YKK社長・大谷裕明の「いかなる時も原点回帰、『善の巡環』思想で」
財界オンライン / 2024年5月14日 7時0分
世界中が揺れ動く今、企業経営のカジ取りをどう進めていくべきか─。「混沌、混乱の中で、何を基準に経営判断をしようかという時に、立ち戻ったのが創業の原点、『善の巡環』思想でした」とYKK社長・大谷裕明氏。本業のファスナー事業では”世界5極経営”体制を敷き、生産・販売拠点を置く国は72カ国に上り、従業員数は2万6699人(2023年3月現在)を数える。コロナ禍にあって、世界5極の雇用を守り抜き、試練を耐え抜くことができたのも、『他人の利益を図らずして、自らの繁栄はない』という創業者・吉田忠雄の思想が「経営判断の礎にあったから」と大谷氏。ウクライナ戦争、中東危機という波乱要因を抱えながら、コロナ禍後の世界はどう動いていくのか? 流動的な状況が続く中、創業以来の経営理念を組織全体に浸透させ、「なぜYKKがそれぞれの国や地域で存在しているのか、企業の目的とは何かを語り合っていきたい」と大谷氏は語る。
激しく揺れる時にこそ…… 創業精神に立ち戻って
コロナ禍は文字通り、パンデミック(世界的大流行)となり、地球全体を揺さぶった。世界5極で経営を展開するYKKはコロナ禍にどう対応してきたのか?
「大抵のことでしたら、先輩というか、取締役を退任した吉田(忠裕氏、前会長)であったり、いろいろな先輩に、こういう時はどうしましたかとアドバイスを受けるんですが、コロナ禍だけは誰も分からないので、腹をくくりました。こういう時こそ原点回帰で、『善の巡環』思想に立ち返る。これしかないと。また、それしかなかったですね」
YKKグループの中核会社、YKKの社長・大谷裕明氏(1959年=昭和34年11月生まれ)は、コロナ禍が発生した直後の経営のカジ取りについてこう語る。混沌・混乱期にこそ、経営の原点に立ち返り、自分たちの仕事を見つめ直すことが大事ということ。
コロナ禍の初年(2020年)の第1四半期は受注が全てストップしてしまった。注文が全く途絶えてしまうのは、創業(1934年=昭和9年)以来、初めてのことだった。
「本当に経済活動がストップしてしまいました。欧米、日本の加工品種のオーダーがアジアに一切落とされない。その国の内需が動いているぐらいで、非常に厳しかった。そういう状況で、どうやって社員を守り抜くかと。その時は、その事だけを考え、逆にそれ以外の事を考えるのは止めようと」
その時、大谷氏が頼ったのが、創業思想の『善の巡環』である。
『善の巡環』─。YKKの創業者・吉田忠雄(1908―1993)が打ち立てた経営理念。
一言で言えば、他人の利益を図らずして、自らの繁栄はない─という共存共栄の考えである。
アパレル産業に欠かせないファスナーで一代を築き、〝世界のファスナー王〟と呼ばれる吉田忠雄。その後、建材のアルミサッシ分野に進出。ファスナー(YKK)と建材(現YKKAP)のYKKグループの基礎をつくり上げた創業経営者である。
取引先や従業員、地域社会の人々など、今で言うステークホルダーとの関係を吉田は大事にし、社会から企業の価値が認められるように努力していこうと訴えた。こうした考えから、吉田忠雄は関係者がお互いに繁栄する道を追求。文字どおり、喜びも悲しみも取引先と共にするという考え方である。
YKKは世界5極で経営を推進。東アジア、Americas(米国)、EMEA(欧州・中東・アフリカ地域)、ASAO(ASEAN=東アジア諸国連合、南アジア、太平洋地域)、中国の72カ国で事業を展開するグローバル企業である(商標登録は170カ国超)。
何より、まず雇用維持を優先
「(コロナ禍の絶頂期は)世界各国で動揺しているんじゃないかと思ったものですから、コロナを理由に解雇するのは止めようと。日本でも、雇用支援関連の法律がありますね。厳しい環境の時、ああしたことで国が支援してくれるのであれば、それも活用したうえで、補償していこうと。恐らく黒部(YKKの本拠がある富山県黒部市)でそういう事をやったことが今までありませんので、それもやってみようと。それをやる場合、社員たちは所得の何割が補償されるのだろうと関心も高いですし、これも100%補償でやろうと」
緊急時には、どう振舞えばいいのか迷うこともあるし、いろいろな判断に戸惑うことも少なくない。そんな時、大谷氏が判断の基本軸に据えたのが、同社の哲学、『善の巡環』である。
「それこそ、こういう時にはこう判断し、こう行動しようと、経営陣が『善の巡環』に立ち返って行動しようと努めた」と大谷氏は語る。
とにかく、社員のために、お客のために、そして社会のためになるような事をやろうと行動しているうちに、『善の巡環』が機能するようになった。
「おかげさまで(コロナ禍2年目の)2021年から、徐々にオーダーも入るようになっていった」
そうやってコロナ禍を乗り越えようとした矢先、今度は2022年2月、ロシア軍がウクライナへの侵攻を開始。以来2年余、戦争が続く。
ウクライナ戦争に加え、イスラエルとイスラム軍事組織ハマスやイランとの軍事的対立も発生。世界が不安定な中で、グローバル経営のカジ取りをどう進めていけばいいのか?
お客様のために何をやるかを改めて
『善の巡環』を判断基準に据え、具体的にはどう行動したのか?
「自分たちがやらなければいけない事を世界の支配人の皆さんはよく理解してくれていましてね。コロナ禍を経験した後の世界はどうなるだろうかと予測すると、今まで以上にコストパフォーマンスが求められるだろうと。そう考える人たちが増え、世界の消費で主役になろうとしていると」
人類全体が未知の出来事に遭遇し、サステナビリティ(持続性)への希求が強くなっていった。環境が激変する中で、「無駄なものは使わない、買わない、つくらないという考えが強くなった」と大谷氏。
無駄なもの、余分なものを使わない、買わない─。これは結果的に取引先(顧客)にとっても、利益につながる。さらに、もっとお客の利益になるものはないかと探していくと、「納期のあり方」に突き当たった。
「お客様に対する納期というものは今まで製造目線で、1週間でやった、2週間でやったという仕様をつくっていたんですが、それってあまり意味がないなと。要は、お客様が求められた納期に対して、どれほどミートできたかという方向に仕様を変えようと。そういう納期改革につながりました」
現地の自発的行動に
コロナ禍では大きな損失が生じたが、同時に自分たちの生き方を根本的に見つめ直す契機にもなったという大谷氏。
「絆というのが、以前にも増して強くなってきました。中国の上海、それにベトナムなどアジアでの絆ですね。中国でも当初はロックダウン(都市封鎖)しないだろうと思っていたら、やってしまった。(ロックダウンで)一旦自宅に帰ると、今度は工場に入って来られないので、ナショナルスタッフの幹部と日本からの派遣員がこれはどうしようもないと。家に帰らずに、宿泊操業するぞと。こちらは何も言っていないんですよ。彼らが率先してやってくれました。会社に泊まって、家に帰らない時期が1カ月半あったと。シャワーを浴びただけだとか。会社総出で食料品を確保して、それを工場に届けるとかして、しのいできました」
雨降って地固まる─。会社が何も指示しないのに、日本人とナショナルスタッフが一緒に力を合わせて、宿泊操業で仕事を続けてくれたことに、大谷氏は謝意を示す。
「要は、ノーコロナ政策をやっている時に、上海の主要都市で感染者が出ると、完全に封じ込めようとしますから、外出するなとなる。あるいは出たら、帰ってくるなになりますから。4月、5月の一番忙しい時です。受注残を誰が肩代わりするのかとなってくると、日本とか台湾などからどんどん送り込まなきゃいけないですけどね。市中の運送が滞っているものですから、なかなかお客様に製品が届かない。結局は、1億本以上のオーダーを、その時に失っていますけどね」
オーダーを失った損失は大きく、忸怩たる思いもあったが、宿泊操業をやったからこそ、その損失を幾分かは取り返すことができた。
「コロナ禍で一番景気が悪い時に、V字回復をしたのは中国とベトナムでした」と大谷氏は語る。中国、ベトナムの法人は、コロナ禍初年の2020年も赤字を免れた。
「後半にみんな盛り返してくれた」というが、現地スタッフが自発的に行動し、仕事を続けてくれたことに、「本当にありがたいことです」と大谷氏は感謝。
要は、その国の内需をいかに掘り起こすか
世界は今、米中対立、ロシアのウクライナ侵攻、米国では自国第一主義の高まりとギクシャクとした状況が続く。こうした状況にあって、グローバル経営のカジ取りをどう進めるべきか─。
「米国は、前大統領の時に、関税をどの中国製品にもかけましたからね。そうすると、輸出産業は、脱中国になっていきますから、全体の需要は少なくなりますね」
全体の傾向について、大谷氏はこうした見方を示しながらも、「でも、内需という所に目を向けると、新規顧客を増やすことができる」と語る。
「われわれがいろいろなファスナーをつくっている競合他社とうまく競合していけば、YKKを使ってみようかというお客様が今増えていましてね。全体需要は中国は下がっているんですが、新規客は増えているんです」
2023年度も増収増益を達成したが、これも中国やインド、バングラデシュ、パキスタンを始めとするISAMEA(インド・南アジア・中東・アフリカ地域)という地域に依る所が大きい。中国とISAMEA、この2つは本来厳しい地域のはずだが、「新規顧客を増やす」という視点で見れば、別の視野が開けてくる。
「そうですね。中国は今、世界で2番目に人口の多い国。1番がインド。オーダーがショートしないのは内需があるからなんですよ。加工輸出自体は、非常に動くんです。だから、内需を押さえることが大事」
内需を押さえる─。その国や地域に融け込むに至るには、それ相応の努力が要求される。
YKKは、わが国でグローバル経営の先陣を切った企業の1つ。しょう油のキッコーマン、ゲーム・エレクトロニクスのソニーと並んで1960年代、1970年代のグローバル化黎明期に海外進出を果たした。
3社とも、それぞれの領域で世界の評価を得て、存在感・ブランド力を獲得、維持し続けている。
なぜ、ファスナー加工・輸出でYKKが優位性を保ち続けてこられたのか?
「地産地消の時代に、わたしたちは米国とか欧州へ1960年代、70年代に進出していきました。その時に米国、あるいは欧州の最終の小売りの人たちやブランドホルダーの支持を得たわけです」と大谷氏。
最初の進出先である米国や欧州各国との間で築き上げた信用と信頼。その後、縫製工場を米国や欧州から中国やアジア各国に移転する際、取引先が「YKK製品を使ってくれ」と縫製メーカーに取り次いでくれた。そのことが、「われわれのアジアでの成長につながった」と大谷氏は感謝する。
正々堂々と競い合うことが大事
競争相手とは、「いい意味で正々堂々と競い合うことが大事。そのことが結果的には最終ユーザーにとっていい回転になるはずです」という考え方を大谷氏は示す。
『競合』という言葉の持つ意味を大谷氏は改めて強調。
「競争という言い方はあまりしないです。競合、競い合いですね。相手にダメージを与える、潰すという理念でコンペティションするのではなく、競い合う。どちらがいい企業価値をお客様に提供できるのか。最終的にはお客様に選んでもらう。正々堂々と競合をするというのも、『善の巡環』の基本的な理念です」。
世界は今、大きく変わろうとしている!
今、日本ではデフレからの完全脱却を図り、賃金と適正物価の好循環を実現しようという考えが広がっている。現に、ロシアのウクライナ侵攻などで原材料・エネルギー価格が上昇、世界的にインフレ圧力が根強い。原材料コストと製品価格の関係をどう捉えていくべきか─。
「お客様にとって、製品の値上げ、あるいは価格調整が正当なものであるかどうか、それに尽きますよね。わたしどもは基本的に3つの材料を使っています。金属、ポリエステル、プラスチックとあって、(コストの中で)原材料の構成比率が高いのが金属ファスナーです。どの程度までだったら、お客様と会話できるのか」
大谷氏は顧客との対話も、「全部、ワン・トゥ・ワンなんですよ」と個別対応していると言い、「一律に仕様価格表をドーンと上げることはやっていないです」と話す。
取引量は相手によって違い、それこそ取引は千差万別。「来年は何割かオーダーを増やしたい。量でカバーするから、ちょっと(納入価格を)据え置いてくれとか、いろいろ切った張ったの世界があります。それに一方的な値上げはできないです」
原材料価格の話し合いは今も、侃侃諤諤(かんかんがくがく)と双方で続く。
時代はまさに今、大きく変わろうとしている。環境への意識の高まり、SDGs(国連が定める持続可能な開発目標)に関する認識も深まり、欧州議会とEU(欧州連合)加盟国は昨年末、売れ残った衣料品の廃棄を禁止する政策を打ち出した。法令化は、早ければ2024年度内といわれ、衣類・繊維や流通産業は大きな影響を受けるものとみられている。
「はい、今は適時、適材、適量が求められる時代」
大谷氏は現状をこう認識し、「モノを提供する段階においては、とにかく売れるものを素早く見極めて、それしか供給しないと。そういう時代になってきた」と語る。
「適時、適材、適量」の時代
新しい産業のあり方が、〝適時、適材、適量〟をキーワードに追求される時代になったという認識を示す大谷氏。
世界では現在、年間約9000万トンの衣類が廃棄されているといわれる。年間消費量にほぼ匹敵する数字で、これは大変無駄なことをやっていると言えないだろうか。
「そういうようなことをしないと、アパレル産業は成り立たなかったという面もあるんです。消費地が欧米なのに、モノをつくっているのは中国やアジア。何が売れるか分からない半年先、数カ月先を見越してモノを発注するという大きなリスクをこれまで抱えてきました。そうすると、量的にたくさん発注するからということで、購入コストを抑制する。半分廃棄したとしても、企業として成り立つということにするには、安く買う。本当に売れなかったものが出てくるんだけれども、それが売れなかったとしても、事業として成り立つ。そういう構図になっていたと思うんです」
しかし、時代は変わり、われわれを取り巻く環境も変化した。ファストファッションの分野では、そうした構図にメスを入れ始め、本当に売れるものしか扱わなくなってきている。
「ええ、本当に売れるものしか、ソーシングサイクルを短くして、それがスーパーファストファッションというような時代にこれからなるはずなので」
これから、消費の面でも主役を担うとされるZ世代(1990年代半ばから2010年前後に誕生)。バブル経済崩壊後に生を享けたZ世代は、消費行動も冷静で賢い世代といわれる。
「本当にいいもの、コストパフォーマンスのいいものを買ったら、大切に使う。これは衣料品に限ったことではないと思います。そういう世代が、これからの日本をリードしていく」
Z世代を引き合いに、大谷氏は、時代は〝適時、適材、適量〟の方向に向かうと予測する。
守るべきものと、変革しなくてはならないもの
何より大事なことは、グローバル世界にどう迅速に対応していくかということ。YKKグループは、ファスニング事業(67社、社員約2万6700人)とAP(建材)事業(24社、1万7140人強)と、その他(不動産、印刷、農牧など、17社、約700人)で構成。
業績は、ファスニング事業が売上高3805億円、営業利益437億円。AP事業が5086億円、営業利益178億円(いずれも2023年3月期)。祖業のファスニングはグローバル化が進み、数量的に日本の比率は5%を切る。ほとんどの製品を海外で売っているというのが現状。
「わたしが東京にいるのは月の3分の1位。あとの3分の1は黒部(富山)で、残りの3分の1は海外という年間スケジュールです」
創業者・吉田忠雄の故郷は富山県。その富山県黒部市に商品開発拠点がある。「門外不出なのは機械の設計図。これだけは絶対にコピーさせないとバリアを張っています」と大谷氏。
守るべきものと、変革していかなくてはならないものとが同居する時代。世界には分断・分裂の流れが見られる中、肝腎の米国をどう捉えるのか?
「米国は、わたしどものモノづくりからすると、少ないウエイトしか占めていなくて、二次製品や縫製品が消費される一大消費地だということ。かつて1980年代、90年代には米国はファスニングの大きな生産量を誇っていましたが、今、数量的には8割以上がアジア、中国です。縫製品の生産体系はそう変化してきた」
売れ残り衣料の廃棄を禁止することが完全法令化された時、一大生産地のアジア・中国のソーシング(資源調達)はどうなるのか─に関心を持っていると大谷氏。
欧州はもっと縫製のサイクルを短くするのか、あるいはより消費地に近い所にオーダーを出すようになるのか?
「ところが、米国にはそういう基地が周辺にないんです。それを一度つくり直すのか、あるいは欧州の法案を米国には適用させないのか? それはまだちょっと読めていないですね」
自然環境を保護するために、モノづくりはどうあるべきか、欧米は同じ動きをするのか、日本はどう動くのかetc…。世界の環境が大きく変わる中、あるべき姿を追い求めていくには、『善の巡環』という考え方に沿って対応していきたいと言う大谷氏である。
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