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【倉本 聰:富良野風話】異次元の改革

財界オンライン / 2023年3月11日 11時30分

異次元の改革、という言葉を政治家が時々口にするが、どうもあんまり異次元という気がしない。その言葉を使うなら、かねがね僕の思っている1つの異次元の改革案がある。少子化対策と高齢者対策をひっくるめた日本の社会の改革案で、ジイさん、バアさんの問題である。

【倉本 聰:富良野風話】後、90秒!

 人間の寿命がずい分永くなったのに、65歳以上は高齢者というらしい。高齢者は国から年金をもらい、いわば社会のお荷物となっている。一方、新しく生まれてくる子供。共稼ぎ夫婦が主流になって、この新生児の養育問題が保育料やら幼稚園やら、そのための子ども手当なんてものまでできて、こっちはこっちで金がかかる。子ども手当と高齢者の年金。2つのお荷物が社会の首をしめている。双方を分離してしまったからである。

 昔の日本は些かちがっていた。

 お伽噺というものがある。伽とは相手をつとめることで、お伽噺とは大人が子供の相手をつとめる、即ち寝かしつけるために話してやる寓話である。この語りは大概お定まりの文句で始まる。昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。お父さんとお母さんが住んでいたという語り出しは聞かない。そこから推し測るに、語っているのは爺さんか婆さんで、寝かしつけているのは孫と思われる。

 では、父さんと母さんはどこにいるのか。まだ働いているか、出稼ぎに行っているのだ。だから孫の養育という大仕事は爺婆の老後の仕事であり、それ自体、老人の生き甲斐になっているのである。

 一組の男女が夫婦になり、子を作る。夫の側と妻の側、それぞれに爺婆がいるわけだから養育係は各戸に4人いる。それぞれ孫の面倒を見たくて、うずうずしている。この老人たちに孫をまかせれば、保育所に払う子ども手当は不要になる。いや、国がどうしても支払いたいなら、それは両親に支払うのではなく、面倒を見る祖父母に国から直接支払うべきである。そうすると年金に加えて収入ができ、老人の暮らしは多少楽になる。この日本古来の美しい習慣が壊れたのは、子供は自分たちの産物であって、もともと自分の親たちの二次産物であるという大事なことを不遜にも忘却してしまった親たちの勝手な錯覚にある。昔の社会には、こんな傲慢な錯覚はなかった。

 今の日本では若者が都会に出て、そこで番の相手を見つけ、都会で子供を作ってしまうから爺婆は遠い田舎にいる。したがって爺婆に預けられない、という事情があるにちがいない。そんなケースでは、できた子供を田舎に送り、自然の中で育ててもらえば良いのだ。

 富良野塾という私塾を二十数年やり、300人以上の子どもを二十数年預かった。若い親に育てられた若者と、経験ある年配者に育てられた若者では、一目瞭然、モノがちがった。老人には人をきちんと育てる経験智が充分あるのである。

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