特集2017年4月15日更新

異名を持つ歴代スーパープレーヤー(南米編)

先月、オランダの名サッカー選手、ヨハン・クライフの命日に合わせて、「異名を持つ歴代スーパープレーヤー」の中からヨーロッパ出身の選手たちを紹介しました。今回はその南米編です。

“王様”と“神の子”…2人のレジェンド

先月特集した「ヨーロッパ編」同様、南米にも数多くの異名を持つスーパープレーヤーがいますが、その中でも頭ひとつ抜け出している“レジェンドプレイヤー”2名をまず紹介しましょう。

ペレ

王様

公式記録として歴代世界最高となる1281得点を記録し、ブラジル代表ではエースとして母国を3度のFIFAワールドカップ優勝に導くなど、その圧倒的な実績から。

「20世紀最高のサッカー選手」「サッカー史上最高の選手」とも言われ、サッカー界を離れたところでも「20世紀を代表するスポーツ選手」「20世紀における最も影響力のあった人物100人」などに選ばれている名選手。
サッカー選手としてあらゆる能力に秀でており、瞬発力、跳躍力、持久力、反射神経などがいずれもトップレベルで、ドリブル、パス、ヘディング、シュートのいずれも高い技術を持っていた。高い反射神経を買われて所属チームのサントスFCのみならず、代表チームでもゴールキーパーを務めたことがあるというエピソードからも、その身体能力の高さがうかがえるだろう。さらに創造力も豊かで、様々な形のゴールを決めるのみならず、特にキャリア後半ではゲームメーカーとしても人々を魅了した。

偉大であるがゆえに…

アメリカのレーガン元大統領が「自己紹介の必要がない」と評したように、誰もが知っている偉大なサッカー選手、ペレ。偉大であるがゆえに、「〇〇(国名など)のペレ」という異名がつけられる選手は枚挙にいとまがない。
有名なところでは、同じブラジル人で日本との関わりが深いジーコの「白いペレ」がある。なお、ジーコは「サッカーの神様」とも呼ばれるが、これは日本だけの呼び名。逆にペレが「神様」と呼ばれることもあり、混乱したことがあるオールドファンもいるのでは?

また「白いペレ」は、ペレと同時期に活躍したものの試合中に眼を負傷する不運で26歳の若さで現役を引退したブラジル人FWトスタンの異名でもあり、マイナーなところではイングランドのウェイン・ルーニーも「白いペレ」と呼ばれる。
このほかの有名どころでは、サウジアラビア史上最高のストライカーとされるマジェド・アブドゥラーの「砂漠(アラブ)のペレ」、5年連続でFIFA最優秀選手賞に輝き、世界で最も有名な女子サッカー選手とされるマルタは、ペレ本人から「スカートをはいたペレ」と認められている。
「ペレ2世」としては、ブラジル人のロビーニョやネイマール、ガーナ出身で「神童」とも呼ばれた早熟の天才、フレディー・アドゥーが有名。

ディエゴ・マラドーナ

神の子

「神業」とも呼べる卓越したテクニックや、1986年ワールドカップで母国アルゼンチンを優勝に導き、同国国民を熱狂させたことから。
なお、マラドーナを崇拝する「マラドーナ教」と呼ばれる宗教まで存在するとか。

ペレと並び称される「20世紀最高のサッカー選手」。身長165cm程度でスポーツ選手としては小柄ながら、強靭なボディーバランスと重心の低さを活かしたドリブルは、全盛期にはファールでしか止められないほどのキレと速さを持っていた。また、パスセンスや得点能力にも秀でており、ゲームメークからフィニッシュまで、あらゆる場面で活躍した。
母国を優勝に導いた1986年ワールドカップ準々決勝のイングランド戦で生まれた2つの伝説、「神の手」と「5人抜き」はサッカー史で最も有名なシーンと言え、「神の手(ゴッドハンド)」もマラドーナの異名のひとつとなっている。全盛期にセリエAで降格争いをしていた弱小チームのSSCナポリに加入し、リーグ制覇2回などの黄金期を作り上げたことから「ナポリの王様」の異名も。
このほか、「天才」「小さなペレ」「エル・ピーベ・デ・オロ(ゴールデンボーイ、黄金の子供)」など多くの異名を持つ。

“本家”の重圧は大きい?悲運の「マラドーナ2世」たち

これまたペレと同じように、「〇〇のマラドーナ」の異名を持つ選手や「マラドーナ2世」と呼ばれる選手が数多く存在。特に「2世」が多く、若くして頭角を現したアルゼンチンの選手は、もれなくそう呼ばれてしまう風潮すらある。
例を挙げれば、現在における世界最高のサッカー選手の一人、リオネル・メッシをはじめ、1998年ワールドカップで日本とも対戦した天才ドリブラー、アリエル・オルテガ、良くも悪くもボールをキープしてから決定的なパスを出すスタイルで評価が分かれたフアン・ロマン・リケルメ、そのリケルメらとポジションが重なって活躍の場が少なかったマルセロ・ガジャルド、マラドーナ本人に「数々いた私の2世の中でも金を払って見たいのはアイマールだけ」と言わしめた才能を持ちながら度重なるケガに悩まされたパブロ・アイマール、昨年末に世界最高年俸で中国スーパーリーグにやってきたカルロス・テベスといった面々。このほかにもアンドレス・ダレッサンドロ、ハビエル・サビオラ、セルヒオ・アグエロなど、少なくとも10人はいるとされている。

「本家を超えた」とすら言われるメッシを除いては、多くが「スターになり損ねた」的な評価を受けているものの、そもそも比較対象である“本家”がレジェンドクラスにビッグすぎる、「“10番”は不要」とされる時代に登場してしまった、といった悲運が重なった面もあり、いずれも人々の心に残る名選手であることは間違いない。
なお、一部で「マラドーナ2世」と言われたマラドーナの実弟、ウーゴ・マラドーナは一時期Jリーグでも活躍している。

そのほかの「マラドーナ」

「2世」以外の「マラドーナ」としては、「東欧(バルカン)のマラドーナ」や「カルパチアのマラドーナ」と呼ばれたのが、マラドーナと同じ左利きで左足から数多くのチャンスや得点を演出してきたルーマニアの英雄、ゲオルゲ・ハジ。なお、Jリーグの名古屋グランパスエイトで選手、そして監督として好成績を残し、日本でもおなじみの「ピクシー(妖精)」ことドラガン・ストイコビッチも「東欧のマラドーナ」と呼ばれた時期もあったとか。
1994年ワールドカップの対ベルギー戦で約60メートル独走の5人抜きゴールを決めたサウジアラビアのサイード・オワイランは「砂漠のマラドーナ」。このゴールは一部ファンからは「マラドーナの“5人抜き”以上のスーパーゴール」と言われているが、さほど有名ではないのはアジア人であることのほかに“本家”の存在が偉大だからか?

そのほかのマラドーナ関連の異名としては「マラドーナの相棒」がある。初代「マラドーナの相棒」は、1986年ワールドカップ決勝戦でアルゼンチンの優勝を決める3点目を挙げ、同国が準優勝した90年ワールドカップでも全試合に出場したホルヘ・ブルチャガ。二代目「マラドーナの相棒」は、トレードマークの長い金髪をなびかせるスピードに乗ったドリブルが特徴で「風の申し子」の異名も持つ快足ウインガー、クラウディオ・カニーヒア。カニーヒアはマラドーナと仲が良く、また代表として数多くの大会で2トップを組んで高い連携を見せたため、「マラドーナの恋人」とも呼ばれた。ジョークでマラドーナとキスをし、当時のマラドーナ夫人が激怒したというエピソードも。

異名を持つ南米の歴代スーパープレーヤー

ロナウド

怪物

サッカー史上最高のスピードとも言われるプレーが超常現象的であることから、世界的にはポルトガル語で「天変地異」「超常現象」といった意味を表す「fenômeno(フェノーメノ)」と呼ばれている。「怪物」は日本独自の意訳とされる。

1990年代から00年代にかけての世界最高のストライカー。「超常現象」の異名が示す通り、規格外のスピードとテクニックで得点を重ね、ブラジル代表での通算62得点はペレに次ぐ2位、ワールドカップ通算15得点は2014年にドイツのミロスラフ・クローゼに抜かれるまで歴代1位だった。代表では4度のワールドカップを経験し、98年フランス大会で準優勝、02年日韓大会では優勝に貢献した。
クラブではバルセロナ、インテル、レアル・マドリード、ミランといったビッグクラブでプレーし、各クラブでタイトルを獲得。個人としてもFIFA最優秀選手賞を3度、バロンドールを2度受賞している。
一方で何度となく大きなケガに泣かされた選手でもある。ケガの原因は自身の規格外のスピード、地面を蹴るパワーに肉体が耐え切れなくなったからとも言われ、そこからもロナウドの“規格外さ”が伝わるだろう。

ロナウドが絡んだ攻撃陣の異名

ブラジル代表でロナウドが絡んだ攻撃陣にも通称がつけられているパターンが多い。
代表的なのは2006年頃の「カルテット・マジコ(魔法の4人組)」。これはロナウドと、「ブラジルの真珠」ロナウジーニョ、「フェノーメノ・ドゥエ(第2の怪物)」「インペラトーレ(皇帝)」アドリアーノ、「貴公子」カカの4人組を指す言葉。これに「ペレ2世」のほか「ドリブルキング」「フェイント百科事典」と呼ばれたロビーニョを加えた5人組は「クインテット・マジコ」と呼ばれた。
そもそもこういった呼び方が始まったのは、1982年ワールドカップのブラジル代表でサッカー史上屈指の中盤を形成した、トニーニョ・セレーゾ、「第8代ローマ王」「ローマの鷹」「貴公子」パウロ・ロベルト・ファルカン、「ドトール(医師・博士)」ソクラテス、ジーコの4人組を指す「黄金のカルテット」からと言われている。
なお、「カルテット・マジコ」以外のロナウド絡みの通称といえば、「レフティーモンスター」「左足の魔術師」で知られるリバウドとロナウジーニョとの02年ワールドカップにおける3人組「3R」や、97年頃の「悪童」ロマーリオとの「Ro-Roコンビ」などがある。

カルロス・バルデラマ

コロンビアの獅子王

金髪のアフロヘアーという奇抜な風貌と中盤に君臨するプレースタイルから。

南米年間最優秀選手賞を2回獲得し、「FIFA 100(偉大なサッカー選手100人)」にコロンビアから唯一選出された個性派MF。ユニークなヘアースタイルとともに、がに股でスピードのないドリブルをしてインサイドキックで決定的なスルーパスを繰り出すという独特のプレースタイルで人気を博した。
コロンビア代表では1990年イタリア大会において同国を28年ぶりのワールドカップに導き、それから3回連続で本大会に出場するなど、コロンビアの黄金期を牽引した。
コロンビアのレジェンド的な存在であり、「エル・ピーベ(赤ん坊)」や「鬼才」といった異名のほか、日本限定の「ライオン丸」という異名も持つ。

コロンビアの黄金期

バルデラマの愛称「エル・ピーベ」に由来して「エル・ヌエボ・ピーベ(新しいピーベ)」、つまり「新しいバルデラマ」と呼ばれているハメス・ロドリゲスをはじめ、「エル・メドゥーサ」フアン・クアドラード、「コロンビアの虎」ラダメル・ファルカオといったスターを擁し、4月6日に発表された最新のFIFAランキングでも5位と、2012年あたりから黄金期を迎えているコロンビア代表。
その前の黄金期はバルデラマを中心に、「コロンビアの黒豹」ファウスティーノ・アスプリージャやフレディ・リンコンといったタレントがそろった1990年代、特に94年のワールドカップアメリカ大会がピークと言えるだろう。このアメリカ大会の予選では、敵地でマラドーナのアルゼンチンを5-0で撃破する大勝利を挙げ、この試合はコロンビア代表史上ベストゲームと言われている。しかし、優勝候補の一角として迎えた本大会ではまさかのグループリーグ敗退。“エスコバルの悲劇”もあり、現在の黄金期を迎えるまで長い低迷期に突入していた。

レネ・イギータ

狂人

ゴールキーパーでありながらドリブルで敵陣まで攻め上がるといったユニークなプレースタイルから。

上で紹介したバルデラマと同時期に活躍し、コロンビア代表の黄金期を支えたゴールキーパー。モジャモジャのロングヘアーに髭をたくわえた風貌も特徴的ながら、「狂人(エル・ロッコ)」の異名通りのクレイジー(?)なプレーでコロンビアのみならず、世界のサッカーファンを熱狂させた。
中でも最も有名なシーンと言えるのが、1995年9月6日のコロンビア対イングランド戦で見せたプレー。ループシュートをジャンプしながらえび反りしてヒールキックでクリアするというプレーで、自ら「スコーピオン」と名付けたと言われている。詳しくは上の動画で確認してほしいが、この動画はイングランドサッカー協会が「スコーピオン」披露からちょうど20周年を記念してアップしたモノ。この「わざわざやる必要がない」プレーからもイギータの「狂人」っぷりがわかるだろう。
なお、イギータも自身のTwitterで20周年を記念した動画をアップしている。

ちなみに、コロンビアが黄金期で迎えた94年ワールドカップにイギータは出場していない。これは、前年の93年に冤罪ながら逮捕されて7カ月も獄中生活を送っていたため。2004年にはコカイン反応で逮捕されるなど、私生活でもクレイジーな経歴を持つ。

現代型ゴールキーパーの先駆け?

バックラインを高く保ち、その最終ラインとゴールキーパーとの間に生まれたスペースをカバーすべく、ペナルティエリアの外へ積極的に飛び出して守備をするというキーパーは、現在「世界最高のゴールキーパー」との呼び声もあるドイツ代表のマヌエル・ノイアーをはじめとして現代サッカーではあまり珍しくない。イギータもペナルティエリアから飛び出すプレーは日常茶飯事で、「21世紀のキーパー」とも言われた。
しかし、上の動画を見ればわかる通り、イギータの飛び出しは「最終ラインとのスペースをカバーする」という類のものではなく、自らキープしてドリブルで攻め上がり、フィールドプレイヤーとして攻撃に参加するという異質なモノ。ノイアーあたりのプレーとは本質が異なり、「現代型キーパーの先駆け」とは言えなさそうだ。
むしろフリーキックやペナルティーキックを担当して得点を挙げるスタイルから、フォワードとしても試合に出場することがあったメキシコの「小さな巨人」ホルヘ・カンポスや、ゴールキーパー初のハットトリックも達成したパラグアイのホセ・ルイス・チラベルトら「超攻撃型ゴールキーパー」のパイオニア的存在と言える。

マリオ・ケンペス

闘牛士

長髪をなびかせてピッチを駆け回り、豪快な突破力と爆発的な得点力を見せたことから「エル・マタドール(闘牛士)」と呼ばれるように。

豊富な運動量で常に闘志あふれるプレーを見せたアルゼンチン人ストライカー。華麗さと豪快さを併せ持ち、高い得点能力を誇った。
自国開催となった1978年ワールドカップでは、得点王となる活躍でアルゼンチンの初優勝に貢献し、記念すべき第1回目のMVP受賞者となった。クラブではアルゼンチンのほか、スペイン、オーストリア、チリ、インドネシアでもプレー。中でもスペインのバレンシア時代に全盛期を迎え、76年に同クラブへ移籍した際には、いきなり2年連続でリーグ得点王を獲得するなどの活躍を見せた。

華麗で豪快なストライカーは「闘牛士」?

チリ代表の歴代最多得点の記録を保持し、南米最優秀選手に選ばれたこともあるマルセロ・サラスも、ケンペスと全く同じ「エル・マタドール」の異名を持つ。173cmとサッカー選手としては小柄ながら俊敏な動きと正確な左足で高い決定力を誇ったサラスは、驚異的な跳躍力を武器にヘディングによる豪快な得点も重ねたストライカー。ボールコントロールやシュートなどの巧さや華麗さに加え豪快さを併せ持ったプレースタイルがケンペスに重なる部分があった?


「サッカー王国」ブラジルと、その永遠のライバルと言えるアルゼンチン。この二大巨頭が、ペレとマラドーナという世界のサッカー史で双璧をなすレジェンドプレイヤーを生み出しているのは何か運命めいたものを感じますね。
最近はそうでもありませんが、昔から「個人技の南米、組織力の欧州」と言われるように、南米には個性的な選手を生み出しやすい素地があり、今回もスーパープレーヤーというより“個性的な”部分が強い選手たちをチョイスしてみました。「名選手はまだまだいるでしょう!」というご意見はもっともですので、また何かの機会に特集できれば…と思っています。