なぜ「松本モデル」はうまく機能しているのか?【日本病院会:相澤孝夫会長】
財界オンライン / 2021年9月3日 18時0分
あいざわ・たかお
1947年長野県松本市生まれ。73年東京慈恵会医科大学卒業後、信州大学医学部附属病院勤務(内科学第二講座)を経て、88年社会福祉法人恵清会理事長。94年特定医療法人慈泉会 相澤病院理事長・院長就任。2008年社会医療法人財団 慈泉会相澤病院理事長・院長。17年に院長を退任し、現在は社会医療法人財団慈泉会理事長、相澤病院最高経営責任者。同年日本病院会会長。
コロナ感染第5波が迫り来る中、医療のあるべき姿が問われている。全国約2500の病院が会員として加盟する日本病院会会長で長野県松本市にある相澤病院の最高経営責任者・相澤孝夫氏は「どこの地域範囲で、どれだけの医療体制をつくるのかをあらかじめ決めておくことが重要だ」と指摘する。そのためにも、データを揃え、それを活用して筋肉質な医療を実現する必要がある。長野県3市5村で形成する「松本モデル」から導き出される日本の医療体制再構築に向けた方策とは?
コロナを「二類感染症相当」に、感染症病床の準備が足りず
─ コロナ禍の収束の兆しが見えてきません。相澤さんは現状をどう分析していますか。
相澤 今回起こった新型コロナウイルス感染症という感染症が、爆発的な拡大をするという状況は、日本にとってこれまで経験のなかったことであり、こういった感染症に対する対応策が全く準備できていなかったのは事実だと思います。
これまでは、エボラ出血熱などの感染症が発生しても、日本ではそこまで急拡大することはなく、確実に隔離しないと感染が次第に広がっていくというものに対しての感染症対策は「感染症病床」という感染症の患者さんや感染症の所見がある患者さんを入院させるための病床を指定することによって、感染拡大を抑えてきました。
ところが今回の新型コロナのように、こんなに患者さんが多くなるとは全く想定していませんでした。
これまでの感染症対策は厳重な隔離が中心でした。そのため、隔離することは保健所の仕事であり、保健所が患者さんを隔離するために、保健所が指定した施設に入所して欲しいと強制的に執行できることが感染症法上で決められていたのです。
ただ、これは少人数を扱う分には有効なのですが、一挙に1日当たり全国で2000人とか3000人という患者さんが出るということに対しては、全く想定していないので、そこに完全な食い違いが起こりました。
─ 全く準備をしていなかったわけではないけれども、準備していた想定が現実とは全く相容れなくなってしまったと。
相澤 ええ。まさに想定外ということです。そこで国が示したのはコロナを感染症法では新型インフルエンザと同等の措置が必要な「二類感染症相当」の指定感染症と分類しました。二類感染症であれば、患者さんはしっかりと感染症病床に隔離しなければならないと決められています。
ところが、ここで今度は感染症の患者さんを受け入れる病床がないという問題が起こったのです。
感染症法には感染症が起こったときには病床を準備しなければならないと記載されています。準備を行うのは都道府県です。そこで都道府県が何をやったかというと、個別の病院に対して「あなたの病院では何床の感染症病床が準備できますか? 」といった要請でした。これはどの都道府県でも同じ対応だったのではないでしょうか。
─ 都道府県の要請を受けて各病院が対応したわけですね。
相澤 そうですね。ところが、この要請には、どういう地域範囲で住民を感染症の拡大から守っていくかという概念が全くありませんでした。
ですから、個別の病院は都道府県の要請に対して「うちの病院で10床を用意しましょう」「うちの病院は2床しか用意できません」と個別で対応してきたわけです。
しかも、日常の医療に使っている「一般病床」を感染症患者さんのために使えるように変更する必要が生じました。一般病床を感染症病床に使うための準備をしていたかというと、これまでは行っていなかったというのが現実です。
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なぜ「松本モデル」が危機時に機能したのか?
─ 感染症患者を受け入れるための対応が各病院でできていなかったと。
相澤 もともと一般病床を感染症用病床に転用する計画はなかったので仕方のない面もあったと思います。しかも、次に起こったのが病原体によって汚染されている汚染区域や汚染されていない清潔区域などに区分けするゾーニングといった感染症対策です。
各病棟ごと、あるいは病棟内でゾーンを分けなければなりませんし、場合によっては、病室内を陰圧にする陰圧装置が必要になります。
感染症病床を準備するといっても、そのための様々な対応措置をしなければならず、すぐに感染症病床を準備できるというわけにもいかず、そういう対策が可能な病院しかできなかったと。そもそも準備がなかったのですからね。それで突然、感染症病床を準備してくれと言われても困るのは当然です。
─ そこでベッドが足りないという課題が出てきました。
相澤 はい。すると今度は大阪府では知事の権限で半ば強制的にベッドを準備するよう要請が出ました。東京都でも都立病院の1つを感染症病院に指定するといった事例も出てきました。
ただ、それができるのは都道府県知事自身がトップで指示命令が可能な都道府県立病院だけでした。これらの病院は知事によるトップダウンで実行できたわけです。
他にも、都道府県知事の権限が大きく影響する赤十字病院もそうだと思います。赤十字病院の中でも大きな病院に関しては、本部が管轄している病院もあると思いますが、都道府県知事の権限が影響する病院もありますからね。
あるいは、市町村立の病院もそうです。地方自治法では市町村立病院は各都道府県の権限が及びますので、市町村立病院には都道府県知事の命令が及びやすかったと思います。
ところが、こういった病院以外の病院には、半ば強制的な命令ができないという現実がありましたので、なかなか準備が進まなかった。
よく我々の「相澤病院」が含まれる「松本モデル」が、どうしてうまく機能しているのかと聞かれることがあるのですが、我々は今回のような感染症が拡大する前から、関係機関が集まり、皆で話し合って「ここの地域は、救急医療や災害医療などについて、こういう医療体制にしていこう」とあらかじめ話し合って決めていました。
要するに、準備をしておいたわけです。そして、今回のコロナの感染が広がってきたときも、「それでは話し合いで決めていた通り、この病院は感染症病床を10床から30床にしましょう」といった具合に、感染症病床を広げることによって感染症拡大に応じて患者さんを吸収することができました。
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感染経路の遮断よりも感染源の隔離が重要
─ 重症化したら大学病院に患者さんを送るといったことも含めてですね。
相澤 そうです。重症度というのは、入院が必要な中等症の人と重症の人それともう1つは軽症な人になります。軽症な人には宿泊施設に行ってもらうという対応や症状のない人には自宅か宿泊施設で待機してもらうという対応があります。松本モデルでは、こういったことに対しても事前に準備していたために、患者さんを全部吸収することができたのです。
ただし、混乱なくできたのは、人口10万人当たり、どれくらいの感染症患者さんがいたかを調べると、全国平均の約半分くらいになっていたからです。最もひどかったのは1月中旬くらいでしょうか。瞬間風速的に患者さんが増えたことがありましたが、1週間の平均で見れば、大体全国平均の半分くらいのところで留まっています。
─ 感染者数が全国平均の半分で抑えられていることを見ても、松本モデルが効果を発揮していると言えそうですね。
相澤 ええ。松本地域では7月上旬の数日間、感染者数がゼロという期間もありましたからね。ここで思うのは、やはり感染拡大を抑え込むためには、皆さんの協力は欠かせないということです。
私も地元のテレビ局にコメントを求められたのですが、そこで申し上げたことは「まずは感染症患者さんを増えないように抑えて下さい」ということでした。感染者を抑えれば医療崩壊は起こりません。
「松本モデル」の中で中核的な役割を果たしている「相澤病院」
しかしながら、そういったお願いを聞かずに外で飲み歩いてウイルスをどんどん広げてしまった結果、医療崩壊が起こってしまう。医療関係者として思うのは、感染症患者が爆発的に増えないようなコントロールをしなければ皆が困ってしまうということです。
医療現場も少しずつ感染者が増えていく分には対応可能ですが、第4波のときのように、急激かつ爆発的な拡大が起こると、それについていけず、医療崩壊につながってしまうのです。
こういったことを鑑みると、おそらく感染者がそんなに増えていないうちは、保健所によるクラスター対策で対応できると思います。ある所で感染者が見つかると、その回りを重点的に検査するわけです。感染者が出現した周辺を徹底的に調べて、感染が疑われる人を全員隔離すると。それで感染源を減らせます。
ところが、1人の人が5人に感染させた場合には、その5人を早めに隔離しなければなりません。感染した5人が次の5人にうつしてしまう可能性があるからです。
今は移動を制限する、飲み食いを制限するといった感染経路を遮断しようとしているわけですが、それだけでは不十分でしょうね。感染の元になる人を狙い打ちして、できるだけ早く隔離すると。
そして、感染が疑われるエリアの人々に対して徹底的にPCR検査を含めた検査を行い、感染の疑いがある人をどんどん隔離していく。おそらくそういう人は症状も深刻ではありませんから、入院しなくても済みます。そうすると、医療崩壊からは守られると思います。
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他のエリアでも松本モデルは展開可能
─ どれだけ組織的かつ臨機応変に対応できるかが試されますね。
相澤 そうです。7月上旬の頃の長野県では感染者が少なかったので、病床数を減らす傾向になります。感染症病床を用意しておいても仕方がないからです。
しかし、今後、患者さんが増えてきたら、その場合には何床にまで増やすという計画ができています。フェーズ2の準備に入り、さらに患者さんの数が増えたらフェーズ3の準備に入るという形で病床数を増やせる環境を整えているのです。最初からそういう計画ができあがっていますので、減らす際にもフェーズに応じて減らせるのです。
─ 松本モデルを他でも展開しようと思えばできますか。
相澤 もちろん、やろうと思えばできると思います。その場合に大切になってくるのは、どの地域範囲で住民を守るかという概念です。
長野県の場合、あらかじめ県によって4つの大きな地域に分かれていました。その地域で何とかしようというスタートラインがあったのです。地域を分ける場合、人口を1つの目安にしています。松本モデルの場合は大北地区と木曽地区を含めた人口約50万人をカバーしなければなりませんでしたので、その数を念頭に置いた医療体制を構築しました。
東京都も、例えば港区や千代田区、中央区といった形で区の単位で何とかしようと思えば、その区域で入院患者さんをどのように受け入れるかを考えることになるでしょう。ですから、どこの地域を守るかという視点に立って考えるかが大切なことになると思います。
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