特集2017年2月7日更新

2月7日は「北方領土の日」

2月7日は「北方領土の日」です。昨年末に行われたロシアのプーチン大統領と安倍総理の首脳会談でも主要な議題として取り上げられた北方領土は、我が国の領土であるにもかかわらず国民的関心が低いとされています。「北方領土の日」を機に北方領土について改めて考えるために、基本的な情報やこれまでの経緯を振り返ります。

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「北方領土の日」とは

2月7日は「北方領土の日」です。1855年のこの日、択捉島とウルップ島の間に国境が法的に確認された日魯通好条約が調印されたことにちなみ、北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の盛り上がりを図るために制定されました。

全国各地でイベントも

毎年2月7日に開催される「北方領土返還要求全国大会」

この大会は、内閣総理大臣をはじめ各政党代表などの出席の下、政府と元島民、返還運動団体等、官民の関係者が一堂に会し、 北方領土返還要求運動が一層幅広く発展することを願うとともに、北方領土の早期返還を求める固い決意を内外に表明するものとして、 昭和56年以来、毎年2月7日の「北方領土の日」に東京で開催されています。

上記の「北方領土返還要求全国大会」のほか、2月と8月は「北方領土返還運動全国強調月間」として、北海道を中心に全国で80を超える啓発行事やイベントが開催されています。

安倍総理「今年の早い時期にロシア訪問を」

安倍総理は1月20日に国会で行った施政方針演説で、「今年の早い時期にロシアを訪問する」とし、北方領土問題を含む平和条約締結交渉に関しては「解決は容易ではない」としつつも「一歩でも、二歩でも、着実に前進していく」との決意を表明しました。

2016年12月の日露首脳会談

ロシアのプーチン大統領が2016年12月15~16日に日本を訪問し、安倍総理と会談を行いました。最も大きなトピックとされるのは、4島での共同経済活動実現に向けた交渉開始で合意したことです。

12月16日の首脳会談終了後、深夜までテレビ番組をはしごした安倍首相が強調したのは、4島の元住民の墓参など自由訪問の拡充の検討や、4島での共同経済活動を実現するための交渉開始で合意したことだった。

しかし、「返還」が期待された北方領土問題については実質的な進展がなく、失望の声も聞かれました。

会談結果に「失望」の声

〈日ロ首脳会談 あまりに大きな隔たり〉(朝日)
〈領土解決ほど遠く〉(毎日)
〈進展みられず〉(読売)
〈「引き分け」より後退か〉(産経)

 首脳会談直後の各紙には、こんな見出しが躍った。「安倍政権応援団」とも言われる産経までがこう評したことは、大方の日本人の「失望」を象徴していた。

元島民の反応は…

「経済の話もいいけど、元島民だから、やっぱり少しは領土返還の進展を期待するじゃないですか。残念な年の暮れになってしまいましたね。点数をつけるとしたら、100点満点でせいぜい30点かなあ」

自民党の二階幹事長ですら「国民の大半はがっかり」

自民党の二階幹事長が例のごとくモゴモゴと言った。「国民の皆さんの大半は、がっかりしているということは、われわれ含めて、心に刻んでおく必要があると思います」。

政治記者「大きな一歩であったことは間違いない」

北方領土問題は進展せず、3000億円の経済援助だけ引き出されて「安倍外交の敗北」と野党に批判されたが、極東事情に詳しい政治記者は、こう言うのだ。

「そもそも、ロシアの対日最大の外交カードである北方領土が、そんな簡単に戻ってくるわけがない。それを抜きにしても、大きな一歩であったことは間違いないですね。長期的にみると、日露両国が平和条約締結へ向けて前進したと言えます。事実、今回の日露交渉に、中国政府は相当な焦りを見せているんです」

北方領土とは

 北方領土は、北海道本島の東北の海上に連なる択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島のことをいいます。

北方四島についての概要

島  名 面積 距離 人口 島名の由来
択 捉 島 3167.8平方キロ 144.5km 3,608人 アイヌ語で「岬のあるところ」という意味
国 後 島 1489.9平方キロ 16.0km 7,364人 アイヌ語で「草の島」という意味
色 丹 島 250.6平方キロ 73.3km 1,038人 アイヌ語で「大きな集落のある地」という意味
歯舞群島 94.8平方キロ 3.7km 5,281人 アイヌ語で「流氷のある島」という意味

※「距離」は国後島は野付半島から、それ以外は根室半島(納沙布岬)からの距離
※「人口」は1945年8月15日現在において、6月以上北方領土に居住していた者の数

かつて1万人以上暮らしていた日本人は現在、1人もいない

1945年8月15日の時点において1万7291人の日本人が住んでいましたが、1947~49年にかけて強制的に島を追われ、現在、北方領土に日本人は1人も住んでいません。代わりに、択捉島に約6000人、国後島に約7000人、色丹島に約2800人のロシア人が住んでいるといわれています。

「北方領土」という言葉はいつから?

 実は「北方領土」という言葉は、戦後すぐ存在したのではない。外務省がこの言葉を周知させたのは1964年。

北方領土に関するこれまでのあらまし

1855年 日魯通好条約

択捉島とウルップ島(得撫島)の間に日本とロシアの国境が定められる。この時、「北方領土が日本に帰属している」ことがロシアも納得の上で国際的に認められている。

1875年 樺太千島交換条約

日本は樺太を放棄する代わりにウルップ島より北の千島列島をロシアから譲り受ける。この条約では北方領土が千島列島に含まれないことが明記されている。

1905年 ポーツマス条約

日本はロシアから樺太の北緯50度以南の部分を譲り受ける。この条約に関係なく、北方領土は依然として日本の領土。

1941年~1943年 第二次世界大戦中

1941年に「戦争による領土の拡張は求めない」という大西洋憲章にソ連が参加を表明し、43年のカイロ宣言は「日本は暴力によって奪った地域を返さなければならない」と宣言。ただし、これまでの経緯から北方領土が「奪った地域」ではないことは明らか。

1945年8月9日 ソ連が対日戦に参戦

ソ連が一方的に「日ソ中立条約」を破って8月9日に対日参戦。

1945年8月15日 日本がポツダム宣言を受け入れ無条件降伏

ポツダム宣言には、「カイロ宣言の履行」「日本の領土は連合国が決める島々に限定されること」などが書かれている。

1945年8月28日~9月5日 ソ連が北方四島を不法占領

8月18日、ソ連は千島列島への侵攻を開始。8月28日から9月5日までの間に北方領土を不法に占領した。島の住民はソ連の命令で強制的に退去させられることに。

1951年 サンフランシスコ平和条約

日本はポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島を放棄。しかし、北方領土は千島列島の中に含まれておらず、ソ連はサンフランシスコ平和条約に署名していない。

1956年 日ソ共同宣言

日本とソ連は「日ソ共同宣言」を発表して国交を再開。歯舞群島と色丹島については、平和条約の締結後に日本へ引き渡すことで同意した。

1960年 ソ連が2島引き渡しに関して態度豹変

日ソ共同宣言で合意された2島の引き渡しについて、ソ連が一方的に「日本からの全外国軍隊の撤退」という新たな条件を課す。日米安全保障条約の改定が影響している。

以降、現在まで北方領土の引き渡しはなく、平和条約も未締結

ソ連崩壊後も日本はロシアに対して返還を求めていますが、ロシアは一方的に「自分の領土」「領土問題は存在しない」などとして返還を拒否しています。平和条約も領土問題が障害になって、いまだに締結されていません。

返還に向けての日本の取組み

政府の取り組み

「空白の10年」もあった日露関係

1991年の「日ソ共同声明」で北方領土が解決されるべき問題の対象であることが確認されたのを皮切りに、93年の「東京宣言」、2001年の「イルクーツク声明」、03年の「日露行動計画」と、ゆるやかながらも交渉が進展。しかしその後、のちに「空白の10年」と呼ばれる時期に突入し、13年4月の安倍総理のロシア訪問に至るまで目立った進展はありませんでした。
現在、政府は「我が国固有の領土である北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」という一貫した基本方針のもと、ロシアとの交渉を継続しています。

「ロシアによる法的根拠のない占拠」と主張

現在もなお、ロシアによる法的根拠のない占拠は続いており、北方四島は日本の領土でありながら、日本人が一人も住んでいません。

ゆるキャラ「エリカちゃん」も過激な発言?

独立行政法人・北方領土問題対策協会による北方領土イメージキャラクター「エリカちゃん」。エトピリカの女の子という設定の、見た目はかわいい鳥のキャラクターで、語尾に「ピィ~♪」つける口調で北方領土に関する情報や豆知識を発信していますが、時として過激な発言も…

「4島一括返還」が返還交渉が進展しない理由のひとつか

 56年の日ソ共同宣言では、「平和条約締結の後に色丹島と歯舞諸島を引き渡す」とされた。しかし、日ソ接近を嫌った米ダレス国務長官の「2島で平和条約を結んだら沖縄を返さない」という恫喝を受け、政府は「4島返還」を国是にする。
平和条約締結に際し、善意で2島返還を行うというロシアの提案では不十分とした日本が、4島返還を求め続け、進展がなかったと同氏は説明している。

共同経済活動で4島返還へ前進?

「プレス向け声明の中には、共同経済活動が平和条約への一歩である旨がしっかり記されています。その活動の対象地域が2島ではなく4島になったことも大きい。日本の勝利です」(安倍総理に近い自民党代議士)

ここまでに挙げたような政治的な交渉だけではなく、日本政府は北方領土問題の進展に向けて次のような協力や交流も行っています。

四島交流

日本国民と北方四島に居住するロシア人がパスポートやビザなしに相互訪問する事業。1992年から2015年末までに、のべ2万1298人が相互に渡航しています。

自由訪問

元島民とその家族による「最大限に簡易化された」北方領土への訪問事業。2015年末までに3810人が北方四島に渡航しています。

北方墓参

身分証明書によるお墓参り事業。2015年末までに4405人が北方四島に渡航しています。

これらの模様は、内閣府「北方対策本部」による写真で確認することができます。

北方四島住民支援

北方四島からの患者の受入れ、医師・看護師等研修といった医療面の支援が主。いずれの事業も四島側から高く評価されていて、特に患者の受入れに対する期待や信頼は大きいといいます。

北方四島を含む日露隣接地域における協力

地震、火山噴火、津波といった防災分野における協力と、生態系保全分野における協力があって、日本の専門家が北方四島を訪問したり、四島側の専門家を受け入れるなどして共同調査や研究が進展しています。

かつての支援は忘れられつつあるという話も

 ソ連崩壊による混乱で困窮していた北方4島に対して、日本政府が1993年に開始した支援事業では、ディーゼル発電施設やムネオハウスの名前で知られる宿泊施設「友好の家」、さらには医薬品などの人道支援物資の供与などが行なわれた。だが、そうした支援は島民の記憶から薄れつつある。

北海道の取り組み

政府だけでなく、北海道をはじめとする各自治体・団体も北方領土問題に対して、様々なイベントや運動を行っています。
特に「北方領土の日」「北方領土返還運動全国強調月間」には集中してイベントが行われ、2月4日には札幌で「北方領土早期返還祈念合唱コンサート」と題して全道から9つの高校の合唱部が集うイベント、2月7日には「さっぽろ雪まつり」内で「北方領土フェスティバル」を開催、全国から訪れる観光客等に返還を訴える決意表明のイベントなどが行われます。
また、変わったところでは北海道庁の食堂では「北方領土丼」なるメニューも期間限定で提供されるんだとか。

元島民は今、何を思う

ロシア人と日本人が共に暮らしていた期間も

私が根室でお話を伺った色丹島の元住民の方は島で生まれ育ち、13歳の時、島を追い出されたということでしたが、ソビエトによる占領から数年間はソビエトの施政下でロシア人と日本人が共に暮らしていた…という歴史も知りませんでした(※日本人旧島民の本土引き揚げは1946年にGHQとソ連の合意で決まり、1949年までに日本人の島民全員が引き揚げを完了)。

元島民は不法占領の直後から返還要求運動を開始

 戦前、択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島に暮らした約1万6000人の日本人は45年夏のソ連軍侵攻で、多くが根室町(現在の根室市)に逃げた。
 同町で「故郷を返せ」という声が高まり、安藤石典町長が同年暮れ、米占領軍のマッカーサー最高司令官に「ソ連の占領を解除してほしい」と訴えたが、国を挙げての返還運動ではなかった。

現在6300人、平均年齢は81歳

 4島の元島民は、今年3月末時点で6312人。終戦時には1万7000人あまりいたが、71年の歳月の間に多くが亡くなった。存命者の平均年齢は81.3歳になる。

「我々には時間がない」12月の会談ではプーチン大統領に手紙

 元島民の皆さんの平均年齢は既に81歳を超えています。「もう時間がない」。そう語る元島民の皆さんの痛切な思いが胸に突き刺さりました。

日本人とロシア人の「友好と共存の島」にしたい

 「最初は恨んでいたが、今は一緒に住むことができると思っている」。
 そう語り、北方四島を日本人とロシア人の「友好と共存の島」にしたいという元島民の皆さんの訴えに、私は強く胸を打たれました。

「移住したい」ではなく「自由に行き来したい」

その元島民の方たちは、再び島に移り住みたいと考えている方より、先祖の墓参りや生まれ故郷の地を踏むのに、自由に行き来をしたいと考えている方が圧倒的に多いんです。

若い2世や3世との意見対立も

「原則論にこだわり過ぎた結果、何も返ってこなかった。それなら2島先行返還で手を打つべきではないか。色丹・歯舞の周辺は漁業資源も豊富で、根室の経済の活性化にもなる」
 根室以外の支部でも、若い2世や3世と80代の元島民の意見が対立している。

ロシア側の北方領土への認識は

プーチン大統領「領土問題はない」

プーチン大統領は訪日前の読売新聞などとの会見で、「ロシアにはそもそもいかなる領土問題もまったくないと思っている。日本がロシアとの間に領土問題があると考えているのだ」と断言し、日本側の期待をあっさりと裏切ったのである。

ロシアにとっては「自分の領土」

ロシアは「ロシアが最初に千島を発見し開拓した。」、「これらの島々はヤルタ協定でロシアに引き渡されることとなっている。」、「日本がサンフランシスコ平和条約で放棄した千島列島には国後島と択捉島も当然含まれている。」などといって、一方的に自分の領土としてきました。

「自分の領土」であるがゆえに「返還」ではなく「善意の譲渡」

 56年の日ソ共同宣言では、「平和条約締結の後に色丹島と歯舞諸島を引き渡す」とされた。
(中略)
「返還する」ではなくロシア語の「ペレダバーチ」(譲渡する)は「自分の物ですが差し上げましょう」に近く、2島とて日本の領土とは認めていないのだ。

「ロシアは北方領土を戦利品だと思っている」という見解が大勢

ディプロマット誌は、北方領土は第二次大戦の正当な戦利品であり、その主権はソ連を引き継いだロシアにあるとプーチン大統領は認識していると述べている。
北方4島はソ連が侵略したのではなく、アメリカが“戦利品”としてソ連に与えたわけで、日本は4島を失った引き換えに北海道の南北分割を避けられたとも言える。これは当時のアメリカの公文書に残っている明確な事実だ。

ロシア人の70%超が北方領土の返還に強く反対

ロシアでの世論調査では70%を超えるロシア人が北方領土の返還に強く反対していますし、そもそもロシア側は「領土問題は存在しない」という基本的な姿勢を崩していません。

ロシア世論「平和条約締結よりも北方領土の維持のほうが大切」

フィナンシャル・タイムズ紙(FT)によれば、ロシアの世論調査では平和条約締結よりも島々を維持し続けることのほうが大切だと見る人が多いという結果が出ており、国民感情からしても日本に島を譲り渡すことは簡単ではない。

軍事的な観点からも重要とされる

オホーツク海は、ロシアの原子力潜水艦にとっては軍事上の要所であり、北方領土を含む千島列島は太平洋との境界に位置するため、敵の侵入を困難にする天然の要塞となっている。

こうしてみると、日本とロシア双方の認識には大きな隔たりがあり、それらを一気に解消するこということはかなりの難事業と言えそうです。
また、単に返還されれば良いという問題ではなく、すでに長年に渡って北方領土で生活をしている1万6000人のロシア人を強制退去させることは道義的に問題があるとされています。これに対し「日本人とロシア人が仲良く一緒に暮らせばいい」という元島民の意見もあり、共に暮らしていくことも不可能ではないかもしれません。
ただ、それもロシア側の認識の変化や大きな譲歩が実現されたあとの話。元島民の高齢化が進む一方で、問題の溝は深く、解決にはまだまだ多くの時間がかかる見通しです。果たして「北方領土“返還”の日」は訪れるのでしょうか。

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