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先端教育機構・東英弥理事長に直撃!「私が宣伝会議を売却後にやりたいこと」

財界オンライン / 2023年8月22日 7時0分

東英弥・学校法人先端教育機構理事長

いかに「事業構想」を生み出すか─。ビジネスを始めて45年、14社を起業した東英弥氏が、事業構想を担う人材を育てるべく事業構想大学院大学を設立したのが11年前。現在では5都市に校舎を置く。6年前には同法人内に社会構想大学院大学を設立し、「社員や地域の方々の支えがあったおかげ」と感謝する。そして今、東京・青山のブランド価値向上を願い、緑あふれる公園をつくる構想を持つ。事業構想の夢を広げる日々だ。


事業売却の真意と、承継への思いとは?

 ─ 2023年3月に、これまで経営をしてきた出版社の宣伝会議と、関連の人材紹介会社の2社を投資ファンドに売却しましたね。この狙いは?

 東 まず、宣伝会議の沿革と歴史からお話したいと思います。私は縁あって1992年に宣伝会議の経営を引き受けたのですが、当時すでに39年の歴史があり、今年で70周年です。

 業界での認知度と信頼を有する会社ですが、当時、事業の柱である雑誌・書籍の売上は低迷し、コピーライター養成講座等の教育講座を受講する人も減少傾向でした。大学院でマーケティングの研究をしていましたので、宣伝会議の社会における役割や経営資源を活かせていないことを遺憾に思い、なんとかしたいと考えていました。

 ─ どんな手を打って改善していったのですか。

 東 やはり時代における顧客設定と、適切な提案です。教育と出版が事業の核ですから、社会の変化に応じてコンテンツ(内容)のアイデアを出して改訂していくことです。それは今日ではあらゆる分野に該当することだと思います。

 また、雑誌の部数が伸びたのは、「業界誌から専門誌へ」と方針を掲げ、読者対象を広告会社から広告主にシフトしたことです。時代背景的にも、企業の宣伝部、マーケティング部の存在感が高まっていく時期でした。

 改革が功を奏して、初年度から30年間黒字経営を続けてきました。上場も考えていましたが、私も70歳を迎え、そこに全精力を注ぐと力を使い果たしてしまう。事業構想大学院大学の全国展開も進めていましたから、教育界と社会をつなぐ事業に集中したいという気持ちが高まりました。

 ─ 人材教育に注力していこうと考えたと。

 東 はい。そして経営基盤を支える資金が必要だと考えました。86年に創業したフジテックス(当時、富士テック)も22年にバイアウトしましたが、売却時で設立34年、黒字経営を続けてきましたので、ここも上場が目指せる経営状態でしたが、上場をさせると約束してくれた企業に譲渡しました。全ての株式は私が保有していましたので、迅速な判断ができました。

 トップは従業員やその家族の将来にも責任があり、持続可能な成長を続ける必要があります。株式を家族や親族に継承するよりも、事業を持続成長させる力のある体制に委ね、上場によって社会的企業となり、多様なステークホルダーから必要とされる存在になっていくことが有益であると考え、決断しました。


本拠地周辺の土地を取得「表参道に青山」

 ─ 2社を売却した資金の使い途は?

 東 2社を売却した金額の全額を私学事業団に寄付しました。可能であれば、この資金を生かして、まずは我々が本拠を置く地元・表参道に貢献したいと考えています。

 先端教育機構の本部の土地以外に、昨年隣地を購入しましたので、所有地は約500坪あります。

 加えて今、都市再生機構(UR)が本学が隣接する土地の利用者の入札を募集しています。この土地を活用する機会が得られれば、先進国の新たな都市再開発モデルとして国内外に発信できる姿にしたいと考えています。コンセプトは「表参道に青山」、「表参道に森」です。構想は12年前から温めてきたもので、周辺説明会も行ってきましたから、地元の皆様はご存知です。

 ─ 文字通り「山」をつくるわけですか。

 東 そうです。都内の残土を運んできて「山」にして、そこに木を植えます。高さとしては、おおよそビルの5、6階に相当する25メートル程度を考えています。もし、高くするのに問題が生じた場合には、小高い程度にして、さらに木を植えることで新しい公園、森となる対応をしたいと思っています。

 完成後は公園として一般に無料開放します。定期的にイベントを開催したり、地域の方々が集まるような飲食のイベント「マルシェ」を開催するなどして、この場所に賑わいを創出したいと考えています。

 また、インバウンド(訪日外国人観光客)に対して、「環境都市東京」の魅力、新しい日本の都市づくりの方向性を発信することができます。さらには、日本は地震など災害の多い国ですが、都内で大規模災害が起きた際の避難場所としても活用していただけると思います。

 ─ なぜ、こうした構想を描くようになったのですか。

 東 周辺には明治神宮、根津美術館といった、歴史的・文化的な価値を有し、多くの方に愛されている場所があります。本学の立地は、その中間地点に相当し、地域資源を「つなぐ」場所としても機能するのではないかと考えました。

 また普段、表参道周辺を見ていると、明治神宮から歩いてきた年配の方々が一休みする場所がないことを実感しますから、この位置に公園があるのは大事だと思います。

 私は幼少の頃から自然が大好きで、木や緑や鳥などを大切にして親しんできました。地域も都心部も、土地固有の自然を守り、次世代に適切な形で繋いでいかなければなりません。事業家として、事業を大きくして資金をつくりながら、社会にとって価値のある構想を実現することをテーマにしてきました。

 事業構想大学院大学の入り口に伸びる楠は、私どもが土地を入手する前に切られたものですが、芽吹いたひこばえを大切に育て、今では20メートルほどの高さまで成長しています。未来に渡り木が切られることがないよう、ご縁のあった和歌山県・熊野本宮大社の宮司様よりお御魂を賜りお社が鎮座しています。多くの観光客の方や、お子さんが自由研究などで見に来てくれています。港区からも環境に関するモデル事業所として認定されているのです。

 ─ 社会的に意義のある仕事になりますね。

 東 そう思っています。日本では時折、実績を出した経営者が、自分のお金を自分の満足のために使っている例を目にします。その方が、大学などで学生達に向けて講演をしたりしている。それでは次世代を担う若者達に良い影響を与えないのではないかと心配になります。それよりも、ある程度実績を得たらば、それを社会に還元するという事例を示したいと考えたのです。

 こういうことができるのは、ビジネスを始めて45年、これまでに14社を設立しましたが、一度も赤字を出したことがないからです。そして34歳から56歳まで大学院に通って研究を継続してきたことが、現在の事業構想大学院大学などの教育事業につながっています。自分の名前を大きく出す必要はなく、ただ、事例があると、それを知り、着想を得て面白い人が出てくるのではないかと期待しています。

 そして、ここに至ることができているのは、社員や教職員、地域の方々の協力、支えがあったからで、その積み重ねの結果が現在です。ですから、多くの人に喜ばれるような場や環境を作り上げたいと思っています。


47都道府県から「構想」を考える人々が誕生

 ─ これは文字通り、事業構想になりますね。

 東 そうなんです。私にとって事業構想は「夢と希望」です。それはイコール「平和と繁栄」につながっていきます。

 ここで一番大事なのは「貧すれば鈍する」の精神で、生活に困らないことです。これまでの事業は全て、自分の資金で進めてきました。2つの大学院大学も寄付ではなく自前のお金で設立し、黒字経営をしています。

 事業構想大学院大学、社会構想大学院大学を合わせて、2023年5月26日時点までに修士課程、研究員の総計で3483人の方が修了をしています。在校生は715人で、日本の社会人大学院としては最も大きい規模になります。

 ─ 10年ほど前は、まだ働きながら学ぶ人が少ない時代でしたが、必ずそういう流れが来ると考えていた?

 東 当時は社会人大学院がありませんでしたから、職場を離れて大学院に通うのではなく、社会人が自身の得意分野を活かしながら仕事と並行して研究のできる、実践的な大学院が必要だと思考していました。

 最初はMBA(経営学修士)的な経営管理、マーケティング、財務、法務などを学ぶ大学院を計画していましたが、その分野にはすでに多くの専門家がいます。それよりも新たな未来、「構想」を考える大学院をつくった方が良いと思ったのです。

 ─ 今後、事業構想大学院大学、社会構想大学院大学で、何を目指していきますか。

 東 社会構想大学院にはコミュニケーションデザイン研究科と実務教育研究科、社会構想研究科があり、この研究で修士を取得することができる、日本で唯一、文部科学省が認めた大学院大学です。

 今後は、例えば家庭に入った主婦の方などが、日本の政治や行政に関する構想を考えることができる場にしていきたいと考えています。近年の「リスキリング」の流れもありますが、子育てを終えた方は、市民の視点で社会のことを考え、再び勉強したいという思いを持つ方は少なくありません。知性と気持ちのある方々に、日本社会の構想を考えてもらうことで、例えば日本人の政治への参加意欲や投票行動なども変わってくるでしょう。

 また、地方自治体、小・中学校の先生、さらには医師の方々なども続々と学びに来ています。皆さん、構想を考えたいという思いを持っておられるのです。

 院生の年齢層の中心層は40歳くらいです。大学を卒業して22歳で社会に出て、20年実務を経験して、そこでもう一度学び直したいという思いが芽生えるようです。

 ─ 20年経って、第2の人生というか、転機になっている人が多いのですね。

 東 社会の中で何かを作り上げたいという強い思いを持つようです。47都道府県から幅広く研究を志す、「私がやらねば」という気持ちの持ち主です。現在、事業構想大学院大学の拠点は東京、大阪、名古屋、福岡、仙台の5カ所ですが、先々は全国に開設したいと考えています。

 政府は社会人の学び直しに予算も増やしている中ですが、私どもは将来的には授業料の無償化も考えています。財源は、事業構想、社会構想を企業等にコンサルテーションをすることによる収益です。



日本、世界で構想を描く人を育てる

 ─ 今後、どんな人材を育てていきたいと考えていますか。

 東 自分自身の構想を考えるだけでなく、様々な企業、組織の構想を考えられる人を育てたいと考えていますし、そういう人が必要とされる時代です。

 日本は「失われた30年」の中で構想を持てずに来たと思います。このままではさらに50年、60年が失われてしまう。少子化の問題、地域活性化の問題など、様々な課題に対して構想を作らなくてはなりません。それを担う人を育てていきたい。

 さらには、現在、博士課程の設置に向けた準備を進めています。これを実現し、例えば47都道府県から常時、必ず1人は学びに来てもらう状態にして、マーケット研究、指導研究をして地元に戻り、活躍してもらう仕組みを構築します。地域では、その風土や歴史、慣習を理解している人が事業を起こすことが大事です。

 ─ 自ら学び直そうと思う人材がいるのは心強いですね。

 東 そう思います。本当に、日本をよくしたいという人達が、たくさん学びに来てくれています。構想には何よりモチベーションが大事ですが、皆さん利益追求ではなく、純粋に構想を研究しに来ています。年齢、性別、職種を問わず、まさに多様性のある環境で、個々人の魅力が際立っています。

 日本における構想を考えて、日本を元気にした後、さらに次世代では、アジアなど世界に行って、構想を考える力を発揮してくれることを期待しています。

 ─ 東さん自身も、自らの志や出会いがあって、ここまで事業を成長させることができたわけですね。

 東 ええ。院生からも、なぜ起業したのですかとよく質問されますが、最初から自分の事業の発展に全く疑いを持っていませんでした。

 それから、徐々に組織ができてくると、組織全体を考える必要が出てきますし、家庭もできたりする。やはり大事なのは、きちんと仕事に向き合うことだと思います。

 そしておっしゃるように、私が今のような考えになったのは、いろいろな方との出会いがあってのことです。そして、30代から経営を続けながら大学院に通って学ぶことができたのは、本当によかったと思っています。

 当時は、昼間に大学院で勉強をして、夜に仕事をするという生活でしたが、全く苦になりませんでした。今も常に好奇心がありますし、様々なご縁が私のモチベーションの源泉であり続けているのです。

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