東京大学公共政策大学院教授・鈴木寛「その人の可能性を掘り起こす。徹底的に一人ひとりと向き合う〝教育の公正な個別最適化〟を」
財界オンライン / 2023年12月20日 18時0分
「全ての人間には可能性がある」そう語るのは東京大学公共政策大学院教授の鈴木寛氏。インターネット黎明期に大学生を対象に私塾「すずかんゼミ」を創設。評判が評判を呼び関東・関西から学生が集まる。1995年のゼミ創設当時、大学生であった現Zホールディングス会長・川邊 健太郎氏も初代塾生のうちの一人。鈴木氏の周りにはなぜ挑戦する若者が集まるのか。その背景には吉田松陰の松下村塾に学んだ、対話を重視し一人一人に向き合うという信念がある。鈴木氏が訴える『個別最適化教育論』とは─。
どんな子も必ず才能が
─ 鈴木さんは官僚から大学教員、国会議員、文科副大臣まで幅広く経験してきましたね。私塾も主宰されていますが、今の時代にあって人づくりに注力する理由は何ですか。
鈴木 私は若い時から教育に関心がありました。大学卒業後は通商産業省に入省し、のちに山口県庁商工労働部に課長として出向しました。私は以前から明治維新に強い関心を持ったので、本当に喜び勇んで山口県に赴任しました。そして前から興味を持っていた吉田松陰の松下村塾を訪ねました。
─ 実際訪ねてみてどんな感想を持ちましたか。
鈴木 ものすごく狭い。それが最初の感想でした。8畳と10畳の部屋で、日本の歴史や世界史を弟子たちに教え、西洋文明に対して日本がチャレンジすることの大事さを説いた。松下村塾の功績は、日本の近代化だけでなく、当時西洋列強の植民地になっていた国々に対しても大きな影響を与えました。
松下村塾の塾生は92名。しかも、松陰先生が教えておられたのは3年余りです。短期間にあのような狭い場所で、選抜もせずにあれだけの優秀な人材を輩出したことに、非常に感動しました。以来、私は2年間、毎月のように松下村塾に通い続けました。
─ 明治の指導者・伊藤博文も下級武士の家柄でしたが、松下村塾で学びましたね。
鈴木 ええ。普通の家の子どもが、松陰先生と巡り会って、塾生ともご縁ができて、あれだけの人物になるわけですからこんなにすごいことはないかと。
─ 塾生を選抜しないというところが、非常に意味があると。その人なりの可能性を引き出しているんですね。
鈴木 はい。優秀な人を採っているわけではないのです。このことは、全ての人間には可能性があるのだと証明してくれています。
松陰先生は、必ず『人賢愚(けんぐ)ありと雖(いえど)も、各々(おのおの)一、二の才能なきはなし』といって、どんな賢い子でも、そうではない子でも、1つとか2つとか必ず才能を持っているということを言われているんですね。
─ 松下村塾の系譜でいえば政治家だけでなく、経済人も多数輩出していますね。
鈴木 はい。例えば日産コンツェルンの鮎川義介も、日立の久原房之助もそうです。ですから、萩の出身者なくして、日産も日立もないわけですよね。それから、長崎造船所は三菱がつくりましたが、実はその前身の長崎造船所をつくった初代所長は、松下村塾で学んだ渡辺蒿蔵です。東大工学部も東工大も萩出身者が創設しています。
─ 吉田松陰の松下村塾から学んだ思想をご自身の活動にどう活かしてきましたか。
鈴木 徹底的に一人一人と向き合うということ。そして対話と熟議です。また、私はのちに大臣補佐官として戦後の教育政策の大転換を行いました。戦後の形式的平等主義を脱して、「公正な個別最適化教育」と「協働学習」を打ち出しましたが、その原点は吉田松陰先生の思想と個別教育の実践にあります。
─ 松下村塾も個別最適化の教育だったと。
鈴木 はい。例えば高杉晋作は、怒らせると頑張るのを見抜いて『おまえは久坂玄瑞(げんすい)に比べるとまだまだだ』と煽ったところ、晋作も発奮して大いに伸びたそうです。塾生の性格を見抜いて、褒めた方がいいか、けしかけたほうがいいのかということまで、個別化しているんですね。それと、対話によって仕上げていくという育て方ですね。問答も大事にしていました。
私はライフワークとして「どんな家に生まれても、どんな地域で育っても、すべての子ども・若者に最善の学びを」ということを座右の銘にやってきました。まさに松陰先生が下級武士の子どもだろうが良家の庶子だろうが、分け隔てなく、しかも選抜することなく、それぞれにとって最善の教育をされたころに、私は大変共感しました。 のちに、文部科学副大臣2回、参議院議員の12年間、大臣補佐官を4回務め、高校無償化や大学奨学金など学習権保障に尽力する原点となりました。
─ その思想をベースにして鈴木さんは「すずかんゼミ」を主宰しているんですね。
鈴木 はい。山口には1995年までいたのですが、この1995年というのはわたしにとって非常に重要な年でした。1月には私の故郷神戸で阪神淡路大震災、3月にはオウム地下鉄サリン事件が起こりました。私が使っていた霞が関駅で、しかも実行犯の中に、東大・慶應などの学生がいたことが二重の意味でショッキングでした。
─ ショッキングなことが重なって、本当の意味での生きる力とは何かということと、当時のエリート教育に対して疑問を持ち、行動を起こしたということですね。
鈴木 ええ。この頃ちょうどインターネットが出てきて、今度はサイバー空間をナビゲートしていくといくのが大事だと。
まさに江戸末期にアメリカの黒船が外洋に乗り出していき、ペリーが日本の浦賀にも来航しました。あのときアメリカは太平洋を横断してインドまで行きたかったので、その物資補給のために中間地点の日本を開国させるという意図でした。
インターネットが出て、海原が今度はサイバー空間に変わりました。これからは、インターネットナビゲーションを駆使できる人材が、新しい海原で活躍していくだろうと考えていました。そういった考えから、インターネットを使って新しい世の中をつくっていくということをテーマに1995年「すずかんゼミ」をつくりました。
通産省の勤務後、夜中に若者と対話し起業家人材を輩出
─ 通産省で仕事をやりながらこれをやったというのは、本当に大変でしたね。
鈴木 大変でした。夜中まで通産省で仕事をしていましたから。そのあと若者と話したりしていて。東京で中心的に活躍をしていたひとりが、当時、青山学院の学生だった川邊健太郎です。今のヤフーの会長ですね。彼は初代のゼミ生です。
─ この塾で学んで起業している人は多いのですか。
鈴木 多いです。スマートニュースの鈴木健君やエネチェンジの城口洋平君などがいます。
─ 「すずかんゼミ」では、主にどういったことをしていたのですか。
鈴木 ひと言で言うと、これからの世の中はどうなっていくのかを学生たちと対話しています。テクノロジーのこと、国際情勢のこと、まさに松陰先生がしていたことと同じようなことです。
─ 通産省では主にどんな仕事をしていたのですか。
鈴木 当時はIT担当でした。電子商取引、電子決済、情報処理、ソフトウエア、情報教育などを担当し、最後は電子政策課で政策の総括をしました。
1995年の11月に「Windows95」が発売されました。Windows95というのは、インターネット常時接続を前提とした初めてのパソコンOSなので、この頃がインターネット時代の始まりと言われていますね。
当時我々はモバイルネットや光ファイバーをどう普及させるかという仕事をしていましたので、大容量の光ファイバーがいずれできるだろうと。そうすると、動画が送れるような時代がいずれ来るとわかっていました。でも当時はそんなこと、本当ですか? と疑われていました(笑)。今はChatGPTなどいろいろなことができますよね。
─ パソコンの登場から確実に世の中の色々な生活様式が変わりましたね。
鈴木 ええ。インターネット業界で大きな革命を起こしている人は決して偉い人ではなくて、優秀ではあるが塾生らとほとんど変わらない若者がやっていると。だから、塾生には君らでもやればできると話していました。
─ 自分たちにもできると。塾生たちは希望を持てますね。
鈴木 アメリカでのネット革命やシリコンバレーの情報が私に入ってきますから、それを塾生たちに教えていました。
塾生だった、川邊健太郎君と田中祐介君が電脳隊という会社をつくって、われわれがこれから携帯電話でインターネットができるようにするんだということを言っていました。そこに東大の黒田和道君らが参画して、まさに慶應、青学、東大の連合軍で電脳隊をつくったわけです。
わたしは通産省の仕事が終わると、恵比寿にあるワンルームマンションのオフィスに向かって、そこにみんなが集まって夜中、彼らと一緒にこの会社をどうするか話しました。その後、ヤフーにバイアウトしました。
─ 他には印象的な出会いはありましたか。
鈴木 1993年山口県庁にいたときに、山口銀行の専務・加藤信義さんがお見えになって、ある会社と口座を開くかどうか、融資をするかどうか、非常に迷っているので、ぜひ鈴木さんにも会社をみてほしいと。そこで紹介されたのが、上場前のユニクロの柳井正さんでした。
─ 柳井さんも故郷は山口県宇部市でここから日本全体、そしてグローバルに事業を展開していきましたね。
鈴木 ええ。私はその頃、山口県庁の課長で、1993年にはじめて柳井さんとお会いして、加藤さんと一緒にお話を聞きました。私は当時29歳でしたが、「人生の中で、こんなに理路整然と、ありとあらゆることが整理されていて、ロジカルで、非常に先行きが見えている人に会ったことがありません。直ちに、山口銀行は、この柳井さん、ユニクロと取引をすべきです」と加藤さんに進言し、融資が開始されました。のちに加藤さんは山口銀行からユニクロの会長に転任されます。
─ その頃から挑戦しようとする前向きな若者が鈴木さんの周りにはたくさん集まっていたということですね。
鈴木 そうですね。私の周りにはそういう元気な若者が揃っていましたね。
(以下次号)
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