香取おみがわ医療センター理事長(獨協学園名誉理事長) 寺野 彰が語る〈地域医療を守るための方策とは?〉
財界オンライン / 2023年3月3日 15時0分
「全ての病院が賛同するとは限らないが、賛同する病院は出てくる。そういった病院と連携しながら輪を広げていく」─。このように語るのは千葉県香取市にある香取おみがわ医療センター理事長の寺野彰氏だ。同氏は医師と弁護士を兼ねるダブルライセンスで活躍し、獨協学園の理事長としても采配を振るった。そんな寺野氏が見据えるのが千葉県香取・海匝地域での病院連携だ。全国的に進む医師不足の状況下で病院同士が連携することの意義を強調する。
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市立から独法化した病院の理事長へ
─ 寺野さんは医師であり、弁護士です。獨協学園の理事長を務めた後、千葉県にある「香取おみがわ医療センター」の理事長にも就任しましたね。
寺野 香取市は千葉県北東部に位置し、北は茨城県と接しています。東京都心から70㌔圏にあり、成田国際空港からも15㌔圏です。北部には利根川が東西に流れ、その流域には水郷の風情漂う水田地帯が広がり、南部は山林と畑を中心とした平坦地で風情のある地域です。人口は約7・2万人で関東屈指のパワースポットでもある「香取神宮」があることで有名です。
実は私の東京大学の2年先輩で医療法人社団・大坪会の理事長だった大坪修さんという方がいらっしゃいます。同会は東京の東和病院や三軒茶屋第一病院、埼玉でも埼玉筑波病院や東都春日部病院といった医療機関の運営を行っていまして、香取市とも縁があったようです。
大坪さんから私のことを知った香取市から香取おみがわ医療センター(旧・国保小見川総合病院)に関する相談が来たのです。もともと同病院があった小見川町が2006年に近隣市町と合併して香取市となり、「香取市立病院」となりました。
その後、19年9月に新築した香取市立病院を22年4月1日に独立行政法人化して香取おみがわ医療センターとなりました。ですから、もともとは国保病院として出発し、3年間ほど市立病院という形を経て独法化したという経緯になります。
─ 独法化すれば法人の理事長が必要になりますね。
寺野 そうです。そこで香取市から私に声がかかりました。それまで学校法人獨協学園理事長の任期が終わり、年齢も80歳を超えたばかりでした。まだまだやる気十分でしたので、積極的にお引き受けしたのです。
医療に身を捧げて国民の命を守ることの重要性と遣り甲斐については、過去に医師だったときに実感していましたから「これは面白い」と。しかも就任前、現地に視察に行ったときは病院の建て替えを終えたばかりのときで、田んぼの中にポツンとあった。病床数は100床ほどの小さな病院ではあるけれども、とても立派な病院を作っていましたから地域の同病院に対する期待も大きいと感じましたね。
─ その中で理事長としての寺野さんの役割とは?
寺野 香取市などがある香取・海匝地域には「千葉県立佐原病院」という県立病院があります。規模は当院とだいたい同じぐらいのスケールで、当院から車で30分ぐらいの場所になります。
さらに当院から東に車で同じくらいの距離の場所に「国保旭中央病院」という1000床の大きな病院もあります。こういった近隣の病院とも連携の可能性を探っていきたいと考えているところです。
─ 仮に連携した場合、各病院にとってのメリットはどんな所になりますか。
寺野 やはり一般論として医師不足が背景にあります。その点、医師がたくさんいる病院があれば、その病院の力を借りることもできるわけですからね。専門医もお互いに交代できるわけですね。
バイトの医師をフル活用
─ さて、香取おみがわ医療センターはどんな病院ですか。
寺野 当院では循環器内科、消化器内科などの急性期医療や脊椎脊髄センターなどの整形外科専門的医療を中心として地域医療を担っています。また、先ほど申し上げた通り、当院はベッド数が100床の小さな病院で診療科も少ない。
ただ、パートの医師などの医療従事者が多いのです。東大や千葉大学、慶應義塾大学、順天堂大学などから70人ほどの医師に来ていただいています。ベッド数100床の病院にそれだけの数ですから多いと思います。
─ どれくらいの頻度で通院してくるのですか。
寺野 平均して週に1回くらいではないでしょうか。パートで来る医師にとっては、その分収入が得られるわけですから家計にはプラスになっていると思います。ですから、今後病院の改革をするに当たっては、そういったパートの方々の力がなければ進めることはできません。ただ、70人という人数は場合によっては多いかもしれません。
ただ当院の専属の医師は歯科医師も加えて計5人しかいない。以前は20人以上いたこともあったようなのですが、今はそれくらいの人数しかいないため、フル回転です。だからこそパートの方々の力が必要になります。
─ そんな中での独法化は病院にとっても節目ですね。
寺野 そう思います。今回の独法化に伴い、当面、4年間の中期目標として「急性期医療」「かかりつけ医機能」「在宅医療」の3つを医療機能の柱に据え、地域住民が安心して暮らすことのできる地域医療の実現に注力していくつもりです。
また、この独法化の利点を生かしながら、減少した常勤の医師を増やし、提供できる医療の分野も広げていくことで、さらに医療の質を高めて患者様のサービスの向上を図っていきたいと考えています。
時代が変わり、地域医療を取り巻く環境も多種多様化しています。1つの医療機関において完結する「病院完結型」は困難で、これからは地域の医療機関で連携を図る「地域完結型」が重要になってくると思います。
─ そういった地域完結型の医療を香取市で実現していくということですね。
寺野 その一翼を担う病院として貢献できるように頑張っていきたいと。コロナ感染症の世界的蔓延は医療の本質を大きく変えようとしています。このような疾患概念の本質的変化は今後も続いていくでしょう。21世紀はもとより、22世紀をも見据えた地域医療を香取地域で根付かせていきたいと思っています。
旭日重光章を受章、獨協学園の精神とは?
─ 話は変わりますが、寺野さんは令和4年の秋の叙勲で旭日重光章を受章されましたね。
寺野 ありがたいお話しです。私の獨協学園での取り組みをご評価いただきました。私は53歳で東大第二内科から獨協医大消化器内科へ赴任し、その5年後に獨協医科大学病院の病院長と学長を歴任しました。
ドクターヘリの導入や看護部の設置などに力を入れ、獨協学園理事長、私立医大協会会長なども兼務し、約27年にわたって獨協学園の発展に寄与してきたことが評価されたと聞いています。
─ 獨協学園と言えば、1881年に設立された獨逸学協会を母体としていますね。
寺野 はい。ドイツの文化と学問を学ぶ目的です。その後、83年に獨逸学協会学校(旧制:獨協中学校)が開校し、それが本学園の源となりました。今では獨協大学、獨協医科大学、姫路獨協大学の3大学を運営し、獨協中学・高等学校と獨協埼玉中学高等学校の2つの中高と2つの専門学校を運営しています。
いずれの学校も初代学長である天野貞祐博士が掲げた教育理念「大学は学問を通じての人間形成の場」を共通理念とし、学園自体は約140年の歴史と伝統があります。天野先生が大学を作ろうと、その候補地を埼玉県草加市に決めた当時、利根川の水系だったこともあり、水びたしの土地だったようです。
─ 医学教育にも熱心な大学としても有名ですね。
寺野 そうですね。医学教育という点では、天野先生の意志を受け継いだ東武常磐運輸社長だった関湊先生が1973年に獨協医科大学を設立しました。場所は栃木県の壬生で、ゴルフ練習場が造られると言われていたほどの12万坪の敷地に建設したのです。思い切った決断だと思いますね。今では1学年120人の学生が学んでいます。
獨協医科大学の開学から50年ほどが経ちましたから医学関係のOBも増えました。卒業生で教授になっている人もいます。私自身がOBを大事にする方針をとってきましたから、それが形になったと思っています。
─ 寺野さんが医師を志した理由を聞かせてください。
寺野 愛媛県東宇和郡野村町という小さな町で過ごしていた幼少期、私は法学部に進みたいと思っていました。両親も医師ではありませんでしたし、法律の勉強をして将来は弁護士や国家公務員になりたいと考えていたのです。父はそれに賛成してくれていました。ところが、母方の従兄が京都大学医学部に入ったこともあり、母からは「医学部しか許しません」と(笑)。
中学3年生のときに親戚が住む東京・台東区の学校に転校し、都立上野高等学校に進学しました。生徒会などの活動に取り組みながら3年間を過ごして東京大学理科2類に進学しました。当時は理科3類はまだなくて、2年生の終わりに改めて医学部の入学試験があったのです。
診療所で仕事をしながら司法試験に合格
─ どんな大学生時代を過ごしたのですか。
寺野 私が大学に入学した1960年は安保闘争の真っ只中。腰を据えて勉強できるような環境でもなく、私も医学部に入ってインターン闘争などの学生運動に参画していました。
当時、東大の理科2類から医学部に進学しようと受験する東大生はたくさんいましたが、合格できずに薬学部に進んだり、千葉大学や慶應義塾大学、大阪大学の医学部といった他大学に進んだ学生も全体の1割弱ほどいましたね。私の友人で最も長く浪人していたのは7年でした。
─ 最初の勤務先は?
寺野 大学を卒業してからの2年間は東大で実地研修を受け、その後、静岡県の聖隷浜松病院に移りました。胃潰瘍や十二指腸潰瘍で亡くなる患者様もいた当時、ファイバースコープの登場で消化管検査は胃カメラから大きく変化し、脚光を浴びていました。そんな時代に聖隷浜松病院で外科に所属していたので、消化器病学に興味を持つようになりました。
─ 弁護士を志したのは?
寺野 聖隷浜松病院での勤務時代に結婚したのですが、医師である妻の実家は浜名湖の近くで診療所を開いていました。そろそろ東京に戻ろうかと考えていた矢先、妻のお父さんが倒れてしまったので、そこで診療所を手伝う形で5年間滞在することになりました。そんなときに幼い頃に抱いていた法学部への夢が思い出され、独学で司法試験の勉強を始めました。
─ 仕事しながらの勉強だと。
寺野 はい。診療所でしたので研究ができませんでした。そこで本来は研究をしている時間を司法試験の勉強に充てたのです。毎日午前9時から午後5時まで診療でしたから、その前の午前4時から午前8時まで勉強しました。
そして2年後、合格することができました。その後、東京で2年間の司法修習生生活を送って弁護士の資格を得ました。ただ、35歳になったとき、やはり医師に軸足を置こうと決心し、以前在籍していた東大の第二内科に戻ったのです。やはり人の命を救うことが自分の遣り甲斐につながりました。
その後、3年近く米国(ミズーリ及びカリフォルニア)に留学し、研究に明け暮れました。帰国後、中央鉄道病院に勤務し、また講師として東大に戻り、そして栃木県の獨協医科大学に教授として赴任したのです。
そこで教務部長、病院長、学長、そして理事長を合計27年余りやりまして、現在の香取おみがわ医療センターに理事長として赴任しました。人生最後の職場として理想的なところです。職員、地域の人々も大変良い人ばかりですのでエンジョイしています。
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