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【倉本 聰:富良野風話】言葉

財界オンライン / 2023年10月22日 11時30分

60歳までには死ぬものと、なぜか昔からかたく信じていた。佳人薄命(かじんはくめい)。佳人ではないが過人ではある。こんなに生きるとは思ってもみなかった。何の因果か、それが死なないで周りの人間がどんどん死んでいく。今年は兄を亡くし、妹を失ったのに、僕だけが憤然とまだ生きている。

【倉本 聰:富良野風話】警察官

 幸い女房もまだ健在だが、知人・友人はばったばったと消えていく。スマホに入っている電話帳の名前が、あいつもこいつもと消却されていき、しゃべる相手がどんどんいなくなる。淋しい。しつこく生きている同級生の一人は、もはややることがなくなってしまって、「徒然なるままの落書き帳」なるものを二月(ふたつき)に一度くらい、まめに印刷して送って寄越すが、こいつもかなりヤケクソになっているらしくて、文の終わりに記されている日時が「昭和九十八年、紀元二千六百八十三年、師走」などと頑固に旧暦を記してくるところが、おかしくも悲しい。

 90年近く生きてしまうと、世の変遷のあまりの激しさに、もはや呆れることも、怒ることも忘れて、只々茫然と流されているのだが、それでも未だについて行けないで、しばしばカッと血の上るのが、われらが国語、日本語というもののあまりの堕落、乱れ方である。

 言葉づかいが地に堕ちてしまった。

 毎日テレビで流されてくるドラマ上の会話、あるいはコマーシャルに用いられる若者たちのしゃべり言葉が、あまりにひどくて虫酸(むしず)が走る。上流言葉を使えとは言わないが、良い齢をした妙齢の女性が「ヤベエ」とか「スゲエ」とか「~じゃねえよ」とか、眉をしかめるような下卑(げび)た男言葉を堂々と使って悦に入っている。かつての公衆の電波だったら、こんな言葉を使う女はすぐ様テレビから消されていた筈である。

 ところが、そういう言葉づかいに受ける低俗な視聴者がいて、それを面白がる制作者がいて、いつのまにか、そうしたヤクザな言葉が平然と市民権を持ってしまった。一昔前のテレビだったら到底あり得ない話である。名前を挙げるなら××、〇〇、即座に戦犯の名を挙げることができるが、そうしたタレントがどんどん受けるのだから、今や彼らに罪の意識はあるまい。しかし彼らは大きな意味で明らかに日本語の品位を下げているのである。そうしたタレント、用語を用いるコマーシャルの商品を僕は買わない。

 さすが先輩の国・中国にあっては、いま流行のコスプレ的服装で町へ出ただけで、とっつかまるという恐ろしい法律ができたらしいが、日本もこのどうしようもない言語の乱れには、しかるべき国家的対策が欲しい。文科省やら教育機関がこれを野放しにしているのはおかしい。

 俳句や詩歌や三十一文字やら、先人たちが永々と築き上げてきたこの美しい大和言葉の伝統を下卑た流行語で破壊されるのは、僕にはある種の犯罪に思える。いくら自由の時代だからといって、こういう流行は糺(ただ)されるべきである。

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