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富国生命・米山好映の原点回帰論「最大たらんよりは最優たれ」

財界オンライン / 2023年11月30日 7時0分

米山好映・富国生命保険社長

「保険契約者との約束が全て。いかなる経済変動や金融危機があろうと、コロナ禍が来ようと、また大地震が起きようとも、きちっと約束を守っていく」と富国生命社長の米山好映氏。中堅生保のポジションにあって、同社がユニーク経営として注目されるのは、売上高(保険料収入)競争やシェア争いから一歩距離を置いていること。顧客に”安心・安全”を届けるために、収益力の確保に努めるという経営。同社は今年、創業100周年を迎える。1923年の関東大震災時に創業。以来、昭和金融恐慌、敗戦、そして戦後の復興、高度成長、石油危機と環境激変を体験しながら、経営理念として定着させてきたのが、『最大たらんよりは最優たれ』という生き方。初代社長は、日本の鉄道王といわれた根津嘉一郎。第3代・小林中はのちに日本開発銀行(現日本政策投資銀行)の初代総裁を務めるなど、歴代社長はその時代に大きな足跡を残してきた。第9代社長・米山氏は「軸をブラさない経営」を志向。米山氏が追求する「生保経営の本質」論とは─。


売上高至上主義ではなく収益性をこそ

「最大たらんよりは最優たれ」─。この言葉を発信したのは、富国生命第4代社長・佐竹次郎である。

 売上高至上主義に走るのではなく、収益性を大事にしていこうという考え。この経営の基本的な考え方は伝統的なものであるとして、現社長で第9代社長の米山好映(よしてる)氏(1950年=昭和25年生まれ)が語る。

「日本の社会はトップラインの売上高競争とシェアの競争をずっとやってきた。それが世界的に通用しないというので、資本市場が自由化され、ROE(自己資本利益率)だとか、そのROEの結果としてのPBR(株価純資産倍率)の話がされるように、今ようやく日本もこの10年位でそうなってきているわけです」

 富国生命は、生保業界の中では中堅生保というポジション。保険料収入等でシェア争いを繰り広げる流れとは距離を置く独自のスタンスで知られる。

 米山氏は1974年(昭和49年)早稲田大学政治経済学部を卒業後、富国生命に入社。当時の社長は第6代の古屋哲男氏(社長在任1971年―1991年)であった。

 古屋氏は〝中興の祖〟とでも言うべき人物で、日本経済が1970年代の高度成長期、石油危機を経て、1980年代後半のバブル経済と時代が揺れ動く中で経営のカジ取りを担った。

「ええ、当時の社長・古屋はよく、損益計算書のボトムライン(収益)を見て仕事をしろと。君らは何か売上が立てば勝ったような気分になるが、そんなことは企業経営としておかしいよと、よく叩き込まれましたよ」

 生命保険会社の使命、延いては生保事業の本質は何か─という米山氏の問題意識。

「生命保険業は、保険契約者に約束したものを生涯かけてきちっと守っていく。それは相互扶助の発揮であり、経済変動、金融危機があろうと、コロナが来ようと、地震があろうと、きちっと契約者との約束を守っていく。それは契約者の家計を守っていくということなので、これがわれわれの企業経営の目的なんです」

 この企業目的を果たし、さらに果たし続けるには、「利益をちゃんとつくっていかないといけない」と米山氏は利益重視の経営を志向。さらに、その利益の位置付けについて、米山氏が語る。

「経営学者のピーター・ドラッカーも言っていますけれども、利益は目的ではないと。企業にはそれぞれの目的があるでしょうと。しかし、利益が伴わない限り、目的は達成できませんよと。これは常識だと思います」


世界的に通用する経営を

 売上高至上主義。収益性(利益)を無視した売上高・シェア競争に明け暮れていると、何が起きるか。例えば、中古車販売・整備のビッグモーター事件である。そして、それに絡む損害保険会社の〝脱線〟である。

 売上高競争、シェア争いに気を奪われると、経営の本質を見落としがちになるという教訓。

 そこで、単に売り上げが立てばいいというのではなく、生保経営の本道に沿う経営、つまり収益の伴う経営を目指そうという米山氏の生保経営論。

「わたしたちも若い頃から、それを叩き込まれましたからね。それは、資本主義の国であれば、世界的にも通用する話だと思っています」と米山氏が続ける。

「要するに、利益が出なければ、意味がないだろうと。利益と相関的に規模(売上)が大きくなっていくのであれば、やはり大きくなったほうがいいわけです。それは当たり前な話で、だから規模というのは、利益を伴った規模でないと意味がないよと。そうでないとROE(自己資本利益率)は下がるし、投資家は買ってくれない。そんなことは欧米では当たり前だったんです」

 しかるに、日本では規模(売上)やシェア争いにシノギを削る風潮が長い間続いてきた。

 しかし、グローバリゼーションが進み、資本市場が自由化され、収益重視の考えも強まってきた。転換期となったのは30年前のバブル経済崩壊、そして、それに続く金融危機であった。

 バブル経済が弾けた1990年代初め以降、金融機関の不良債権問題が表面化。体力の衰弱した金融機関が続出し、97年末には山一証券、北海道拓殖銀行が経営破綻。98年初めには、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が相次いで破綻した。

 政府は『金融ビッグバン(大改革)』を推進(1996―2001)。それまで銀行、証券、保険と業態ごとに〝護送船団方式〟で行われてきた金融政策も、自己責任を求める方向に改革されていった。

 金融機関側も銀行、証券、保険の垣根を取り払い、再編成を推進。3メガバンクの誕生をはじめ、証券、生損保の統合・合併も相次いだ。

 銀行は証券業務に進出しようと証券子会社をつくり、証券も銀行業務を手掛けたり、損保が生保子会社をつくったりと、合従連衡が進んだ。


銀行・証券業務と資産運用業務は違う!

 それらの動きを、中堅生保・富国生命の米山氏はどう見ていたのか?

 米山氏は1950年(昭和25年)生まれ。1974年(昭和49年)の入社後は資産運用畑を歩み、総合企画室などを担当。2002年(平成14年)取締役総合企画室長、05年常務、09年取締役常務執行役員を経て、10年(平成22年)社長就任という足取り。

 米山氏は2001年、取締役に就任する前年、某雑誌に「証券や銀行とアセットマネジメントは全く別物」という趣旨の文章を寄稿。

 アセットマネジメント(資産運用)─。資産を株式や債券、その他の金融商品に投資し、利子や配当などのリターンを得る仕事は、銀行や証券業務とは本質的に違うということ。

 米山氏は、銀行の子会社や証券の子会社として〝投信子会社〟が登場したことに関連して、「そこに銀行員や証券会社の人間が天下りみたいに社長になってやっているのはおかしい」と〝日本版ビッグバン〟の課題を率直に取り上げている。

 この問題提起は20年前のことだが、昨今、金融庁がこの問題を取り上げるようになっている。『貯蓄から投資へ』を〝新NISA構想〟で進めようとする金融庁もこうした問題提起に真剣に取り組み始めたということ。

「それぞれの仕事や職業には、それぞれのエートスがあると思うんですよ」と米山氏。

 エートス(ethos、職業的倫理観・思潮)。米山氏は〝エートス〟という言葉を使って、それぞれの職業の倫理観、使命について次のように語る。

「それぞれの職業に使命、カルチャーがあるのだと。生命保険だったら生命保険のカルチャーがあります。そういうことを無視して、銀行なり、証券が互いに参入する。それは、業務の知識を身につければ、銀行員というのは割と識見がある人たちなので、証券業務の知識ぐらいはすぐ身につける。しかし、エートスが元々違うじゃないかと」

 米山氏が続ける。

「このアセットマネジメントがまさに今言った問題で、子会社を作り、そこに銀行の人がトップで行く。全く同じ構造です。これをやっている限り、グローバル競争で勝てるようなものは出てこないと思うんですよね」

 では、生命保険会社の使命と本質とは何か─。


生保の本質とは何か?

「われわれ生命保険会社には2つの仕事があります。生保の営業、そしてお預かりした保険料の資産運用をやっていくという仕事。これはわれわれにとって本当に本質的な問題なんです。わたしたちは、車の両輪と言っています。だから、生命保険会社がアセットマネジメントをやる。当社では投資顧問会社をつくり、そこのトップには債券運用をやっていた者が就いていますが、これは極めてリーズナブルな筋道だと思うんですよね」

 日本の金融界は〝失われた30年〟の流れの中で、変革を余儀なくされてきた。前述の〝日本版ビッグバン〟もさることながら、前後してアジア通貨危機(1997)が起き、2008年には世界的金融危機のリーマン・ショックが起き、グローバル世界を揺るがした。

 そうした危機をくぐり抜けるためにも、経営体質の変革・強化が不可欠ということで、金融再編が進められた。銀行や証券がその他の分野に進出、証券が一部銀行業務に参入するという動きは、そうした流れの中で起きていった。

 何より、世界的な通貨・金融危機と国内の金融危機や経営破綻劇が連動し、危機が拡大されたという事実。

 それだけに、事実の本質や使命をしっかり把握し、それを自分たちの業務に落とし込まねばという米山氏の問題意識。

「銀行や証券会社の業務はブローカー、だから売買のプロなんです。銀行というのはまさに金貸しのプロです。ただ、そのことで直ちにアセットマネジメントができるというわけではないんですよね」と米山氏。

 生保は、互いに助け合う相互扶助の精神からスタートしている。ゆえに、『相互会社』という組織形態を取る。

 しかし、時代の変化を受け、また金融改革の中で、相互会社から株式会社制に移行するところも出現。例えば、第一生命ホールディングスや太陽生命、大同生命を傘下に持つT&Dホールディングスなどに事業形態変革の例がある。しかし、富国生命は『相互会社』にこだわり続ける。


関東大震災の混乱の中、会社を設立

 富国生命は1923年(大正12年)11月22日に設立。今年は創業100周年という記念すべき年。会社設立の2カ月余前の9月1日には関東大震災が起き、死者・行方不明者は約10万5000人にのぼった。

 初代社長は出資者でオーナーの根津嘉一郎。日本の鉄道王といわれ、東武鉄道の創業者でもある。2代社長は根津と同じ山梨県出身の吉田義輝である。

 吉田は苦学力行の人。資本家・根津にその才と人物を認められての社長就任。と言うより、富国生命の基礎や経営理念を創ったのは第2代社長・吉田義輝である。言わば、実質的な創業者と言っていい存在。

 吉田がこだわったのは、『相互会社』という組織形態。保険の契約者が保険団体を構成して、互いに助け合うという社会的相互扶助が保険の精神という吉田の考えで、「株式会社では到底、ご契約者本位の徹底した経営はできない」と根津を説得。

 吉田が社長を務めたのは1940年から1943年の間。太平洋戦争の前半である。兵役に向かう人の家計を支える意味も込めて、当時の社名は『富国徴兵保険』であった。


不屈のリーダー・小林中

 吉田の後を受けたのが第3代社長・小林中(あたる)(社長在任は1943年から1951年まで)。

 小林は戦後の日本経済復興、そして発展に貢献したリーダーで、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)の初代総裁や、アラビア石油社長、東急社長、日本航空社長なども務めた人物。日本の復興期、そして高度成長期にその才を発揮、財界四天王(永野重雄、桜田武、水野成夫、小林中)の1人である。

 小林自身の人生も波瀾万丈であった。総合商社・旧鈴木商店の経営破綻をきっかけに起きた昭和金融恐慌(1927年=昭和2年)。その恐慌時に、台湾銀行(当時、日本政府の国策で設立された銀行)の債務処理に絡む『帝人事件』が起きた。

 台湾銀行が担保として持っていた帝人株の処理をめぐる、政治家と経済人の贈収賄事件という東京地検の見立てだったが、「被告は全員無罪」の判決。完全な冤罪(えんざい)であったが、永野護(元法相)、河合良成(元小松製作所社長)らと共に、小林も一時期、〝被告〟として取り調べを受け、留置された。

 小林は、全く身に覚えのない事と主張。事件の筋書きは東京地検のデッチ上げという裁判結果になったが、この事件の間中、根津は小林をかばい続け、その旨を司法当局にも訴え続けた。

 その後、戦後日本の礎を築く仕事にあたった小林の名は、『不屈のリーダー』として、財界史に刻まれている。

 小林は敗戦を機に、社名を富国徴兵保険から、今の富国生命に変更した。


バブルに浮かれるな!

 本稿の冒頭、『最大たらんよりは最優たれ』という経営理念を紹介したが、その理念を説き続けたのが、第4代社長・佐竹次郎(社長在任は1951年から1953年まで)。佐竹はその後、昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)社長に就任。

 そして第5代・森武臣の社長時代が1953年から1971年まで続く。その後に登場するのが、第6代・古屋哲男社長。

 古屋は1971年(昭和46年)から1991年(平成3年)まで社長を務めた。70年代の高度成長、石油危機、そしてバブル経済の崩壊と、日本が混沌・混乱を迎える中、「経営の基本軸を失うな」と啓発し続けた。

 具体的には、バブル経済で世の中が浮足立つ中、「(バブルに踊る)株を買うな、不動産も買うな、一時払い養老保険の営業はストップ」と冷静に説得。

 養老保険は、老後の生活資金の貯蓄と死亡保険を兼ね備えた商品で、ひと頃よく販売されていた。しかし、返戻金の額が低下したり、満期の時期によって、課される税金の額が異なるなどの〝要注意事項〟も少なくなく、当時の社長・古屋は注意喚起を促したのであった。

「あのバブルの波に乗らなかったというのは、先見力があったと」と米山氏が続ける。

「わたしはまだ若かったし、そうした施策に批判ぎみでした。もうどんどん保険会社としての順位が抜かれていくわけですからね。しかし、そういう生保は破綻していった。その結果を見て、やはりすごい人だったなと思っています」

 経営基本軸は第7代の小林喬氏(小林中の長男)、第8代の秋山智史氏に受け継がれていく。


背骨をしっかりと

 単なるシェア争いの商品作りとは距離を置き、利益重視路線に徹する半面、規模(売上高)ではポジションが低下する場面にも直面。そうなった時に社員の士気に影響はなかったのか?

「会社の背骨はしっかりとして変わらないし、そういうものがずっと流れているのだと」と米山氏は次のように続ける。

「わたしは(広報担当の)常務時代に日本銀行の記者クラブが決算発表する時に必ずその話をしてきました。すると、記者さんたちから、『米山さん、富国生命が大きくなれない言い訳をしているみたいなので、その話は止めたほうがいいですよ』と散々言われましたけどね」

 外部にはすぐに理解されずとも、自分たちは最終的に保険契約者のためになる道を選択しているのだという思い。それは、先人たちがいろいろな時代の変革期に、懸命にその道を貫いてきた歴史を振り返った時、「その事は言い続けなければ」という覚悟でもある。

『最優たれ』─。この経営の基本は変わらない。


生保界唯一のトリプルA

 では、そうした経営を保証するための利益をあげる収益力、資本力はどうなのか─。

 2023年3月期の決算で同社の基礎利益は約488億円と前の期(22年3月期)と比べて、34.8%減。コロナ給付金が約300億円にのぼった影響での減少だが、今期は増益を見込む。

 日本生命グループ(日本生命、大樹生命、ニッセイ・ウェルス生命、はなさく生命の合計)は約4794億円、明治安田生命の約3716億円、第一生命は約2571億円といった大手生保と比べると、富国生命の基礎利益は、額の上では小規模と言わざるを得ない。

 ただし、『基礎利益上の運用収支等の利回り』で見ると、富国生命のそれは2.45%と高い。日本生命グループ(2.26%)、第一生命(2.19%)、明治安田生命(2.41%)を上回る。

 格付け機関・S&Pの保険財務力格付けは、富国を、日本、第一、明治安田、住友各社と同じ『A+』(Aプラス)で評価。

 これに関連して、米山氏は「格付けで最も大事なのは資本力です。要は富国生命がお客様との保険契約という約束を将来にわたって続けられるかどうか。『債務返済能力』が格付けの本質です。S&Pの予想修正後総資本は伝統的生保9社の中で唯一、トリプルA格の自己資本必要額を大きく上回っています」と語る。

 は、タテ軸に収益力を見る『基礎利益上の運用収支等の利回り』、ヨコ軸に支払い能力を見る『ソルベンシー・マージン比率』を取った図。富国を含む主要生保8社の中で一番の好位置につけているのが富国生命である。

 日本経済が成熟化し、またコロナ禍でマイナス材料が多い中、この数年間、生保業界も、流行りの外貨建て保険や節税保険を手がけないと保険料の伸びを確保できない状況が続いた。

 そうした経営姿勢とは距離を置く富国生命の場合、各種の格付け機関からは「成長性が低い」とか、「事業規模が見劣りする」といったことで、その分、低く評価されることもあった。

 しかし、コロナ禍での支払い増で、基礎利益が3割強も減ったにもかかわらず、トータルでの格付けが『A+』となったのも、評価の視点が、企業規模主体から収益力や〝経営の質〟へと変わってきているという事の証左ではないのか。

 顧客主体の経営─。お客様起点に物事を考える。『最大たらんよりは最優たれ』の経営を、「これからも軸をブラさずにやっていきたい」と語る米山氏だ。

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