監査法人長隆事務所代表・長隆「未来を担う子どもを育てるためにも、出産疲れの女性をサポートするためにも産後ケア施設が大事」
財界オンライン / 2024年2月8日 7時0分
「病院の再建はスピードが欠かせないが、子育て支援でも危機感を持った取り組みが求められる」─。50年弱にわたって会計士として400の医療法人・病院改革に身を投じてきた監査法人長隆事務所代表の長隆氏。今は産前産後の女性をケアする「産後ケア施設」の普及に注力。なぜ会計士でありながら子育て支援に取り組むのか。その根底には公立病院の再建を陣頭指揮していた経験から子育て支援が病院再生、そして町づくりの基軸になるという思いがあった……。
公益財団法人結核予防会(前・新型コロナウイルス感染症対策分科会会長)・尾身茂理事長「パンデミックで問題を単純化してはいけない。複雑性に耐えられる対策法を!」
公立病院再建から子育て支援へ
─ 岸田文雄首相が2023年の年頭記者会見で「異次元の少子化対策」と発言し、1年ほどが経ちました。それ以前から長さんは会計士でありながら少子化対策につながる「産後ケア」に取り組んできました。
長 ええ。そもそも産後ケアという概念は2001年に政府が打ち出した「健やか親子21」という国民運動計画で登場しました。「すべての子どもが健やかに育つ社会」の実現を目指して関係するすべての人々や関連機関・団体が一体となって取り組む国民運動です。
それから20年余りが経って、ようやく今日に至っているということです。私もその頃からこの活動に取り組んできましたので、岸田首相が重要な政策として少子化対策を謳ってくれた姿を見ると、これまでの活動が報われたかなと感じます。
─ そもそも産後ケアとは、どんなものになるのですか。
長 産後ケアとは、出産した後に慣れない育児に疲れてしまいがちな女性のために、育児の支援や心身をケアするサポートを指します。これは行政だけでなく民間でもできます。今では産後ケア事業として徐々に支援の輪が広がっており、母子の健康促進のために重要な取り組みとして注目されています。
例えば、自治体の産後ケアセンターや助産院、病院、あるいは民間の産後ケア施設などでも産後ケアは行われており、産後ケアに当たるのも看護師や助産師、臨床心理士、保育士、栄養士といった専門家です。また、産前産後の女性の心理的なケアや身体的なケア、さらには育児についての相談や指導、生活の相談や支援などの様々なサポートを受けることができます。
運が良かったのは、この取り組みに携わる中で、長年にわたって、子育て支援の政策に携わってきた東邦大学看護学部元教授の福島富士子先生と出会うことができたことです。それまでは経営難に陥った公立病院の再建に奔走していましたからね。
─ 公立病院の再生をいかに図るかという命題の中で産後ケアも出てくるわけですね。
長 そうですね。07年から私は総務省の「公立病院改革懇談会」の座長を務めてきました。公立病院の経営は02年度以降急激に悪化し、自治体の財政悪化の一因になっていたのです。
ただ、赤字の病院だということで、それを簡単に廃院してしまえば、それで済むかというと、そんなことはありません。病院そのものがなくなってしまえば、地域の人々が困ってしまうからです。
そこで総務省は赤字の病院を自治体と切り離し、自立するように求め、病院などの経営を改善するために「地方公営企業経営アドバイザー制度」を設定したのです。私はその制度の下で公立病院再建のアドバイザーとして、これまで400にのぼる医療法人や公立病院の財務状況や運営状態を調査し、地域医療の未来像を助言してきました。その取り組みの中で重要だと感じたのが〝子育て〟だったのです。
予算案に初の産後ケア融資
─ なぜですか?
長 振り返ると、政府は13年度の補正予算に約30億円を計上し、都道府県4000万円、市区町村800万円を上限額として「地域少子化対策強化交付金」を交付しました。数年かけて利用する基金よりも子育てには即座に取り組んで欲しいという政府の意思の表れでした。
この交付金の交付を受けることは各自治体や地域の住民にとっては、〝3人目を産んでくれる生活環境整備〟への第一歩にもなりますし、公立病院にとっても産婦人科や小児科を復活させる動機付けにもなるからです。
─ それから10年間、環境は変わりつつありますか。
長 まだまだスピードが足りません。私が公立病院改革懇談会の座長としてまとめた「公立病院改革ガイドライン」では懇談会設置から公立病院改革ガイドライン案を提出するまでにかかった期間は4カ月でしたからね。とにかく再建にはスピードが欠かせないのです。その意味では、まだまだ危機感が足らないと思います。
ただ、その中でも潮目が変わったと感じる動きが出てきているのも事実です。例えば、社会福祉事業施設や病院、診療所などの設置に必要な資金の融通や経営指導などをする独立行政法人福祉医療機構の令和6年度予算案に初めて産後ケアに関する融資が計上されました。
産後ケア施設の設置義務は自治体にあるのですが、やはり運営は民間でないとうまくいきません。サービスに関するノウハウは自治体の職員よりも民間の方が遥かに高品質で効率的なノウハウを持っているからです。
ただ、何を始めるにもヒト・モノ・カネというリソース(経営資源)が必要です。仮に土地は自治体から提供されたとしても、設備投資や運転資金などに当てる資金も必要になるからです。そこを福祉医療機構が工面してくれるのは大きいです。
─ これもずっと長さんが言い続けてきたわけですね。
長 はい。銀行にとっても融資対象に産後ケアを入れることには勇気が必要でしょうからね。「前例がない」という理由から、どうしても消極的になってしまうのです。それでも成功事例は出てきています。その代表例が神奈川県川崎市にある産前産後ケアセンター「Vitalité House(ヴィタリテハウス)」です。
ヴィタリテハウスは民間資金だけで建設され、運営されています。土地は川崎市の所有で、施設自体は東レ建設が建設しました。運営はクレイドルという一般社団法人ですが、23年4月からの開業から満床状況です。
─ 既にそういった成功事例が出てきているのですね。
長 はい。実は当初、私の方からもヴィタリテハウスへの融資を銀行にお願いしたりしました。しかし、申し上げた通りヴィタリテハウスには物的担保がありません。そういう施設に病院や診療所と同じような、例えば30年間、無利息といった融資をすることは難しいと。ただ、本人たちは「やりたい」と。
ですから、誰かが旗を振らなければならないのです。そういった中で医療福祉機構が融資の予算を付けてくれたことは大きいと思います。
振り返ってみると、2000年に介護保険がスタートしたとき、介護保険制度の創設に関わった厚生省(当時)の高齢者介護対策本部次長山崎史郎さんの勉強に参加しました。
そこで山崎さんは子育て政策が遅れた原因は自分にもあるといった趣旨の発言をされたのです。ただ、私は山崎さんを責めるつもりはありません。当時の時世は老人病院全盛の時代です。高齢者を国が世話しなければ日本が成り立たなくなるという切羽詰まった状況だったからです。
医療改革に身を投じた第一歩
─ 政治家も政策の重点を介護の充実に向けなけなければならないと考えていました。
長 そうです。そんな山崎さんの話を聞いて、これは私のやるべき仕事であると思ったんです。調べてみると、公立病院では産婦人科医が確保できなくて産婦人科をなくす病院が次々と出てきていました。この現実も私が産後ケアに力を入れる原体験になりましたね。
─ 公立病院が産婦人科を設けない理由とは何でしたか。
長 要は産婦人科はリスクが大きいのです。そして有効な一手が打てずに、どこの公立病院も経営がどんどん悪くなっていきました。そして再建事例を具体的につくらなければならないということで、当時の菅義偉官房長官が私に指示したのが06年8月に財政破綻した北海道夕張市の病院再生でした。
夕張市の財政破綻の原因の1つに負債が数百億円規模に達するまで粉飾決算のようなことをしていたことが挙げられるのですが、さらに市の財政負担を重くしていたのが市内で唯一の総合病院だった夕張市立総合病院だったのです。
─ 公立病院が市の財政を圧迫していたと。
長 そうです。約180床の病院でしたが、この病院の再建は避けて通れませんでした。そこで私は財政破綻した8月に10人くらいの職員を連れて夕張入りし、1カ月で全員解雇という非常に厳しい方針を出すことになりました。このときは本当に辛い思いをしましたね。
ただ、このとき私が公立病院改革の旗印に掲げていたのは「選択と集中」でした。日本は医師不足に直面しており、その状況を解消するためにも、これは最も必要なことです。医師が働きやすく、先端医療技術も学べるような病院に統合して多すぎる病院の数を整理しなければなりませんでした。
これからの監査法人の役割
─ 長さんが医療改革に身を投じて五十余年です。今後の自らの役割をどう考えますか。
長 1200兆円を超える国の借金を抱える日本の財政問題は超高齢社会の一層の進展に加え、コロナにより深刻度合いは一気に増しました。これは地方も同様です。そのため、万年赤字の公立病院の改革は財政問題とは切っても切り離せません。
その中で我々のような監査法人には基本理念が求められてきます。実際、当法人では「すべての人に健康と福祉を 住み続けられる町づくりに貢献する」と掲げています。監査法人の使命は監査をすることが主です。ですから、監査法人の理念には監査の質について謳うケースがほとんどありません。
─ 単に監査をやればいいというスタンスではないと。
長 はい。基本理念すら掲げていない監査法人がある中でも、私は監査を通じて何を実現するかが重要だと思うのです。
─ 企業と同様に監査法人もこの理念が大事になると。
長 そうです。監査法人は単に監査をしてあげるという姿勢ではなく、民間企業と同じように、持続可能な町づくりに貢献するという目標のために監査をしているという志が必要です。
実はこのモデルになったのが福島県須賀川市にある公立岩瀬病院のケースになります。岩瀬病院の母体は幕末に東北の水沢(現奥州市)に生まれ、外科医をはじめ、台湾総督府民政長官や南満州鉄道総裁、内務・外務大臣などを歴任した後藤新平伯爵が医師になるために学んだ須賀川の医学学校になります。
─ 後藤新平は台湾の開拓にも携わり、拓殖大学の第3代学長も務めましたね。
長 はい。以前、岩瀬病院に行ったとき、病院内に後藤新平記念館があり、後藤新平伯爵ゆかりの品が展示されていたのを見て感銘を受けました。そんな岩瀬病院が今では子どもを産めて育てられる町として須賀川市の復活に貢献しています。
実際に周産期医療や産婦人科を復活させているのです。地方創生の一環で原子力発電所のある地域に対する交付金が出された際、岩瀬病院は子育てに関する設備投資に当てたのです。他の自治体もこういった事例をモデルにしていくべきではないでしょうか。
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