【訃報】資生堂名誉会長・福原義春さんを偲ぶ
財界オンライン / 2023年10月3日 21時0分
資生堂名誉会長の福原義春さんが亡くなった。享年92。資生堂は化粧品最大手というだけでなく、日本の〝ブランド〟を象徴する存在。福原さんの経営者人生は「ブランドとは何か」を追求する人生であった。
福原さんは、創業者の福原有信氏は祖父、初代社長の福原信三氏は伯父という家柄に生まれた。ただ、創業家の出身だからといって、その威厳や伝統をかざすということはなく、経営の基本を常に「人」に置いていた。
商品開発部長などを経て、1978年、46歳で取締役外国部長に就任し、国際化に尽力。特に中国市場の開拓に努めるなど、今の資生堂が中国を第2の本社と位置付けるほど、中国での事業開拓に先鞭をつけた。新開地を切り拓くことについて、福原さんは本誌のインタビューで次のように語った。
「最初に中国に行ったとき、当時専務だった大野良雄さん(後に社長)の許可をとって行ったのですが、役員会では誰も中国に行けとは言わなかったらしいです」。つまり、誰も中国市場に興味を持っていないときの福原さんの中国市場開拓であった。
当時の中国は改革開放が始まる前夜で、中国国内には『化粧』という概念がなかった。そこを人と人のつながりで福原さんは開拓。「中国の官僚制度はすごいものですが、北京市の若手官僚たちは当時から、化粧品事業の将来性を見ていたのです」と若手官僚との人脈を生かして福原さんは事業を推進。
そして、現地の若手官僚たちにこう告げた。「私たちは資本主義の国ですから、会社に損害を与えることはできません。そうでないなら、あなた方のために役立つことをしましょう」と。言うべき事は言う姿勢。そして、制度や価値観は違えど、美しくなることへの思いは国を超えてあり、それを追求しようという訴えだ。
会社の経歴を紐解きながら「私の祖父や伯父の時代から、資生堂には本当にいろいろな思想の人がいました」と多様性を強調。87年に社長に就任してバブル経済の崩壊を経験。97年に会長に就任する頃はデフレ局面に直面しており、金融・証券の経営危機を迎えるという大変厳しいときであった。
2008年のリーマン・ショックが起きた直後も「部門トップ以下のリーダーに人を奮い立たせる力が欠けていると思う」と語り、部門リーダーやグループリーダーといった中間的存在の育成強化に努めるなど、人の潜在力掘り起こしに動いた。
経営環境の激変期にあって「慌てても仕方がありませんから、バック・トゥ・ザ・ベーシック(原点回帰)ですね。いい人を育て、いいものをつくる。そして厳しい間は耐え忍ぶとという基本姿勢。会社が生き延びるための奇手奇策などはない。経営の原点に返る」と力説しておられた。今に通ずる話である。(合掌)
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