SBIホールディングス・北尾吉孝氏に直撃!「金融を核に金融を超える。金融に加えて半導体事業など『世のため人のため』を軸とした事業展開を」
財界オンライン / 2023年10月4日 7時0分
「金融を核に金融を超える」─。証券を出発点に総合金融グループを構築してきた北尾氏。今はグループ入りさせたSBI新生銀行の公的資金返済に動く他、台湾の半導体受託大手と組んで、日本に半導体工場設立を進める。そして北尾氏は事業の根本精神を「世のため人のため」と表現。これからも様々な事業に挑戦していく時にも、この「軸」を重要視していく。グループの将来像は─。
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SBI新生銀行の公的資金返済に向けて
─ 今、日本の金融は大きな転換期にあると思います。その中でまず、SBI新生銀行をグループ入りさせ、その公的資金の返済という、いわば30年前の日本の金融危機の出口を引き受けている形ですね。
北尾 そうですね。そもそも、金融庁から主要株主認可を取得できるかどうかが、TOB(株式公開買い付け)を進める上でキーでしたが、それを認めてもらうことができ、初回のTOBを成功裏に終えることができました。その後、当社の子会社であるSBI地銀HDが銀行持株会社の認可を取得し、我々が株式の過半を持つ体制まで来ました。
そしてさらに2回目のTOBに関しては、預金保険機構、整理回収機構という株主、SBI新生銀行、当社の4社間で事前に合意した上で実施しました。上場廃止に向け、9月1日には株式併合を決議する臨時株主総会を開催しており、株式併合で発生する端数株式はTOB価格と同額でスクイーズアウト(強制買い取り)をするというところまでが決まりました。
─ TOB価格については、応じなかった株主などからも様々な意見があるようですが。
北尾 ええ。いろいろな意見があるのは聞いています。しかし、今回のTOB価格は、当社、SBI新生銀行、それぞれのファイナンシャル・アドバイザー、さらにはSBI新生銀行が独自に設置した特別委員会が算定した全ての株式価値のレンジに入っています。その意味では価格が高すぎる、安すぎるという話ではないと思っているんです。
何よりも政府、世論を動かしたのは「大義」だと思うんです。私には、この20年間、銀行が3500億円もの公的資金を返済できないでいるということに対して、この状況を許していいのかという一種の義憤がありました。その思いに、様々な知恵が合わさって、ここまで来ることができました。
─ その後の公的資金返済への道筋は?
北尾 今後はどのように公的資金を返済していくかという具体的な議論に移ります。アイデアはありますが、今はまだ申し上げられません。これは話し合いの中で決まるという性質のものですから、株主である政府と対話をしていきます。いずれにせよ、返済していくという気持ちが非常に強いということです。
─ 関係者、世論の納得を得ると同時に、総合金融をつくるというビジョンを示していくということになりますね。
北尾 ええ。その意味でSBI新生銀行の位置づけは非常に重要です。単に公的資金を返済するだけでなく、世のため、人のために役立つ銀行になっていかなければなりません。利益を上げるだけでなく、例えば「地方創生」にどれだけ貢献できるかが、1つの大きなテーマになります。
このことが、SBIグループが掲げていた「第4のメガバンク構想」につながっていきます。1つひとつの手を思いつきで打ってきたのではなく、4年間にわたって、いろいろ構想してきたことに対して、SBI新生銀行が必要だったのです。3500億円の公的資金を背負っていましたが、この課題解決に向けて、いろいろな難局に当たりながらも、ここまで辿り着いてきたと。
日本の半導体をもう一度復活させたい
─ 23年7月には、台湾の半導体受託生産大手・力晶積成電子製造(PSMC)と共同で、日本で半導体工場を立ち上げることに合意しましたね。この狙いは?
北尾 実は、半導体も地方創生と非常に関わっているんです。半導体工場を、どこかの地域に建設するとなると、雇用と所得に大きく貢献することになりますから、ひいては日本の成長への貢献にもつながります。
半導体工場の設立も降って湧いた話ではなく、何をやれば地方のためになるかを考え続けてきた結果です。やはり、大きなことをやらなければいけないということです。
─ 工場の場所選定はどこまで進んでいますか。
北尾 半導体工場ですから、工業用水、高圧電力、一定規模の土地といった必要条件があります。様々な地域の首長さんからお電話をいただいたり、直接お越しいただくなど、自薦他薦含め、多くのご要望をいただいていますが、できるだけ早く決めていかなければいけないと考えています。
ありがたいのは、PSMCは技術力が高いことに加え、顧客の一部を回してもいいとまで言ってくれていることです。さらに、今回我々は共同出資会社を設立しますが、そこから生まれてくる知的財産は、その共同出資会社のものになるんです。ここは私がこだわった部分です。
─ 知的財産が日本に残るということですね。
北尾 そうです。かつて日本は半導体の世界で5割以上のシェアを持っていましたが、1980年代の米国との摩擦を経て低迷し、今は10%程度のシェアです。これをもう一度復活させたいと思っています。
DX(デジタルトランスフォーメーション)、AI(人工知能)が盛んになり、半導体が必要な環境になっています。さらに日本はEV(電気自動車)の出遅れを取り戻さなければなりませんから、日本における半導体産業の復活は極めて大事です。日本を半導体の輸出基地、グローバルサプライチェーンの起点にしたいのです。
PSMCに対しては、インドやサウジアラビアが誘致に向けてラブコールを出していたのですが、最終的に日本、我々を選んでくれた。PSMC会長の黄崇仁氏とは経営者として意気投合したこと、彼が昔日本にお世話になったという思いを持っていたことは決め手になったかもしれません。3月に会って以降、とんとん拍子で話が進み、最終的にまとまりました。
─ 人の「縁」も提携には大事な要素だったと。
北尾 そう思います。そして、私が相当前から考えていたことが、1つひとつつながっている感覚があります。これは天のお助け、「天助」だと思っているんです。リスクをジャッジし、リターンも考えている部分はもちろんありますが、様々なことに関して、天助を受けながら今日まで来ました。その意味で天に感謝しているんです。
先人の経営者から多くの教えを受けて
─ 改めて、北尾さんが創業したのが1999年ですから日本の金融危機の中でしたね。
北尾 金融危機の中で出発し、その後もリーマンショックを始め、様々な危機があった中で、順調に成長してきました。知恵と工夫と努力とみんなの頑張りのおかげで、ここまで来ました。その間、都市銀行は統合してメガバンクになるなど、様々な変遷がありました。
競合ひしめく中で、証券口座数やベンチャーキャピタル事業では断トツですし、グループ全体の銀行業の総資産は約26兆円ですから、地方銀行グループの大手に近い。
この短期間でここまで拡大できたのは、やはり天助だと思うんです。ではなぜ天が助けてくれるのかというと、ひとえに「世のため人のため」を貫いてきたからだと。この思想がなければ、絶対に天は助けてくれないと思います。これは例えば、昨年8月に亡くなられた京セラ創業者の稲盛和夫さんなどもそうだったと思うんです。
─ 北尾さんは稲盛さんとはどんな接点がありましたか。
北尾 最初はビジネス誌の対談でお会いしました。印象的だったのは、稲盛さんの戸籍上の誕生日は1月30日なのですが、実際に生まれた日は1月21日で、お母さんが役所に届けるのが遅れたらしいんです。
実は、私の誕生日も1月21日で同じ日なんです。「四柱推命と言われますが、生まれた月日が一緒だというのは、それ自体大変なご縁を感じます」という話をしたのを覚えています。
その後、稲盛さんが主宰していた経営者塾「盛和塾」では、私が会員以外での最初の講師を務めさせていただきましたし、稲盛さんが日本航空の会長として再建に取り組んでおられる時期、私が親しくしている韓国の経営者から頼まれて、稲盛さんに韓国での講演をお願いするなど、様々な交流がありました。大変尊敬していましたから、亡くなられたのは本当に残念です。
─ 稲盛さんは「自利利他」、世のため人のためという思想を持っていましたね。
北尾 その意味で私は、世のため人のためという思想を持った方を尊敬しています。稲盛さんの他、渋沢栄一さん、松下幸之助さん(パナソニック創業者)、出光佐三さん(出光興産創業者)、そして、ご存命の方ではセブン&アイ・ホールディングスを成長させてきた鈴木敏文さん(現名誉顧問)には、多くのことを勉強させていただいています。
─ 野村證券に在籍していた北尾さんをスカウトして、共に事業を進めてきた孫正義さん(ソフトバンクグループ会長兼社長)は北尾さんにとってどういう存在ですか。
北尾 私がソフトバンクにいた頃、取締役会では孫さんの意見に反対し、けちょんけちょんに言っていました。その中でやはり孫さんがすごいなと思うのは「取締役会でけちょんけちょんに言われるとムッとすることもある。だけど、北やん(北尾氏)は私のため、ソフトバンクのために言ってくれている。だからありがたい」と言ってくれることです。
孫さんは、様々な逆境をバネに、試練を乗り越えてきたことが、彼の強さをつくってきたのだと思います。私にとって孫さんはデジタル情報革命の同志であり、お互いに学び合う関係だと思っています。
─ 孫さんのことは、NECの関本忠弘さん、昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鈴木治雄さん、シャープの佐々木正さんといった大企業経営者が応援しましたね。
北尾 ええ。そういう魅力のある人です。孫さんに関連して印象的なエピソードがあります。私は今年3月に亡くなられたイトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊さんに非常にかわいがっていただいており、野村證券を辞めてソフトバンクに行く際には報告に行きました。
伊藤さんから「北尾君、辞めてこれからどうするの」と聞かれて、「伊藤さんはご存知ないかもしれませんが、ソフトバンクという会社に行こうと思うんです」と答えたところ「孫君のところ?よく知っているよ」とおっしゃるんです。
続けて「彼は天才だよ。ただ大きな欠陥がある」と伊藤さんがおっしゃるんです。私が「それは何ですか」と聞くと、「彼は事業欲が強すぎる。ただ君なら孫君に対抗できる」と。慧眼だなと思いましたね。
─ 伊藤さんは2人の関係をよく見ていたんですね。
北尾 そうです。ただ、私自身も事業欲が強い部分がありますから。大阪・船場には「屏風と事業は広げれば広げるほど倒れやすい」という言葉がありますが時々、伊藤さんの言葉を思い出して自制しているんです。
─ 事業を進める上では、人との「縁」は欠かせませんね。
北尾 事業は1人ではなかなかできませんが、一緒に歩む仲間をつくるためには人間的魅力がなければいけません。人間的魅力が人を惹きつけ、その知恵を結集して、新たな挑戦ができるということだと思います。
─ 次代を担う人材は育ってきていますか。
北尾 いろいろと教えてきてはいますが、やはり天賦の才、器の大きさというのは、ある程度必要なのかもしれないと思います。いずれにせよ、従業員55人で始めた会社が1万9000人を超え、業種も広がっている中で、全軍をまとめるというのは、どんなに優秀な人でも不可能です。私はゼロから手掛けてきたのでできるわけです。
そして経営トップと2番手以下では責任の重さが違います。その中で鍛えられるわけですが、私がバトンタッチする時も、やはり天助があり、天意が働いて「この人に」ということになるのだと思います。
─ SBIグループは総合金融として進んできていますが、今後の姿は?
北尾 最近は様々な機会に「金融を核に金融を超える」と言っています。お話した半導体事業への進出というのは、その一例です。
ただ、金融は全てに必要なものです。モノやサービスの動きの後ろには、全て金融が付いて回ります。ですから金融を核に様々なことを手掛けていく。そして「世のため人のため」にならないといけないという気持ちで、事業を進めています。
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