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【倉本 聰:富良野風話】スシロー事件

財界オンライン / 2023年7月12日 18時0分

スシローでつまらない悪戯をやった少年が─少年といっても17歳の青年らしいが、自分のその所業をスマホで撮り、それがアッという間に世間に拡散して店の信用は堕ちるは、巨額の賠償問題になるは大問題にまで発展してしまった。

【倉本 聰:富良野風話】世襲

 いやはや、恐ろしい世の中である。

 勿論、醤油瓶の口をなめてみたり、寿司の表面にツバを塗ってみたり、やってはいけない世間の常識に反した行為を得意気にしでかしたこの少年の、余りにも馬鹿々々しい幼稚な行為が、事件の全ての発端ではあるが、それをわざわざ撮影して世間に発表した撮影者の愚行。更にはそれを拡散した有名ブロガーなるものの不愉快な行為。全てが愚かしく、同じ社会に生きるものとして暗澹(あんたん)たる気持ちにならざるを得ない。

 被害にあったスシローの賠償要求は当然だと思うし、この額でも少ないと思ってしまうのだが、さてこの多額の賠償金を、犯人である少年、あるいはその保護者には果たして支払う能力があるのだろうか。

 ふと思うのは、こういう事件は僕の青春時代─今から70年前に果たして起こったろうかということである。

 人に言えないつまらない悪戯を得意半分にする奴はいた。だがスマホなどという文明の利器がなかった時代には、こんなふうにパッと拡散されるような大きな事件にはなり得なかったし、それより何より若者たちが、善と悪との境目を知っていた。戦前から続いていた倫理教育が僕らの心に沁(し)みついていたし、家庭においても学校においても善悪の戒律は極めて厳しかった。そういう正邪(せいじゃ)が崩れて行ったのは一体いつ頃からだったのだろう。

 それを考えるとき、どうしても僕は、戦後の混乱期にどっと流れこんだ自由という言葉のはき違(ちが)え、受けとり違えに行きついてしまう。修身教育を軍国主義的だときめつけて全て排除したあのころのあやまち。

 今から何年前になるのか。今は亡き評論家・秋山チエ子さんから、戦前の小学校の修身の教科書の復刻版を、読んでごらんなさいと送ってこられたことがある。

 再読してみて考えこんでしまった。

 たしかに5年生、6年生の教科書には、天皇制をはじめとする軍国主義的記述が増えてくる。だがそれ以前、1年生から4年生あたりまでは、殆んどが今に通暁(つうぎょう)する人間としての倫理教育である。だが、それらの初歩的倫理教育は、当時のGHQのお達しによるものか、修身という言葉と共にストンと消滅させられてしまった。そこへもってきて当時の日教組の方針がその風潮を追い打ちした。

 僕は終戦後、小学6年生。新しく刷られたザラ紙の教科書を墨(すみ)で塗りつぶさせられた世代である。

 あの時、塗りつぶした文言の中に、消さなくても良かった日本古来の道徳観や倫理観が沢山つまっていたような気がする。

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