冨山和彦の「わたしの一冊」『夜と霧 新版』
財界オンライン / 2024年2月4日 11時30分
人間とは何か? 生きること(死ぬこと)とは何か?
1946年に出版されて以来、世界中で読み継がれている現代の古典である。若くしてかのフロイトの流れをくむオーストリアの著名心理学者であった著者が、ユダヤ系であったためにナチスによって強制収容所に入れられる。死と隣り合わせの、そしていつまで続くかわからない過酷な収容所生活において、自分と周辺に起きる心理的な変化を学者目線で観察・描写し、心理療法論を展開した著作である。悲惨な境遇について嘆くとか、残酷でサディスティックな監督者たちを糾弾するとかではなく、客観的で冷静な筆致が、かえって読者の知性と感性の両方を揺さぶる。人間とは何か? 生きること(死ぬこと)とは何か?
自由を奪われ、虐待され、ちょっとした運と選択ですぐに死が訪れる状況のなかで、人間は何を考え、何を感じ、どのように変化するのか。著者はそんな絶望の中でも「生きる(死ぬ)意味」を持ち続けた人間は、収容所からの生還の可否に関係なく自己放棄と破綻をまぬがれたと記している。
彼自身、日常生活では隠されている人間の本性を観察し、運が良ければそれを学問的に記述して世に問うことに「生きる意味」を見出していたのかもしれない。
この年齢で読み直してみて、被収容者が自由のない世界に順応するために自我を失っていく、当面の生存のために反応的に行動する生き物に変わっていく過程が、経営的に深い示唆を与えてくれた。閉鎖的な組織に従属し、そこにすがらなくては生きていけないという感覚に支配されている多くの人々にとっては、会社で過ごす時間帯において同じような現象が起きていないか。自我の喪失は正義の喪失でもある。当面生存の最適化は、本質的な問題の先送りを誘引する。
世界各地で分断と紛争が深刻化し、国内においては政治の世界でも経営の世界でも愚かしい不祥事が次々と明らかになる。こんな時代だからこそ、あらゆる世代の人それぞれに本書から得られる示唆は深くて広い。
第一生命経済研究所首席エコノミスト・熊野英生氏の提言「期待される来年の賃上げ」
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