【倉本聰:富良野風話】 鉄槌
財界オンライン / 2021年8月12日 7時0分
2021年7月の日本。
この情景は一体何なのだろう。
コロナが蔓延し、それがいつ自分を襲うかという恐怖を人々はひそかに心に抱き、でも自分だけにはそういうことは起こらないだろうという楽天的な正常性バイアスを働かせ、こっそり街へ出、こっそり酒を飲み、恐怖心をかくして大きく笑ってみせ、そのくせ連日発表される新規感染者の数字、重症者の数字、死者の数字にひとかたならぬ関心を持ち、グラフの山がおさまってくると、ホッとしながらもがっかりしている。パンデミックに脅えながら、どこかでスリルを楽しんでいる。
人々は正常を切望しながら、どこかで異常を期待している。何とも不可思議な毎日である。
そこへもってきてオリンピックが何の因果か重なってしまった。純粋無垢なアスリートたちの心情とは全く別の次元の人々が、商業主義や面子やら政治やら、わけの判らない混沌を生み出し、浅はかな評論家が何とかそこに筋道を樹てようと試みるが、あえなくことごとく失敗し、混沌は更なる混沌を生み、訳の判らなくなったカオスの中に全世界からウイルスたちが東京という街に集ってくる。
この人類の一大愚挙を、後世の歴史家は一体どのように総括するのだろうか。この騒ぎがもしも新たな犠牲者を一人でも出したなら、それをくわだて止めようとしなかった今回のオリンピックの発案者・推進者は国際裁判で裁かれるべきであろう。
大体フクシマの災害を引き合いに出して復興五輪と高々にうたった、あの大義名分はどこへ行ったのか。
全てが茶番であり、辻褄の合わない笑劇にしか見えない。
1964年の東京オリンピック。
あの時は事態が全くちがった。
日本はあの時まだ貧しかったし、戦後の混乱から立ち直ろうと必死にがんばっている時期だった。人々は飢えていたし、娯楽も少なかった。だからみんなが夢を求め、オリンピックがそれを充たしてくれた。
更にその前、力道山が活躍し、古橋廣之進と橋爪四郎がフジヤマのトビウオと世界を騒がしてくれたころ。スポーツは単なる娯楽以上に夢と希望を持たせてくれたのだ。
あの頃のオリンピック。更にはもっと昔、クーベルタンが近代オリンピックを樹ち上げた頃の確固たる理念と哲学に裏打ちされたあの時代のオリンピアンが、今の日本のオリンピック騒ぎを見たら、一体何というだろう。
それでもやると言い張るだろうか。
時の総理のアンダー・コントロール発言から始まって開会式作曲家の辞任にいたるまで、今回の大会、何やらコロナというウイルスに呪いをかけられているように思えてならない。驕り呆けた人類に対して、サムシンググレートが戒めの鉄槌を天からふり下ろしておられるのだろうか。
【倉本聰:富良野風話】捨てる
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