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三原邦彦・ビースタイル ホールディングス社長の「人生の転機」【起業時とコロナ禍】

財界オンライン / 2024年6月10日 11時30分

2002年の創業時(左:増村一郎会長、右:三原氏)


 当社はしゅふ(主婦・主夫)に特化した「しゅふJOB」という求人媒体の運営や、人材派遣・人材紹介サービスを主な事業として行っています。

 新卒では人材派遣の会社に入社し、子会社の社長も任せていただいたのち、女性の結婚後のキャリアを応援したく、2002年に起業しました。

 その頃、正社員はフルタイムの仕事しかなかった時代で、女性は結婚、出産を経ると退職するのが当たり前。時間ができたら家の近くでパートの仕事をするというキャリアが一般的でした。しかし、人材派遣の仕事をする中で、例えばTOEIC900点の女性が結婚後は高校時代にやっていたアルバイトに逆戻りする、そんな人が山ほどいることを知り、衝撃を受けたのです。せっかく大学まで出てキャリアを積んできたのに、この状況は絶対におかしい!と思ったのが起業のきっかけでした。

 しかし、当時はしゅふ層を雇うことに理解のある企業がまだまだ少なかったため、ホワイト企業と呼ばれていたほとんどの大企業の経営者に手紙を書いて会いに行き、当社の求人媒体でしゅふ層の求人を出してもらうよう、説得を重ねてきました。

 女性がキャリアを落とさずに家事育児をしながらホワイトカラーで働ける仕事が増えるといいなと思い事業を続けてきたので、今そのような時代になりつつあることを嬉しく思っています。

 わたしのこれまでの一番の転機は、起業のときとコロナ禍です。コロナ禍はどちらかというと自分の経営においての転換期でした。基本的に人とのコミュニケーションが好きなわたしは、リモート勤務になり、社員の働きが見えない中で、会社の業績は維持しなければならないことや、対面でコミュニケーションが取れないことが精神的にとても辛い日々でした。振り返ってみると、猜疑心も強くなり、自分を見失っていた時期でした。

 それまでのわたしはスピード重視、リーダーシップの取り方も違いました。しかし、その状態の自分を客観的に見て、感情に左右されてしまうと、判断や行動を間違えるというリスクがあると気づきました。どんな状況であっても、業績は100%経営者である自分に責任がありますので、経営のリスクヘッジとして意思決定の体制も変えましたし、考え方が大きく変わったと思います。

 今後も理想的な社会の実現に向けて、時代に合わせた「best」な価値を、事業を通じて提供し、時代の「basic」にしてまいります。

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