仁義なき日米「自動車」戦争 アメリカ車が世界で売れない理由

ZUU online / 2017年7月17日 16時40分

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仁義なき日米「自動車」戦争 アメリカ車が世界で売れない理由(画像=Webサイトより) (ZUU online)

戦後、自動車業界は、すぐに大発展したわけではない。焼け野原になった日本では、あらゆる物資が不足していた。当然、鉄なども欠乏し、自動車をつくったり、買ったりする余裕はなかった。

日本の自動車メーカーは朝鮮戦争特需などでようやく復興の兆しを見せ、戦後10年目の昭和30(1955)年には1万3354台を生産した。これは当時の世界11位である。1位はアメリカで80万台近くもつくっている。日米の自動車メーカーの間には、このとき60倍近くの差があったのだ。

(本記事は、大村 大次郎氏著『お金の流れでわかる日米関係 元国税調査官が「抜き差しならない関係」にガサ入れ』KADOKAWA (2017/6/1)の中から一部を抜粋・編集しています)

■日本自動車業界復活の兆し―アメリカへの輸出2台

しかし、その後、日本の自動車メーカーは、急激な発展をする。昭和45(1970)年には317万9000台となっており、15年間で実に240倍に膨れ上がっているのだ。高度成長期により、日本人の所得が増え、自動車を購入できるようになったのである。

昭和30(1955)年には、わずか2台ではあるが、アメリカへの輸出が始まり、昭和42(1967)年には、西ドイツを抜き、世界2位の自動車生産国になっている(もちろん、1位はアメリカ)。

■なぜオイル・ショックが日本車の追い風になったか

このように急成長した日本の自動車業界だが、アメリカは長く世界最大の自動車大国に君臨しており、すぐにアメリカの自動車産業を脅かすまでになったわけではなかった。

日本の生産台数が増えたといっても、まだアメリカに追いつくほどではなかったし、日本の輸出台数も、アメリカのメーカーを慌てさせるほどのものではなかった。

日本車が、本格的にアメリカ市場を席巻するのは、1970年代以降である。1970年代に入ると、アメリカ経済に翳りが見えはじめる。また、1972年にはオイル・ショックが起きる。それまでアメリカではガソリンが"水"のように安かったが、このオイル・ショックにより、ガソリンの価格が大幅に値上がりした。

アメリカの自動車市場は、これまで大型車、高級車志向だったが、小型の低価格車を求めるようになる。燃費のいい小型車が求められるようになったのだ。

ところが、アメリカの自動車メーカーは小型車の分野に非常に弱かった。それまで、アメリカの自動車市場では、大型車が主流であり、またメーカーとしては大型車のほうが利益率が良いこともあり、小型車の開発が遅れていたのである。

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