特集 2017年3月26日更新

異名を持つ歴代スーパープレーヤー(ヨーロッパ編)

オランダ出身の伝説のサッカー選手、ヨハン・クライフの死去から1年(命日 3月24日)。彼はその卓越したボールテクニックで相手のタックルを華麗に飛び越えて交わしていくプレースタイルから、「空飛ぶオランダ人」という異名で呼ばれていました。サッカーの世界では観衆を魅了し歓喜に沸かせる選手は、賞賛の意味を込めてやがて異名で呼ばれるようになります。今回はその中でもヨーロッパ出身の選手たちをご紹介します。

異名を持つヨーロッパの歴代スーパープレーヤー

ヨハン・クライフ

空飛ぶオランダ人(フライング・ダッチマン)

相手のタックルを柔軟なボールタッチやフェイントで飛び越えたプレースタイルに由来。

オランダのアヤックスではUEFAチャンピオンズカップ3連覇、オランダ代表ではFIFAワールドカップ準優勝に導いた実績などからバロンドール(欧州年間最優秀選手賞)を3度受賞。フランツ・ベッケンバウアー(ドイツ)と並ぶ1970年代を代表する選手であり、「サッカーの王様」ペレ(ブラジル)や「神の子」ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)と並ぶ20世紀を代表する選手と評されている。

現在では一般的に使われるフェイント「クライフターン」の生みの親としても知られる。

ミシェル・プラティニ

将軍

イタリアの名門ユヴェントスやフランス代表で司令塔として華麗な攻撃を展開したことから、イタリアで「Le Roi」(フランス語で「王」)と称えられた。これが日本では意訳されて「将軍」と呼ばれている。

セリエAで3年連続得点王に輝くなどユヴェントスで大活躍したほか、フランス代表では全盛期で迎えた1984年のEURO(UEFA欧州選手権)で毎試合得点の9ゴールと大車輪の活躍をみせ、自国開催のフランスを初の欧州チャンピオンに導き、自身はダントツの得点王に輝いた。これらの活躍により3年連続でバロンドールにも選ばれている。現役引退後はフランス代表監督、UEFA会長、FIFA副会長などを歴任したが、FIFAの汚職事件に関与していたとされ、かつての名声に影を落としている。

「将軍」といえば…

プラティニと同じフランス人で、これまた同じくユヴェントスで活躍した現レアル・マドリードの監督、ジネディーヌ・ジダンは“プラティニ2世”という意味で「新将軍」と呼ばれたことも。1990年代後半から2000年代前半にかけて「世界最高のサッカー選手」といわれたジダンだけに、「ジダン2世」や「〇〇(国名など)のジダン」と呼ばれる選手も数多い。
なお、ジダンの長男・エンツォは昨年末にレアルのトップチームデビューを果たして初ゴールも決めるなど、リアル「ジダン2世」として期待を集めている。

フランツ・ベッケンバウアー

皇帝

由来は諸説あり、背筋を伸ばした姿勢での華麗なプレーと味方選手を操る抜群の統率力から呼ばれるようになったとか、オーストリア皇帝フランツ1世(神聖ローマ皇帝フランツ2世)とファーストネームが同じであるからとも。

基本的には最後列で守り、攻撃時には最前線まで攻め上がって攻撃に参加するスイーパー「リベロ」の概念を世界に広めたドイツ人選手。バイエルン・ミュンヘンでUEFAチャンピオンズカップ3連覇やブンデスリーガ連覇など栄光の時代を築き、バロンドールを2回受賞している。代表では、1972年のEUROで大会初優勝、自国開催の74年ワールドカップでも優勝。90年のワールドカップ・イタリア大会では監督として西ドイツを優勝に導き、選手と監督してワールドカップ制覇を経験している。

「皇帝」といえば…

サッカー界で単に「皇帝」といえばベッケンバウアーのことを指すが、ほかにも「皇帝」と呼ばれる選手は多い。
まず、同じドイツ人のミヒャエル・バラックはドイツ代表などで中盤を支配し、ポジションは異なるものの、ベッケンバウアーの後継者という意味で「小皇帝」や「皇帝2世」と呼ばれていた。2002年のワールドカップでグループリーグ同組の日本の脅威になるのではといわれていたロシアの背番号10、アレクサンドル・モストヴォイは「ロシアの皇帝」。「バティゴール」で知られるアルゼンチンのガブリエル・バティストゥータも「皇帝」と呼ばれていたという話も。

長谷部もいずれ「日本の皇帝」に…?

まだ異名というレベルには達していないものの、日本代表の長谷部誠が昨年から「日本のベッケンバウアー」と形容されることが多くなってきている。

今季は本職のボランチに加え、3バックの中央でリベロとしての新たな役割を担い、“日本のベッケンバウアー”と評されるなど、リーグ戦全試合に出場し、上位に躍進するチームの立役者となっている。

マルコ・ファン・バステン

ユトレヒトの白鳥

針の穴を通すようなシュートを放つなど、優雅なプレーが白鳥のようだったことから。

「オランダ史上最高のFW」、さらには「世界史上最高のFW」とも呼ばれる名選手。オランダのアヤックスで4年連続得点王に輝いたあとセリエAのミランへ移籍し、UEFAチャンピオンズカップ連覇など、ミラン黄金期の中心選手として活躍した。バロンドールも3度受賞するなど華やかなキャリアを築いた一方で、ケガに泣かされた悲運の選手としても有名。
下の動画のように、いまだにミランから特集動画で誕生日を祝ってもらうほど、所属チーム、そしてファンにも愛されていた選手だけに、「聖マルコ」「孤高のストライカー」「貴族」など数々の異名を持つ。

オランダトリオ

同じオランダ人で、ミランやオランダ代表で同時代に活躍したルート・フリット、フランク・ライカールトを含めた3人は「オランダトリオ」や「チューリップトリオ」と呼ばれた。
また、フリットにはその肌の色から「黒いチューリップ」「黒いファルカン」「黒い彗星」、ライカールトには「黒い白鳥」といった異名があった。

ロベルト・バッジョ

イタリアの至宝

柔らかいトラップやパスなどでイタリア国内のみならず、世界のサッカーファンを魅了したプレースタイルから。ちなみに「至宝」とは「非常に大切な宝」の意。

フィオレンティーナ、ユヴェントス、ミラン、インテルなどイタリア・セリエAの名門クラブを渡り歩き、1993年にバロンドールとFIFA最優秀選手賞を獲得。主にセカンドストライカーやトップ下としてプレーし、テクニック、得点能力、パス能力に優れていた。
創造性のあるプレーで観客を魅了する選手を指す「ファンタジスタ」の象徴的な存在とされ、「ファンタジスタ」自体も彼の異名といえる。特徴的な髪型から「偉大(神聖)なるポニーテール」とも呼ばれていた。94年ワールドカップ・アメリカ大会決勝のPK失敗のシーンが有名で、華麗な経歴に反してイタリア代表としてはタイトルに縁がなかったことから「無冠の帝王」の異名も。

「至宝」といえば…

「至宝」を異名に持つ選手も多い。ユヴェントスやイタリア代表でバッジョの後継者的存在となったアレッサンドロ・デル・ピエロも、バッジョと全く同じ「イタリアの至宝」と呼ばれた。長年、レアル・マドリードやスペイン代表のエースとして活躍したラウル・ゴンサレスは「スペインの至宝」、スペインの2大ビッグクラブ、バルセロナとレアル・マドリードの双方でプレーした天才ドリブラー、ルイス・フィーゴは「ポルトガルの至宝」とされた。
ちなみに、ロベルト・バッジョと同時代に活躍し、ともにイタリア代表でもプレーしたディノ・バッジョは「もう一人のバッジョ」と呼ばれていた。

デニス・ベルカンプ

アイスマン

ゴール前での冷静沈着かつ正確無比なプレースタイルから。映画「トップガン」に出てくる「アイスマン」に顔が似ていることも由来。

クラブでは、オランダのアヤックス時代に3年連続で得点王に輝き、プレミアリーグのアーセナルでは目立った個人タイトルはなかったものの、チームの中心選手としてリーグの制覇3回に貢献。オランダ代表でも数多くのゴールを挙げている。また、高い決定力のほかに、パスセンス、チャンスメイク能力にも優れており、ゴール前での恐ろしいほどに冷静な判断から数多くのゴールを演出した。
特筆すべきは浮き球のトラップ技術で、遥か後方からのロングパスに対してもボールの勢いを吸収し、まるで“とりもち”のようにボールを足に吸いつかせるようなトラップからゴールを決めるなど、いまだに世界中のサッカーファンから語り継がれているゴールは数知れない。

飛ばないオランダ人

ベルカンプは「アイスマン」のほかにも、そのプレイスタイルや外見から「ターミネーター」「金髪の悪魔」「ブロンドの鷹」といった異名を持つ。また、極度の飛行機恐怖症として知られており、同じオランダ人の先輩・クライフの「フライング・ダッチマン」をもじって「アン(ノン)フライング・ダッチマン(飛ばないオランダ人)」とも呼ばれていた。
ちなみに、ファーストネームの「デニス」は、マンチェスター・ユナイテッドで活躍したスコットランドの名選手、デニス・ローにあやかって名付けられたという。

ゲルト・ミュラー

爆撃機

並外れた得点感覚でどんな体勢からでもシュートを放ち、誰よりも多く敵のゴールを“撃破”したことから。

1970年にバロンドールを受賞した、70年代のドイツを代表するストライカー。ワールドカップでは70年大会で10得点、74年大会で4得点を挙げ、ワールドカップ通算14点は、2006年大会でブラジルの「怪物」ロナウドに破られるまで32年もの間、最多得点記録だった。
ドリブルやパス、ヘディングなどの技術が特に優れていたわけでもなく、スピードがあるということでもなかったが、生まれながらの得点感覚が抜群で、泥臭くゴールを奪う根っからの点取り屋。記憶に残るような華やかなゴールは少ないのも特徴だったが、代表では62試合で68ゴールと1試合あたり1点を超える驚異的な得点率を誇った。ブンデスリーガでの365ゴールも、いまだにダントツの歴代最多記録として輝いている。

「爆撃機」といえば…

圧倒的な火力でゴールを襲うイメージを持つ「爆撃機」も、複数の選手が冠する異名のひとつ。「高性能爆撃機」で知られるのは、バロンドールを受賞した稀代のストライカーながら、全盛期がフランスの低迷期だったため代表では成績を残せなかった不遇の男、ジャン=ピエール・パパン。「東欧(バルカン)のマラドーナ」という異名が有名な、ルーマニアのサッカー史を代表するゲームメーカー、ゲオルゲ・ハジは「黒海の爆撃機」という異名も。
また、レアル・マドリードやインテルで活躍し、1998年のワールドカップではチリ代表の同僚、「エル・マタドール(闘牛士)」マルセロ・サラスとの「サ・サコンビ」で同国をベスト16へと導いた「ヘリコプター」イバン・サモラーノも「爆撃機」と呼ばれていた。


今回はいずれもヨーロッパのサッカー界でトップクラスのレジェンドとされている人たちをご紹介しました。人々を魅了したピッチ上でのプレーと人徳、その輝かしい実績から付けられた異名は、まさに彼らを表現するにふさわしい言葉でした。チームやファンから愛された彼らの伝説は語り継がれ、その異名とともに色褪せることはありません。