖父を横に乗せて走り回っていました。
ただ、母は20歳の時には「結婚はもう少し先に」ということで断りを入れたのですが、祖父は「21歳まで待つ」と言って、実際には21歳と1日で父との結婚に至りました(笑)。
私には姉が2人おり、長男として生まれましたが、生まれてすぐは自力で母乳を吸う力がなく、母はいつも「元気に育って欲しい」と願っていたそうです。
父はどちらかというと寡黙で真面目なタイプで、母がいつも冗談などを言いながら、お店や家の中の雰囲気を明るくしていました。
ただ、両親とも働いていましたし、2人の姉は歳も少し離れていたこともあって塾や部活で不在でしたので、小学校から帰ってきても家には誰もいません。暗い家に帰ってくると、机に上にはお金がおいてあり、それを持って近所のうどん屋さんなどに晩ご飯を食べに行くことが多くありました。
子供心にも寂しく、「家族5人で一緒にご飯を食べたいな」と思っていましたが、当時は年中無休の会社でしたから、それは叶いません。そこで私はランドセルを背負ったままお店に顔を出していました。家よりもお店にいる時間の方が長かったのです。
教育に関しては、父は「人並みに高校、大学に行きなさい」と言うのに対し、母は「自分がやりたいことのために時間を使いなさい。それが勉強なら勉強をしなさい」と、私の意思を尊重してくれました。
母からは「謙虚な人でいなさい」と言われていました。つい先日、私が他の取材で座右の銘を聞かれて「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と答えたのですが、その記事を読んだ母は「私も同じだよ」と言っていました。
常に謙虚で、誠実な人でいることが人の上に立つ人にとって大事なことだということは、折に触れて母から言われていました。実践できているかは別にして、いつも意識していることですから、親の影響力というのは強いものがあると実感します。
「コメ兵の息子」という葛藤
私は小学生時代からリーダーの役割を担うことが多く、小学校では児童会長、中学校では生徒会長を務めました。こうした私の姿を見て、地元の商店街の皆さんから「いずれ社長など経営の立場になるのであれば、みんなの前で話す経験は大事だよ」と言われていました。
スポーツは小学校で野球、中学校からはラグビーに打ち込みました。スポーツをやるようになってから、弱かった体もすっかり丈夫になったのです。
特にラグビーに関しては中学から始め、高校3年時にはチームのキャプテンを務めました。大学でも続け、社会人になってからも自分達で地域のクラブチームをつくって28歳まで活動をしていました。
大学進学時には悩みました。高校は付属に通っていたので、系列の大学に進学してラグビーを続けるという選択肢もありましたが、父から「おまえはそれで本当にいいのか?」と言われました。確かにその通りだと。
実は関東にある、ラグビーで強豪への道を歩み始めていた大学に進学したいという思いを持っていたのですが、残念ながら、そのチームでプレイする実力が私にはなかったのです。
もう一つ、物心ついた時から常に「コメ兵の息子」と言われるのが好きではありませんでした。父はそれを知っていて「愛知にいたら、おまえはいつまでも『コメ兵の息子』だぞ」と言われ、関東に行くか、海外に行くかと考えた結果、ラグビー発祥の地にある英国暁星国際大学への進学を決めました。
いわば現地の日本人学校ですが、英国の人達との交流はもちろんのこと、学校には様々な企業のご子息達が集まっていました。今はそれぞれの企業で責任ある立場に就いている方達ばかりで、様々な形でお付き合いをさせてもらっています。
リユース業界の発展に貢献してこそ…
私が大学を卒業する時のコメ兵は決して小さい企業ではありませんでしたが、まだ社会的には「リユース」への認知度が低い状況でした。当時は私自身もまだ若く、今振り返っても「リユース」への理解が浅かったなと思います。
ただ、創業家の長男ですから、子供の頃から「跡取り」と言われて育ちました。コメ兵に入社するということは、同時に何らかの形で経営に携わることになり、私に選択権がある状況ではありませんでした。
コメ兵への入社はレールに乗るような感覚もありましたし「本当に自分でいいのだろうか」という思いもあり、自分なりに葛藤があったことも事実です。
大学卒業後にはヨドバシカメラに入社します。自分の中では「修行」させていただく形で、少なくとも3年間、徹底的にお客様商売、接客を学ぼうと一生懸命取り組みました。
しかし、私が社会人になって2年目の1997年に父ががんのために亡くなります。その年も人間ドックを受けて何も発見されず、本人にも自覚症状がありませんでしたが、急速に体調が悪化して9月に手術を受け、12月30日には亡くなりました。
母は父が57歳という若さで亡くなったこと、これから会社がどうなるかということで強い不安の中で日々を過ごしていました。当時はいつも泣いていた母の姿が思い出されます。
そうして私は98年にコメ兵に入社しました。その頃にはヨドバシさんでの経験を踏まえて、循環型の流通を構築すること、二次流通の相場形成の重要性を感じ、コメ兵には可能性があると考えていました。
また入社時、例えばいきなり経営企画のような仕事をするのではなく、売り場で一からコメ兵の商売を経験できたことは、今に生きていると感じます。
2013年に社長に就任しましたが、母からは「体が壊れないように気をつけなさい」と言われましたし、今も言われています。母は父が受けていたプレッシャーを間近で見ていましたから、実感がこもった言葉です。
父は、コメ兵が地元である大須商店街とともにあるということを強く意識し「自分達だけよければいいという発想では長続きしない」と言っていました。
今の時代に置き換えると、我々はリユース業界全体の発展に、いかに貢献するかが問われているのだと思います。リユースをもっと身近な存在にしていくと同時に、業界全体のイメージをさらに上げていくことが必要です。
今、我々は日本全国、さらには海外にも広がっていますが、大須商店街の5坪の古着屋からスタートしたという原点を忘れずに経営をしていきます。そして、その創業の精神を次の世代に伝承していくことも私の仕事だと考えています。
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