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【倉本聰:富良野風話】普通は、ない

財界オンライン / 2021年7月1日 18時0分

このパンデミックの状況下でのオリンピック開催は、普通は、ない。

 政府コロナ分科会の尾身茂会長の発言は、僕には妙に新鮮にひびいた。

 一体オリンピックは何のためにやるのか。

 尾身さんのこの単純素朴な質問に、関係者は誠意ある回答を全く出していない。ましてや丸川珠代担当大臣の〝別の地平からの発言〟という言葉には、驚きを通り越して呆れる他なかった。オリンピックありきで事をすすめている人たちは、一体どういう地平に立っているのか。一般庶民の立っている地平と彼ら関係者の立っている地平にはどうしてこんな隔へだたりが生じてしまったのか。

 どうしてもやるという以上は、それなりの責任と覚悟がいる。尾身会長の言う責任と覚悟という言葉のこの重みは、何が何でもオリンピック開催という関係者の心に果たしてどの位響いているのだろうか。

 コロナに感染して死に到る人。医療崩壊の現実に直面して、入る病院もベッドもなく、呼吸ができずにのたうち廻って死んでいく人。それがもし自分の親だったら、つれ合いだったら、子供だったら、彼らは果たして〝別の地平〟などというのんびりした心境でいられるのだろうか。そうした状況を果たして彼らは本気で想像したことがあるのだろうか。

 普通だったら。このあたり前の「普通」という言葉の意味と重みを、この国を動かす偉い人々はどうもこのところ忘れてしまっているとしか思えない。

 普通だったら財務省は一人の権力者にへつらうために真実を改竄などしないだろう。

 その改竄を命じられて国民への背信を犯してしまい、良心の呵責に耐えかねて自裁してしまった公務員の告白書を、墨で塗りつぶすことなどしないだろう。

 普通なら過ちを犯して辞職した国会議員が、何もしないのに獲得していた5千万円近い休眠中の歳費を黙って受けとるなんてことはできないだろう。

 普通なら国のトップたる人間は、イエスかノーかで訊かれた質問に、イエスかノーかで答えるだろう。

 普通でないことが多すぎる。というか、普通なさるるべき常識がこの国ではもはや通用しなくなり、何が普通で何が普通でないか、その判断基準さえ判らなくなってしまっている。困る、を通り越してもはや情けない。

 美は利害関係があってはならない。

 アリストテレスが紀元前300年代に唱えた哲学を、僕は全ての行動の規範にしている。美とは思考であり、あらゆる行動のことであると、僕は勝手に拡大解釈している。

 利害関係は全ての「普通」を曇らせる。

 今や「普通」はおかしくなっている。そしてそのおかしくなった「普通」すら、普通でないことに侵蝕されている。

 哲学と倫理を忘却した政治家は、断固日本から追放すべきである。

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