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SBIホールディングス会長兼社長・北尾吉孝「創業以来、社会課題解決に挑戦してきた。金融に加え、半導体などモノづくりにも注力していく」

財界オンライン / 2024年8月13日 18時0分

北尾吉孝・SBIホールディングス会長兼社長

「地域金融機関を活性化するだけでなく、地方経済にインパクトを与えるためにモノづくりが大事」─北尾氏はこう話す。創業25周年を迎えたSBIホールディングス。この5年の間にも会社は急成長を遂げている。この間、地域金融機関への相次ぐ出資、SBI新生銀行の買収、株式売買委託手数料の無料化、台湾・PSMCとの半導体工場建設の発表など、矢継ぎ早に手を打ってきたことが功を奏している。北尾氏が描く将来像とは。

投資の民主化に向け「手数料ゼロ」を実行

 ─ 2024年は1999年7月の創業から25周年となりましたね。改めて、これまでの歩みを振り返ってどうですか。

 北尾 19年の20周年から5年しか経っていないのですが、この5年で様々なことが大きく変わりました。

 例えば19年3月末のグループの顧客基盤が2520万件に対し、24年3月末で5050万件と倍になっています。売上高は3514億円が1兆2105億円、従業員数は6439人から1万9097人、連結子会社数は259社から721社、資本金は920億円から1804億円と、大きな変化を遂げています。

 ─ この変化の要因をどう捉えていますか。

 北尾 自分が今まで何をやってきたかを振り返ると、今、社会課題として何があり、それをどのように解決していくかという形で事業を進めてきました。

 課題解決のための知恵や経営資源が当社グループの中にあるのか、あるとしたらどう使うのか。また、経営環境の変化をタイムリーに捉え、我々自身が成長し、日本経済にもプラスになる状況をつくることができないかを常に考えながら、25年歩んできたのです。

 この5年間における、取り組みの一つが、国内株式の売買委託手数料を無料化する「ゼロ革命」です。私は常々、金利がほとんど付かないのにも関わらず、いつまで経っても金融資産の54%が預貯金に置かれている今の日本の状況はおかしいのではないかと感じていました。そこで、投資のコストである売買委託手数料を無料化することで、投資の民主化・大衆化を進めていくことを考えたわけですが、これも一つの社会課題への挑戦だったのです。

 ─ 以前であれば手数料ゼロは考えられませんでしたね。

 北尾 私が野村證券に入社した1974年は、高額所得者名簿、土地売却者名簿を持って営業をしており、訪ねるのは富裕層ばかりでした。一般の方が証券会社で株式を売買することはあまりなく、投資は民主化されていませんでした。

 そんな時に誕生したのが「インターネット」という技術でした。我々は、この技術こそが投資の民主化のための1つの有力な手段だと考え、ネットをフル活用した証券会社をスタートしました。しかし、それでもまだ不十分だということで、大衆化を推し進めるべく「ゼロ革命」をスタートしたのです。

 ─ 新生銀行を買収し、現在はSBI新生銀行としていますが、改めてこの狙いは?

 北尾 安倍晋三・元首相が「地方創生なくして日本の成長なし」と言われていたように、地方を何とかしなければ日本経済の浮上は難しいと考えていました。そこで私は地方創生を進めるべく、地域金融機関の活性化を打ち出しました。地域金融機関を活性化させるためには「核」となる銀行が必要で、それはおそらく新生銀行だなと当時考えていました。ただ、相手にも経営者がおり、簡単に「わかりました」となる話ではありませんでしたから、敵対的TOB(株式公開買い付け)での買収を決断しました。

 私はあえて「20年も公的資金を返さないのは泥棒と一緒だ。これで銀行を続けられるのか」などと刺激的な言葉を使ったのですが、そのお陰か世論が味方をしてくれました。おそらくそれを見て、金融庁も我々のTOBを支持してくれたのだろうと思います。

 すでに、プロジェクトファイナンスなど、様々な取り組みが地域金融機関との間で実行できていますが、今後はSBI新生銀行を核に、グループ内外の経営資源を一層活用し、地域金融機関の活性化を強力に推し進めていきます。

 こうした地方創生の取り組みについては、元々は出資した銀行との取り組みが中心でしたが、今では出資していない銀行も含め、全国100社超の地域金融機関と様々な提携関係を結んでいます。

 ─ 宮城県で半導体工場を建設し、半導体関連産業に進出することを決めましたが、今の取り組みの延長線上にあると?

 北尾 ええ。地方創生の実現には、地域金融機関を活性化するだけでは不十分で、もっとダイレクトに地方経済にインパクトを与えるものは何かと考えた時に、やはりモノづくりを行うことだという結論に至りました。

 人口減少、少子高齢化で主要な産業が地域の外に出ていっています。こうした状況を食い止めるためには、地元に人を引き付ける産業があることが大事であり、それが半導体関連だったということです。やはりモノづくりを地域で行うことによってもたらされる雇用と所得は、非常に大きなものなのです。


新たな挑戦のためにも規模が重要に

 ─ 北尾さんが考える今後の金融の姿を聞かせて下さい。

 北尾 基本的には、ある程度規模を大きくしなければ生き残れないと思います。また銀行のあり方も、ネット全盛時代に入り、それがさらに進化する中では、フィンテックの技術がなければ生き残れなくなっています。地域金融機関との提携についても、我々が技術と、ある程度の規模の経営資源を持っているからこそ、互いにプラスとなっているわけです。

 また運用にしても、昔のように簡単ではなくなっています。かつては株式が駄目なら債券にといった時代でしたが、今は株式も債券も同じ方向に動く難しい時代で、運用が非常に高度化しています。その中では新しい商品が必要で、世界では仮想通貨を組み込んだETF(上場投資信託)なども出てきています。そうした変化に対応した会社でなければならないのです。

 ─ 日本の円安は国力低下の表れとも見られています。日本の潜在力をどう評価しますか。

 北尾 私は以前、日本には潜在力があり、再活性化できると考えていました。ただ今は正直、本当に大丈夫なのだろうかという不安を持っています。円を見ても、1ドル=360円の固定相場制の時代よりも実質的には円安になっているわけですから、日本経済の弱体化を物語っています。

 もう1つ問題なのは、「異次元の金融緩和」以降、日本の財政がおかしくなっているという点です。このせいで、円安の状況を解決しようと金利を上げた場合どうなるかというと、その後遺症として凄まじいものが出てきてしまう。ですから今の植田和男・日本銀行総裁もカジ取りが難しくなっています。

 今、政治家の方々は財政について、よく考え直す必要があると思います。何かというと減税といいますが、今の日本に本当に減税をする余力があるのかと。一方で、消費税増税の話が出たりして、チグハグな印象が拭えません。


今後はモノづくりにさらに踏み込む

 ─ 改めて、この25年間の自らの歩みを振り返って今、どんな思いを持っていますか。

 北尾 この25年間、できたこともいろいろありましたが、できなかったことも非常に多いというのが実感です。ですから、まだまだやらないといけないという気持ちです。

 25年前は何が何でもインターネットを利用して、それと極めて親和性の高い金融事業で革命を起こそうというのが、私の強い決意、意志でした。

 それをある程度作り上げた今、では次に何をやるのかと。金融分野でやり残していることもありますが、非金融分野でやらなければならないことの方が、遥かに大きいのではないかと思うようになりました。その意味で、モノづくりにもう少し踏み込んで、いろいろなことをやっていこうと考えています。

 以前から、金融に加えて「人の流動化」に関わる事業をしようと考えていました。東京一極集中の問題に象徴されるように、地方の若者が都会に出ていく中で、地方に改めて人を引き付けるような産業を創ることで、都会から地方に人を再流入させるということができないかと思ったのです。

 ─ 地方でできることがあるだろうと考えたわけですね。

 北尾 ええ。「国際金融センター」を大阪につくろうと考えたのは、まさにそういうことでした。東京は国際金融センターを謳いながら、この20年間進んでいません。それならば大阪を、新時代の金融商品も手掛ける国際金融センターにしようと取り組んでいます。

 今回、大阪市は政府の「金融・資産運用特区」に選ばれましたが、規制緩和によって様々なチャレンジができるような風土づくりができるようになると思います。当社グループとしても、「大阪デジタルエクスチェンジ」(ODX)を大阪に設立し、株式のPTS市場に加え、国内初のセキュリティトークン(ST)の二次流通市場の運営を開始しています。

 ─ グループのSBI証券は日本で最大の口座数、1300万口座となっていますね。若い世代もかなり動き始めた?

 北尾 そう思います。以前、「老後2000万円問題」も話題となりましたが、今や2000万円ではやっていけないので3500万円は必要ではないかという話も出てきており、多くの人が将来に不安を持っています。

 日本では、2100年に65歳以上が人口に占める割合は約39%になります。これを若い人たちが支えられるかというと無理です。この人口減少と相まって、若者を中心に不安感が蔓延しています。

 今、政府は「資産所得倍増」を掲げて、新NISA(少額投資非課税制度)やiDeCo(個人型確定拠出年金)など制度を拡充していますが、これは貯蓄から投資へと流れを加速するよい取り組みであり、政府はこうした取り組みを通じて、国民の不安を少しでも和らげていかなければなりません。

 ─ 北尾さん自身は新しいものを生み出そうとし続けていますが、今の若い世代に対して思うことは?

 北尾 やはり非常に有能な人もいますし、斬新で、独創的な研究開発をしている会社もたくさんあり、「後生畏るべし」という部分はあると思います。

 SBIグループではそうした取り組みを、ベンチャー企業への投資や融資を通してサポートしています。日本は残念ながら、ベンチャー企業への投資はまだ不十分ですし、開業率も欧米に比べて低い。ですから若い人がどんどんチャレンジしていくことが出来る環境を整えることが大事です。もちろん中には廃業する人も出てくると思いますが、できるだけ開業数を増やし、廃業数を減らしていくようにサポートするのが、我々の使命の1つだと思っています。


「強い会社」ではなく「強くて尊敬される会社」に

【関連記事】SBIホールディングス・北尾吉孝氏が語る「『情の深い辣腕経営者』野村証券元社長・田淵義久さんを偲ぶ」

 ─ 新たなものを生み出す時には、既存勢力との戦いもあったと思います。どういう気持ちで乗り越えてきましたか。

 北尾 「わが人生闘魂なり」と思ってやってきました。世の中を変えるのは簡単ではないとわかっていましたから、戦って当たり前だと考え、特に意識せずに取り組んできました。

 変えるためのチャレンジをする過程では、いろいろな摩擦、軋轢が当然の如く生じます。これを全て排除していくためには、ものすごいエネルギーとコストがかかりますし、時には味方だと思っていた人に後ろから切りつけられるような経験をするなど、いろいろな障害を乗り越えながらやってきました。

 ですが振り返ってみると、正しいと思うことをやっている限りにおいては、いつも「天助」、つまり天の助けがありました。ですからチャレンジする人は、正しいことをやっているという確信を得たら、天助があるのだと思って突き進んでいくしかないのではないかと思っています。

 ─ 基本軸を大事に経営してきたと思いますが、改めて経営者のあるべき姿をどう考えていますか。

 北尾 一言で言えば、「世のため人のため」という志がなかったら、大した事業はできないと思います。「世のため人のため」でやっているから、公益が私益につながる。

 私は創業以来、「強い会社」ではなく「強くて尊敬される会社」を目指してきました。会社は社会があってこそ存在していますし、社会の重要な構成員です。他の構成員と利害の調整を図り、いかにバランスを取りながら経営していくかが、非常に大事なのです。

 このことが個人だけでなく「集団運(組織運)」を上げることにつながっていきます。自分1人では何もできません。ご縁をいただいた天に感謝し、良縁をいただいた全ての人に感謝していくということです。

 社内でも正しい生き方をして、コツコツ、謙虚に努力する人ほど成長しています。これを惜しんだり、途中でやめると成長が止まります。死ぬまで努力に終わりはないのだと思います。

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