特集2018年3月19日更新

平昌パラリンピック 日本人メダリスト振り返り

3月9日から18日までの10日間にわたって熱戦が繰り広げられた冬季パラリンピック平昌大会で、日本代表団は前回ソチ大会を上回る10個のメダルを獲得しました。パーソナルな話題も織り交ぜながら日本人メダリストの輝かしい成績を振り返ります。

目次

冬季大会日本選手史上最多メダル獲得 村岡桃佳

金・銀・銅メダルをコンプリート 合計5個獲得

平昌冬季パラリンピック最終日の18日、アルペンスキーの女子の回転座位が行われ、村岡桃佳(21=早大)が銀メダルを獲得。出場全種目で表彰台に立ち、冬季大会の日本選手史上最多となる1大会5個のメダルを手にした。
村岡は今大会、滑降で銀メダル、スーパー大回転とスーパー複合で銅メダルを獲得。14日の大回転では金メダルに輝き、1998年長野大会の大日方(おびなた)邦子以来となる1大会での金・銀・銅メダルコンプリートを達成していた。

5個のメダル獲得をプレイバック

3月10日 女子滑降(座位)で銀メダル 日本人メダル第1号

アルペンスキー女子滑降で座位の村岡桃佳(21=早大)が日本勢大会第1号となる銀メダルを獲得、同競技では男女を通じて最年少メダリストとなった。
「私で始まり私で終わる。これから先、こんなことはない。銀メダルは通過点。まだまだ高みを目指したい」と金メダル締めを誓った。

この時の発言「私で始まり私で終わる」は、のちに現実のものとなりました。

3月11日 女子スーパー大回転(座位)で銅メダル

アルペンスキー女子スーパー大回転で座位の村岡桃佳(21=早大)が前日の滑降銀メダルに続き、銅メダルを獲得した。

3月13日 女子スーパー複合(座位)で銅メダル

平昌冬季パラリンピック第5日の13日、アルペンスキー・スーパー複合で女子座位の村岡桃佳(21=早大)が銅メダルを獲得。
前半のスーパー大回転で2位につけた村岡は、後半の回転は6番滑走で登場。トータルでトータルで2分30秒25をマークし、トップと2・66秒差で3位に入った。
スーパー複合でのメダル獲得は男女を通じて初の快挙。1大会メダル3個の日本アルペン勢の記録にも並んだ。

3月14日 女子大回転(座位)で金メダル

平昌冬季パラリンピック第6日の14日、アルペンスキー女子座位の村岡桃佳(21=早大)が大回転に出場。今大会日本勢初となる金メダルを獲得した。
「スキーをやめてしまいたい気持ちもあったし、競技を続けることがつらい気持ちもあったが、スキーが好きで続けてきたし、金メダルが獲りたくてやってきたので、目標が達成できてうれしい」

3月18日 女子回転(座位)で銀メダル

最終日の18日、アルペンスキーの女子の回転座位が行われ、村岡桃佳(21=早大)が銀メダルを獲得。
10日の滑降で日本勢メダル第1号となる銀メダルを獲得した際に「今大会は私に始まり、私に終わる」と発言。「私がいい流れを作っていければ、と思っていたんですが、有言実行できて今は安心しています」と安どの表情を見せていた。

開会式では日本選手団の旗手として堂々の行進

日が暮れて冷え込みが一気に増した平昌オリンピックスタジアム。日の丸の下、村岡が選手団を先導した。「日本が強いんだというところを見せたい。私の背中が何倍も何十倍も大きく見えるようにしたい」という宣言通り、自信あふれる旗手ぶりだった。
「4年前なら絶対にありえなかったこと。旗手という話をもらえるくらいの選手になったことが、うれしかった」
「レースのことから気持ちをいったんリセットさせるためにも、ぜひ引き受けさせていただけたらと思った」と笑った。

自身のTwitterでは、開会式へ臨む心境をつぶやいていました。

チェアスキーとの出会いは小学2年生

小学校2年で、友人の紹介でチェアスキーの体験会に参加したのが、スキーとの出会いだ。埼玉出身で雪山との関わりはなかったが、天性のセンスがあったのか、たった2、3日で一人で滑れるようになった。
本格的に競技スキーに取り組むのは中学2年からだが、最初は、父と2人で見よう見まねの独学で練習していたという。競技人口が少ないことも手伝い、海外の遠征チャンスなどを得て、世界のトップスキーヤーの滑りに感動を受け、埼玉・正智深谷高に進学後は、土日だけでなく、平日も、授業が終わってからナイターでの練習まで行うようになった。

現在は早稲田大学に通う大学生

トップアスリート受験で早大に進学。海外遠征が多いが、単位獲得などにも大学の全面バックアップがあり、スキー部は、OBなどから寄付をつのり、寮などをバリアフリー化してくれた。
そして、身近にいた森井大輝(37)らからカービングターンの技術を吸収。夏はニュージーランドやチリといった南半球の雪上ですべり、冬はオーストリアの氷河などでトレーニングを積み、この4年で急成長した。

長野大会から6大会連続出場“レジェンド” 新田佳浩

ノルディックスキー・男子10kmクラシカル(立位)で金メダル

平昌冬季パラリンピック第9日の17日、ノルディックスキー距離の男子10キロ・クラシカル立位の新田佳浩(37=日立ソリューションズ)が金メダルを獲得した。
スタート直後に転倒し、6・76キロ地点まで3位のタイム。「前半非常に苦しい中でのレースだったんですけど、気持ちを切り替えて走ることができたのでよかった」
最終周を前に、1位との差が詰まったことを伝えられ、ラストスパートで逆転に成功。「自分自身に負けないために4年間やってきたので、それができてよかった」と声を震わせた

男子スプリント・クラシカル(立位)で銀メダル

平昌冬季パラリンピック第6日の14日、ノルディックスキー距離の男子スプリント・クラシカル立位の新田佳浩(37=日立ソリューションズ)が銀メダルを獲得した。
新田は2010年のバンクーバー大会で距離2冠を達成している実力者。予選を2位で通過、準決勝2組をトップで勝ち抜いて決勝進出を果たした。6人で争われる決勝では、ゴール前でアレクサンドル・コリャージン(45=カザフスタン)にかわされ、4分20秒5で2位となった。

冬季パラ“レジェンド” 新たな目標は22年の北京大会

冬季五輪8度出場のレジェンドがジャンプの葛西紀明(45=土屋ホーム)なら、冬季パラのレジェンドは新田以外にいない。17歳だった98年に初めて長野大会に出場。
平昌大会を集大成と位置付け、会社の壮行会では「化石になってきます」と宣言していた。だが金メダルを胸に下げ「化石になりたかったが、まだこのチーム大丈夫かと思うところはある。僕は生きる化石として、自分なりにスキーを楽しみたい」。衰えることを知らない37歳。22年北京へ、再び板を走らせる覚悟がのぞいた。

後輩選手に影響を与える存在

新田と同じ17歳で同種目の川除大輝(雄山高)がパラデビューを飾った。川除がパラ競技に足を踏み込んだきっかけはレジェンドの存在。サッカーかスキーかで悩んでいた時、新田はバンクーバー大会後に金メダルを川除の実家に持参し、本物の金メダルを首に掛けてあげた。これを機に、川除はパラへの思いを強め、次代のホープと呼べる存在にまで成長。新田は「今回のメダルでもっと下の選手たちが競技を始めてくれることが次の望み。そのためにも結果を念頭に練習しなければいけない」と決意を語る。

新田と荒井秀樹監督 支え続けた20年間の道のり

98年長野大会の2年前にヘッドコーチに就任して以来、監督としてノルディックに心血を注いできた。新田をパラリンピックの世界に誘ったのが荒井監督。全国大会で活躍していた中学2年生の新田をスカウトし、長野大会から20年、家族より長い時間をともに過ごしてきた。
「完璧なレースでした。本当に良かった…」。愛弟子の勇姿を前に、目はうっすらと涙でにじんでいた。

挑戦し続け待望の金メダル獲得 成田緑夢

スノーボード・男子バンクドスラローム(下肢障害)で金メダル

平昌冬季パラリンピック第8日の16日、スノーボード男子の成田緑夢(ぐりむ、24=近畿医療専門学校)がバンクドスラローム下肢障がいで金メダルを獲得した。
1本目で50秒17をマークをし、1位に立った成田は2本目でも1本目を上回る49秒61の好タイム。3本目でさらにタイムを上げ、48・68を記録。1番滑走で最初から最後まで一度もトップを譲らない完璧なレースを見せた。

世界パラスノーボード連盟「衝撃のパフォーマンス」と称賛

世界パラスノーボード連盟のツイッターはゴールシーンを動画付きで紹介し、「なんてランなんだ!!金メダルを確定させた日本のグリム・ナリタから衝撃のパフォーマンス!」と称賛した。
映像では、海外実況も「ワオ!なんて滑りなんだ!信じがたいことをやってのけた、本当に、なんて滑りだ!!日本のナリタがトップに君臨だ!なんてこった、あっぱれだ!!」と大興奮で伝え、客席では兄の童夢が日の丸を振って絶叫していた。

男子スノーボードクロス(下肢障害)で銅メダル

平昌冬季パラリンピック第4日の12日、男子スノーボードクロスLL2(下肢障害)が行われ、初出場で世界ランキング1位タイの成田緑夢(ぐりむ・24=近畿医療専門学校)が3位決定戦を制し、銅メダルを獲得した。日本選手がスノーボードでメダルを取るのは初めて。

言わずと知れた「成田3兄弟」の末っ子

兄の童夢氏と姉のメロ氏が2006年トリノオリンピックに出場した「成田3兄弟」の末っ子。オリンピックを目指していた練習中の事故で、19歳のとき左脚に障がいを負い、パラスポーツに転向した。

兄・成田童夢の歓喜と祝福

TVの画面を見ながら実況する様子を動画でアップしたが、さかな君ばりのハイトーンの声「行け行け行け、いいぞいいぞ!銅メダル行け!」と絶叫。自分でも「銅メダルを獲得した瞬間を家内が撮ってくれてました!!! わたし、実況(?)してます。 自分の弟だと、まともな実況&解説が出来ない事を立証しました(笑) ただただうるさい」と反省?していた。
しかし、その後「弟を応援してくださり、ありがとうございます。成田緑夢選手、銅メダルおめでとう!おめでとう!おめでとう!」と祝福していた。

昨年11月にはパラスポーツ界の伝道師としてYouTuberに

成田は昨年11月、動画配信サイト「ユーチューブ」に「成田緑夢チャンネル」を開設し、ユーチューバーデビューした。今大会も銅メダル獲得後にはすぐライブ中継でファンに報告。またチームメートの山本篤(35=新日本住設)やノルディックスキー距離男子立位で銀メダルの新田佳浩(37=日立ソリューションズ)らとともに、積極的にパラスポーツの発信を続けている。
「ケガをして悲しい思いしている人に情報伝達して笑顔を復活してもらえると思う」という、パラスポーツの伝道師。

パラ4大会連続の銀メダル 森井大輝

アルペンスキー・男子滑降(座位)で銀メダル

平昌冬季パラリンピックのアルペンスキーは10日、1回のみで順位を争う滑降を実施し、男子座位で森井大輝(トヨタ自動車)が1分25秒75をマークして、トップと1秒64差の2位になった。森井は前回大会のスーパー大回転に続く4大会連続の銀メダル。

チェアスキーの原点は1998年の長野パラ

1980年生まれの森井選手は、4歳からスキーを始め、高校ではインターハイ出場を目指していた。しかし、16歳のときオートバイ事故により脊髄を損傷。それ以来、車椅子を常用している。彼は1998年の長野パラリンピックを病室で観て、チェアスキーの世界に入ったという。その後、パラリンピックでは、2002年ソルトレーク大会から2014年ソチ大会まで4大会連続で出場しており、3つの銀メダルと1つの銅メダルを獲得している。現在でも、その実力は世界トップクラスだ。

平昌冬季パラリンピックのこぼれ話

自動車メーカーと車いすメーカーがタッグを組んだ「チェアスキー」

アルペンスキー男子座位の森井大輝(37=トヨタ自動車)が競技の心臓部に位置付けるチェアスキー。その開発に「世界のトヨタ」が一肌脱いだ。
開発に携わったのは同社の榎本朋仁さんと車いすメーカー日進医療器の山田賀久さんを中心とするチーム。当初は2、3人で始め、開発規模が見えてきたところで人員を補充。トヨタが自動車開発で培った技術を存分に生かすべく空力特性を解析する部隊を加えたり、延べ40人が森井を後押しした。

軽量化と剛性が高まった平昌モデル「隼」

フレームだけで約15%の軽量化に成功。剛性は3倍強くなったという。森井の要求に見合う、平昌モデル「隼」が完成した。
極限まで肉抜きされたフレームは芸術と呼べるレベルに達した。「彼が追い求めているカービングターンで気持ちいい滑りを実現してほしい」と山田さん。榎本さんは「勝ってほしいが、一番は本気で楽しんでほしい」。技術者たちの思いが込められた、最高のチェアスキーが最速を狙う男に託された。

トヨタ公式YouTubeチャンネルでは、特別WEBムービー「WHO I AM特別版~森井大輝 チェアスキー開発の軌跡~」が公開されています。

パラアイスホッケー日本代表を支えた「心拍計」

パラアイスホッケー日本代表の練習会場、長野・岡谷やまびこスケートの森アイスアリーナのリンク脇に見慣れないデータを映し出す大型モニターが置かれている。昨季からチームが取り入れた「ハートレートモニター(心拍計)」だ。選手の心拍数を色と数値でリアルタイム表示。
このシステムを導入したのは、昨季から代表チームに加わった長野保健医療大准教授の赤羽勝司トレーナー(52)だ。「これまではどれだけ疲労がたまっているとか、試合前にどのくらい心拍数を上げたらいいのかは全部主観だった。選手自身が自分の身体能力を知るべきと考えた」と導入の意図を明かす。

パラクロスカントリー日本代表を支えた「気象情報」

気象情報会社ウェザーニューズのスポーツ気象チームがコースにいた。現在の雪がどうなっているかの「観測」、この後どうなるかという「予測」をチームに提供。
コースの雪下約1~2センチの雪温をポイントごとに測定し続けた。チームの浅田佳津雄さんは「現地で見る限り、これほど測っている人たちはいなかった。日本の情報は強みだと思う」と手応えを口にする。
本格的にパラスポーツの気象分析を行ったのは平昌プレ大会が初めて。

2017年3月に開かれた平昌パラのプレ大会でウェザーニューズ・スポーツ気象チームがサポートした時のレポートが公開されています。

視力0.03以下の視点を体感できるInstagramアカウント

トヨタ自動車がイギリスで、平昌パラリンピックに絡めてユニークなプロモーションを実施しています。
同社がスポンサーを務め、本大会に出場するイギリスのアルペンスキー選手・Menna Fitzpatrick氏のInstagramアカウントには、すべての投稿写真や動画がぼやけてしまった状態で公開されています。
これらの投稿はMenna Fitzpatrickの視点から見た競技中の模様を再現しているのです。
コンテンツは、パラリンピック選手の視野をできる限り忠実に再現すべく、本人、ガイド(前方を走行し、彼らに指示を出すスキーヤー)、視覚障害者への情報提供を行う非営利団体、眼科の監修をもとに制作されたといいます。