岩尾聡士・高齢社会街づくり研究所社長が語る「囲い込む発想ではなくカルテを共有できる『人生100年手帳』を広げていきたい」
財界オンライン / 2024年4月30日 7時0分
「日本は米国のような費用対効果を見るという視点が欠けている」─。こう指摘するのは医師で京都大学経営管理大学院特命教授でもある高齢社会街づくり研究所社長の岩尾聡士氏。医療費削減のため、在院日数を現在の16日から9日に短縮させる「2025年問題」が迫る中で、その受け皿づくりに取り組んでいる。医療、介護、看護が分断されている現状を変えるため、「人生100年手帳」という横断的なプロジェクトを進めている。
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進む在院日数の削減
─ 超高齢社会の到来で高齢者の「看取り場所」が社会課題になりつつあります。
岩尾 ええ。「2025年問題」とも言われています。この背景には国が社会保障費削減に向けた取り組みの一環として、在院日数の削減を進めていることがあります。
足元では病院の一般病床の平均在院日数は16日。しかしこれが25年には急性期で平均9日まで短縮されます。
つまり、医療処置が必要な場合であっても、早期退院を迫られることになるということです。これにより約40万人の人が退院後の行き場を失うという危険があります。
実は我々の拠点を置く名古屋市では月間推定300人が孤独死しているといわれています。ですから、この数が1000人単位になりかねません。
─ 深刻な問題ですね。
岩尾 ええ。まさに高齢者からすれば崖から突き落とされるような感じになります。これを何とかしなければならない。
そこで我々は、こういった行き場を失いかねない人たちの看取り場所をつくろうと動いています。
ここで重要なことは、医療と看護と介護と、それぞれに溝があるということです。壁とも言えるでしょう。介護のケアマネージャーは医療のことはあまりよく分かっていませんし、医師も自分の専門の疾患以外は、あまり指示を出そうとはしません。
したがって、患者さんを目の前にしたときに適切なプランがつくれないという問題があるのです。なおかつ日本には「ヘルスエコノミクス」という概念がありません。
─ 経済学の原理を医療に応用するという考え方ですね。
岩尾 はい。つまりは、費用対効果を見るという視点が欠けているのです。例えば米国ではこの考え方が根付いています。20年ほど前、私は米国国立老化研究所に在籍していたのですが、米国では転倒して大腿骨を骨折すると、1カ月間くらい、マンツーマンでリハビリテーションをする要員が付きます。
その費用は1カ月につき200~300万円。一部は国が出しますが、基本的には患者さん本人がその費用を出します。
このことだけを見れば異論もあるかもしれませんが、この患者さんはリハビリ後、ほぼ100%、自宅に帰れます。しかし日本はそうではありません。入院させたままです。リハビリもしませんから、結局は寝たきりになって自宅に帰ることになる。もしそれがお年寄りであれば、筋力も衰えてしまう。
米国と日本の発想の違い
─ そちらの方がかえって社会コストがかかってしまう。
岩尾 おっしゃる通りです。当時の米国では寝たきりになると、年間600万円の費用がかかると言われていました。もし寝たきりのまま10年間生きたら6000万円です。そうならないために、米国ではできるだけ元気になるためのリハビリを集中的に徹底するのです。
ところが日本はリハビリにそんなお金が出せないといった理由から、リハビリを行わず、結果として寝たきりになってしまい、それ以上のお金がかかると。日本の医療保険は、どんな症状に対しても使えます。しかし、介護保険や障害保険は申請制ですね。申請して認めてもらわないと使えません。ですから、大半の人が使い方を知らないのです。
─ 先ほど指摘した溝があるから連携できない?
岩尾 そういうことです。もちろん、米国でも医療と看護、介護に溝はあります。ただ、米国はコストをしっかり分析してくるのです。どこでお金をかければ最も損失を抑えられるか。例えば、米国企業では操業時間内に1時間ぐらいスポーツジムに行ってもいいよといった制度を導入しています。
そのために会社の中にスポーツジムをつくったりしているのです。なぜなら、部長クラスの社員が突然、脳溢血で倒れてしまってはビジネスに大きな損害が発生してしまうからです。ですから、1970年代には「1マイル1ドル運動」と呼ばれる出社の間に1マイル以上歩いたら1ドル以上あげますといった運動が広まったのです。
カルテを共有する仕組みづくり
─ では米国の事例を踏まえ、日本はどのような方向に向かうべきだと考えますか。
岩尾 日本はどうしても長期的な視点に立たず、短期的な視点に立って、そのときにお金がかかるかどうかで物事を判断してしまう向きがあります。例えば認知症も軽度認知障害をそのままにしてしまえば、5年後には約6割の人が認知症になってしまうと言われています。10年後には約9割に上ります。
しかし、早い段階でAIの画像分析などを駆使して症状を発見し、早めに介入すれば認知症の進行を遅らせることができると言われています。では、それをどう実現するか。私がいま試みているのが、我々が持っている「人生100年手帳」というカルテの共有の仕組みです。
─ どのような仕組みのものですか。
岩尾 患者さんの基本情報を網羅しているビッグデータです。そこには診療や看護、介護の記録などが記録されます。つまり、医療や介護にまたがってシステムを共有することができるのです。そうすれば、医師も訪問看護師も患者さんの情報を共有することができる上に、食事や運動、製薬などにも結び付けることができるようになります。
今までは病院や介護施設ごとに患者さんに関する情報を囲い込んでいました。そこを我々は結び付けると。それも患者さんの情報だけでなく施設も紐づけていきます。そうすると、例えばAという患者さんのカルテがあったら、そのAさんにまつわる医療も看護も介護も食事も、さらにはAさんの住んでいる物件を管理する大家さんも付くと。
─ それはマイナンバーカードでできませんか。
岩尾 理論的には可能です。ただ、マイナンバーがいつ普及するか分かりません。冒頭に申し上げた通り、2025年問題が間近に迫っています。もう時間がないのです。ですから、できるだけ早く実現できる方策を考えなければなりません。
今のところ、こういったソフトの開発及びメンバーシップの開発で約5億円かかると見込んでいます。しかし、我々だけでは多額の開発費を工面することが難しい。ですから、出資をしてくれる企業を探しているところなのです。
─ 分断されていた領域を〝つなぐ〟わけですね。
岩尾 そうです。ですから我々は医療、看護、介護のサービスプロバイダーではなく、生活総合商社です。そういった立ち位置でカルテの元を分析し、食事も運動もリハビリも、場合によっては製薬も、あらゆる業界を良い方向にもっていきたいと。このカルテのデータで健康データを見ることができますから、最初は訪問看護や訪問介護を結び付けていくことに全力を挙げていきたいと思っています。
─ それだけ2025年問題は国家的な課題であると。
岩尾 はい。誰かが何とかしなければ、高齢者の方々がセーフティネットから漏れ、日本が姥捨て山のようになってしまいます。まずはセーフティネットを整備し、その後に未病予防対策を講じていくと。今は人生100年時代なのです。誰もが認知症と寝たきりになる可能性を抱えて生きているのです。
─ 長寿社会を迎えた日本であるからこそ直面する社会課題と言えそうですね。
岩尾 日本では今後20年から30年かけて、寝たきりか認知症になる人たちが一気に増えていきます。10年前まで、あんなに健やかだった人が今はもう何もできないという状態になってしまうのです。それでも国は健康寿命の延伸を目指しています。寝たきりのまま介護士さんに面倒をみてもらって生きるのが幸せなのでしょうか。それを何とか防ぎたいと動いています。
─ 岩尾さんは財団も設立しましたね。この骨子は。
岩尾 一般財団法人生涯デザイン研究所を設立しました。代表理事は元通商産業事務次官の児玉幸治さんに務めてもらっています。理事には元郵便事業社長の團宏明さんや介護保険制度をつくった元内閣官房社会保障改革担当室長の中村秀一さん、日本郵政不動産社長の山代裕彦さんらがいます。郵政関係者が多いのは、高齢者は郵便局に行く機会が多いからです。
こういった産・官・学の分野で豊かな経験を持っている方々とヘルスケアに関するベンチャーやソーシャルアントレプレナ―の教育、養成、先進的技術シーズの研究深化、先進的情報技術の医療介護への応用・研究・開発投資といった様々な活動を進めているところです。
介護・看護の業界も底上げ
─ この財団が人生100年手帳プロジェクトの旗振り役となるわけですね。
岩尾 ええ。この財団が動いてメンバーシップ制を敷いていきます。全国には訪問看護ステーションや訪問介護ステーションはコンビエンスストアの何倍もあります。ただ、そのうちの半分の事業者は従業員が3~5人という零細です。
やはり、ほとんど毎日が当直となり、深夜の労働環境が厳しいために離職率が高くて人が定着しないのです。ただ、こういった零細の事業所を束ね、30ステーションで約100人の規模になれば、当直が月1回で済むようになります。施設のオーナー管理者も会社の利益を自分の収入にできるようになります。
そうすれば、介護士の収入も2.5倍くらいになると見込まれますし、若者で介護士を志す人も増えてくるでしょう。ですから、まずは事業所を集めてくることが重要になります。既に名古屋では始めており、今年の目標は4事業所に新たに参加していただこうと思っています。
─ 東京も視野に入っているのですか。
岩尾 2024年度末までに看護ステーションを40、介護士テーションを40ずつ、80事業所を入れようと思っています。その次に東京でも同様の取り組みを展開していこうと考えています。ですから、名古屋と東京で集中的にやっていく考えです。
─ 岩尾さんが、こういった発想を考えたきっかけとは何だったのですか。
岩尾 日本はどうしても囲い込むやり方ばかりをしてきました。そのために誰もが不動産を保有する。ただそうすると、利益が出ても負債が貯まってしまい、前に進めなくなってしまいがちです。今は、もの凄い数の高齢者をさばかないと、皆が崖から突き落とされてしまうという瀬戸際にあります。建物など建てている暇などありません。
もっとソフト的な横のつながりを展開し、お金をかけなくても互いの経営資源を融通し合って、しっかり収益を上げられるような仕組みを構築しなければならないのです。
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