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田中弥生・会計検査院院長「財政民主主義を支える! ドラッカー先生の教えを会計検査で実現していきたい」

財界オンライン / 2024年6月19日 15時0分

田中弥生・会計検査院院長

「これからの子どもたちが多大な国の債務という負担を背負わないといけない状況を改善していくには、実際の決算状況を踏まえた予算をつくることが必須です」─。1月に会計検査院長に就任した田中弥生氏はこう訴える。田中氏はアメリカ留学中に経営学者ドラッカーに直接学び、強く影響を受けたうちの一人。社会の安寧を保つために民主主義を大事にするという彼の教えを国の会計検査に活かし、健全な国家財政を支えることで国の安定を実現していきたいと語る。国の債務が年々増加し、課題が山積する中、田中氏がこれから取り組んでいくこととは─。


国の予算と決算の乖離

 ─ 田中さんは様々な経験を経て今年1月に会計検査院長に就任されましたが、いまどのような思いでいますか。

 田中 なぜいま会計検査院にいるかを考えたときに、やはりドラッカー先生の教えの影響はとても大きかったと思います。彼の教えは、社会の安寧を保つために民主主義を大事にすべきというもので、終生変わらぬものでした。

 会計検査院というのは、財政民主主義を維持するための大事なインフラの一つです。そういう意味で、ドラッカー先生の教えや思いを、会計検査院に来たことによって実現できていると思っています。

 ─ そういう意味では人生の妙というか因果を感じますね。

 田中 はい。財政民主主義というのは、最終的には国民の代表である議会が予算を決定するということですが、その予算の執行結果である国の決算を見ているのが会計検査院になります。

 いま予算と決算が十分にリンクしていないのではないかという課題があります。例えば、令和3年度の国の一般会計の歳出決算額は約144.6兆円ですが、当初予算では106.6兆円で、40兆円近くも差があります。

 ─ 乖離が生じる理由は?

 田中 当初予算に加えて途中で補正予算などが入るからです。

 当初予算に加えて補正予算と予備費がどのように加わって、どう使われたのかをしっかり振り返らなければ公金の使い方の全体像はわからない面があります。

 そして、現実問題として、我が国の財政はいま非常に厳しい状況です。

 日本の債務残高は、GDPの2倍を超えており、これは世界的に見ても相当厳しい状況です。この借金を次世代に先送りしているというのが今の日本です。

 ですから、私たちの跡を継いでくれる子どもたちが、多大な負担を背負うという厳しい状況を改善していくためには、まずは決算の状況を十分踏まえて予算をつくることが必要です。決算結果と予算をもっとリンクさせることから始めなければなりません。そのためにも、会計検査院の役割がますます重要になっていると思っています。

 ─ こういう議論をもっと真剣にやっていくべきですね。

 田中 はい。そういう意味では、会計検査院としても、これまで発信が十分でなかったというのは反省すべき点です。ですから、私は1月に院長に就任してから5つの目標を掲げました。そのうちの一つに、納税者である国民の目線で会計検査院の社会的認知度を上げることがあります。

 ─ 国民の血税をどう使うかもっと関心を持ってもらうと。

 田中 ええ。もう一つは日本の財政の審議、予算編成の議論に役立つような検査報告を取りまとめるということです。そのためには予算と決算の間のリンケージをつくっていかなければいけないので、いろいろな方々への発信も大事になってくると思っています。また、政策、制度や施策の改善に資するような検査結果を報告していくことも目標に掲げています。

 例えば、いわゆる住宅ローン減税制度についていうと、住宅ローン金利が低下しており、制度上の控除率との逆ざやが起きていたという状況がありました。こういった制度は広く多くの方々に影響してしまうので、平成30年度決算検査報告で、制度の見直しに資するような検査結果を掲記しました。

 ─ 世の中の動きに合わせて役立つ検査をしていくと。

 田中 はい。それを実現するためには、われわれの検査の質も上げていく必要があります。これまで会計検査院のイメージは、小さな計算間違いの指摘で重箱の隅をつつくというイメージを持たれることもありました。

 しかし、一見小さなミスが実はとても重要で、同じことが他の地域でも起こっている可能性があり、そういう視点で他の地域も検査してみる。これが点から線へつなげていくということです。さらにいえば、全国の傾向として同じことが相当起こっているのではないかと疑う。これが面でとらえるということです。

 ですから、「点から線」、「線から面」に発展していくような検査をしていきましょうと。そのためにはこれまで蓄積された技術や知識を駆使して実地検査を行うことに加え、データサイエンスの力を借りて統計解析をしていくとか、あるいはAIの力を借りてリスクを察知するとか、新しい技術も積極的に採り入れながら検査していくことが必要だと思います。このような試みを重ねて検査の質を上げることを目指します。


ピーター・ドラッカーに学んで

 ─ 田中さんは米カリフォルニアで非営利組織論を学ばれていましたね。ドラッカーとの出会いからまずは聞かせてくれませんか。

 田中 慶應の大学院在学中に、「論文を書くための研究はアメリカでやったらどうか」というドラッカー先生からの助言があって、先生が教授を務めるクレアモント大学で研究や学びの機会を頂きました。先生のご自宅のそばに家を貸してくれる老夫婦がいて、それで一軒家を借りたのです。

 ─ クレアモント大学はドラッカーで一挙に有名になった大学でしたね。

 田中 そうですね。でも、クレアモントではドラッカー先生は経営学ではなく、主に東洋美術を教えていました。先生の書斎にもよくお伺いしていましたけれど、あるのは漢字の本ばかりでいくつもの日本画の掛け軸コレクションがお部屋にありました。それも華やかな色とりどりの掛け軸ではなくて、ほとんど水墨画なのです。ご夫婦そろって熱心なコレクターだったのがとても印象的です。根津美術館でもコレクション展示をされて、ご本人が講演までされました。

 ─ 日本の美術に非常に興味がおありだったのですね。

 田中 ええ。ある時、日本人同士で松尾芭蕉の句の話をしていた時に、横にいたドラッカー先生が「バショウ」と言ったのです。先生は日本語がわからないふりをしていましたが、日本語もよく理解されていて、俳句や詩歌をたくさん知っておられました。

 1980年から1990年代にかけて、日本ではドラッカーブームがすごかったですよね。それでよく来日されていましたが、本人の回顧録の中で、来日時に楽しみにしていたのは、京都に寄って書画を買うことだったと書いてありました(笑)。

 ─ ドラッカーは日本をどうみていたのでしょうか。

 田中 敗戦で荒廃したところから急速に復興したところに、日本の可能性を見出していました。先生が日本美術に通じていたということに加えて、もうひとつあまり知られていないことがあります。先生はユダヤ人で、ナチスが台頭する中で、身の危険を感じてアメリカに亡命しています。その体験から、人類は二度と全体主義(ファシズム)に陥ってはいけないと考えていました。そして、そうならないための社会の在り方を亡くなるまで模索していたのです。

 その発端となったのが、1942年の『産業人の未来』という、氏の著書です。これは、ナチスが敗れ、第二次世界大戦が終わったことを前提に、戦後社会のあるべき姿を描こうとしたものです。そこには、政府、企業、住民のあるべき役割が記されています。

 ─ 企業の在り方までも。

 田中 ええ。なぜならば、戦後社会は間違いなく企業中心の社会になると。

 企業は、財やサービスを生産し、雇用を生むという経済的な役割に加え、社員やその家族に対してコミュニティを提供することが求められると述べています。コミュニティとは、社員やその家族が、社会の一員であり、社会に貢献できていると実感できる場のことです。ドラッカー先生は、戦後の新しい社会において、企業は経済的役割とコミュニティの役割の二つを担うべきだと述べているのです。

 ─ 二つの役割が大事だと。

 田中 そうです。ドラッカー先生はこの二つを具体的にどのように両立させることができるのかと『産業人の未来』を記した直後から考えていました。そして、渡米後に、ゼネラルモーターズの調査研究を始めました。その研究成果が、氏にとっての最初の経営学の著書となりました。しかし、1980年代になると、アメリカの企業には両方の役割を果たせそうもないと思ったようです。

 他方で、日本の企業が、社員に対して手厚い福利厚生を施しながら組織としての一体感をつくっていくのを見て、日本の企業こそ、経済的な役割とコミュニティの両方の役割を果たせると期待を持ったようです。

 ─ パブリック性を大事にしているところが、どこか日本の思想と似た部分がありますね。

 田中 そうですね。ユダヤ人、イスラエルという国は、われわれと似ているところがあると感じます。学ぶこと、教育に非常に熱心な民族です。また、人との関わり合いを大事にします。

 以前、イスラエルを訪問したことがあるのですが、他人の子どもでも、近所のおばちゃんが「あなた、こんなことしちゃ駄目よ、お行儀が悪いわね」と注意していました。

 ドラッカー家を訪問したときも、いつもそのような親しみやすさと温かみを感じていました。

 ─ かつての日本のようですね。

 田中 ええ。地域の人がそうやって子どもを教育してくれるのです。誰の子どもかは関係なく、地域社会の皆で育てるものという意識があるようでした。


国民の生活に直結する仕事

 ─ 去年の秋に、ガソリン価格の高騰対策事業について検査結果を報告しましたね。

 田中 はい。コロナ禍のときもそうですが、ウクライナ情勢などの影響でガソリン価格の大幅な高騰の懸念が取りざたされました。それで、国は価格の高騰を抑制するために、補助金制度をつくりました。

 この事業の予算額は、令和3、4年度で約6.2兆円に上っており、令和6年度の国交省の一般会計当初予算(約5.9兆円)より大きい。そのような巨費を投じてガソリンの価格はどの程度抑制されたのか、事業の運営プロセスはどうであったのかということを検査して、11月に報告しました。その結果、去年の臨時国会では、衆参両院の予算委員会と予算の本会議の質疑で、合わせて12回ほど検査結果が取り上げられており、総理も答弁に立っています。それもあって、この制度の在り方は国会でも相当議論されました。

 ─ 会計検査院の仕事が国民の生活に直結していると。

 田中 はい。影響は大きいと思います。87歳になるわたしの母が、「予算よりもどうお金が使われたかのほうが、私たちに身近よね」と言っていましたが、本当にそのとおりだと思いますね。

 ─ そうですね。この仕事をする職員に求められる資質はどんなものですか。

 田中 この仕事は大変です。なぜかというと、相手にとっては嫌なことをたくさん聞かなければいけないからです。現場に入り、相手の信頼を得て、いろいろ話してもらわなければなりません。ですから、自分たちの規律、倫理観と同時に正義感、そして、卓越したコミュニケーション能力と問題発見能力、それを今度は報告書に論理的にまとめる能力というふうに、たくさんの能力が求められます。

 また、検査対象が変わるたびに新しい知識も身に付けていかねばなりませんので、第一線で検査を行う調査官たちのモチベーションをどう高く維持するかがとても大事です。

 ─ 高い能力に加えて高い人間性も求められますね。

 田中 そうなのです。ですから、わたしが掲げた目標を一人一人の仕事に落とし込んで理解してもらうために、あくまでも任意ですが、全職員と対話する取組を始めました。

 ─ 手ごたえは?

 田中 あります。職員と院長との距離を縮めるということを大事にして、普段の院長田中の顔を知ってもらい、職員と同じ思いを共有すると。

 その中でも面白かったのが、予想以上に若手職員が検査院という組織の在り方とその仕事に問題意識を持っていたことです。もう少し初歩的な質問をしてくるのかなと思っていたのですが、むしろ、この会計検査院の将来を考えているような質問をしてきますね。それと気づいたこともあります。女性職員にはライフイベントがあって、出産、子育てと仕事をどう調整していくのかという選択問題に入っていくのですよね。

 そのときに、検査院とはどんな存在であるか、「こういうことを目指す」と院長が言ったことで、自分のキャリアプランをイメージしやすくなったという人もいます。そういった世代を超えた職員との対話の中で気づいたことを取り入れて、また組織づくりに活かしていきたいと考えています。

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