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インバウンド増を日本としてどう生かすか?【私の雑記帳】

財界オンライン / 2024年6月16日 13時50分

インバウンド増加を日本としてどう生かすか

インバウンド増に思う

「日本の人たちはフレンドリー(親切)で、礼儀正しいし、街もきれい。東京の地下鉄は便利で移動もスムーズ。食事もおいしいね」

『ニッポン、大好き』─。テレビでのインタビューや、ネットでの反応を観ると、海外からの観光客たちの反応はすこぶるいい。

 今年(2024)のインバウンドは過去最高を記録したコロナ禍前の3188万人(2019)を大きく更新しそうだ。

 コロナ禍で業績が振るわず、リストラが続いた航空会社やホテル・外食などのサービス業は活気づき、様変わりした。

 同時に、戦力増強のために新たに人を採用しようとしても、ままならず、人手不足で悲鳴が上がる。また、提供するサービスの対価として料金をどう設定するかといった問題も浮上。

 インバウンド増加というプラス現象と、雇用やサービス料金設定がままならないというマイナス現象が同居しているのが現実だ。


二重価格制の導入で…

「二重価格制を入れたらどうか」という声も出始めている。

 例えばホテル業界。今や都心の一流ホテルは、一泊10万円は当たり前の水準。20万円、30万円、さらには数10万円という値が付く動きもある。特に、ブランド力のある外資系がそうだ。

 需給関係でいうと、完全に需要オーバー。今後も海外からの宿泊客が増えるとなると、料金は上昇傾向が続く。そうかと言って、コロナ禍の時から宿泊している馴染み客に、海外からの客と同じ対応をするのは難しい。

 そこで、二重価格制の登場である。例えば、海外からの宿泊客に10万円の料金設定をして、国内の客には7万円~8万円の料金設定にするといった案。

「国内の馴染みのお客様には会員になってもらい、料金割引の特典が付くということで、内外のお客様双方に納得してもらうということです」とはホテル関係者の弁。

 円安にどう対応するか─という視点での、二重価格制の登場である。


多様な文化、民族性の中で

 ウクライナ戦争、イスラエルとイスラム軍事組織ハマスとの戦闘を頂点に、世界各地で紛争や対立が続く。そうした中で今、日本ではインバウンドが増え、海外の人たちと日本人の交流が進む。

 都心の銀座、渋谷、新宿、さらには浅草や上野、秋葉原といった日本文化を代表する所はインバウンドで大変な賑わいだ。

 都内の移動には地下鉄が便利ということも知られ、今や地下鉄では多くの外国人の姿を見かける。

「日本人の乗客は車内でも静かで、礼儀正しく乗っているが、外国人客は大声で話し合い、少し迷惑だね」といった反応もある。

 オーバーツーリズム。訪日外国人客が観光地に殺到し、その土地で暮らす人々の生活に支障が出るといった事案も続出している。

 山梨県内にある富士山麓の街では、コンビニ前の道からコンビニ越しに富士山の絶景が撮影できるということから、多数のインバウンドが押しかけて話題になった。

 そこで、大きな幕を設置して写真撮影をしにくくする措置が取られたりしたようだが、〝反発〟も受けた。

 こうした措置には賛否両論が出てくる。要はどうすれば地元とインバウンドとの〝共存・共生〟が図れるかということである。


小坂敬さんの言葉に…

「互いの違いを浮き上がらせるより、共生の道を探る努力をしたほうがいいと思いますね」と語るのは、銀座・小松ストアー社長の小坂敬さん(1937年=昭和12年生まれ)。

 小坂さんは、世界の人たちが行き交う銀座の世話役。小松ストアーは高級ファッション販売で知られるが、ファストファッションの『ユニクロ』をテナントとして招致するなど、世界中の若者が集う店舗づくりをしている。

 店内の、コーヒーショップがある〝対話フロア〟には各国の人たちが集い、話し込む姿が見られる。世界の若者が集まり、活気のある交流の場となっている。

 小坂さんには『銀座に生きて』(財界研究所刊、2016年発行)という著作がある。多様性の世界の中で、どう生きるか─というテーマの著作である。


『日本に生まれ、米国で育ち』

 同書のサブタイトルは、「日本に生まれ、米国で育ち」である。

 小坂さんは慶應幼稚舎を経て、米国に留学。アリゾナ州のハイスクールを卒業後、米東部に移り、1960年米コルゲート大学を卒業。米ミシガン州立大学大学院を卒業した後、1962年米国の化学会社フィリップスに入社。

 同社と昭和電工(現レゾナック)との合弁事業に携わった後、1985年に家業の小松ストアー社長に就任した。

 小坂さんの趣味は幅広く、小唄、謡、笛、仕舞と日本文化への造詣も深い。また、ゴルフやセイリングなどスポーツにも熱心だ。

 筆者も時折、小坂さんを訪ねて話をさせてもらうが、話題が広く、しかも本質を衝く話をされるので、いつも小坂さんの話に吸い込まれてしまう。知的好奇心を掻き立てられる御仁である。

 ご本人は、若い頃に米国に渡り、「異文化に触れたことが大いに今の仕事に役立っています」と語られる。

「ハイスクール時代は、友達2人と計3人で、米国横断を3回やりました。車を3人で交代して運転して、疲れたら後部座席でゴロンと横になるという感じでね。各州の風土や人情に触れられて楽しかったですね」

 青春時代の思い出を、ユーモアを交えて茶目っ気たっぷりに話をされる小坂さんの姿もまたチャーミングである。


栄光学園の教育

 給湯機器の製造販売でトップのリンナイ社長の内藤弘康さん(1955年=昭和30年生まれ、東大工学部卒)。内藤さんは中学・高校時代、神奈川県鎌倉市にあるミッション系の栄光学園で学んだ。

 栄光学園は、イエズス会が戦後設立した学園として知られる。

 男子校の同校OBの間で今も語り継がれるのが、初代校長を務めたグスタフ・フォス神父(1912―1990)。

「1学年180人の学校でしたが、今でも忘れられないのは、2時限と3時限の合間に、上半身裸になって校庭を走らされたことですね」と内藤さん。

 JR大船駅から、小高い丘にある学園までは徒歩20分の道のり。

「バス乗車は禁止されていましたからね。毎日歩くことで体の鍛錬になるという神父の考えですね」

 厳格な校風だが、「ウルフ先生という副校長がおられたんですが、ウルフ先生はグスタフ校長とはまた違った考えの持ち主。多様性のある学校だと子供心にも感じていましたね」と内藤さん。

 多感な頃に異文化に接することは人生を豊かにしてくれる。

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